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かつて何事も長続きしなかった自分が「やり抜く力」について考えてみる


「GRIT やり抜く力」を読んだ

2024年、最初に読み切った一冊がこちらの「やり抜く力」でした。以前から存在は知っていたし、有名な書籍であるがゆえにどんな内容かはなんとなく知っていましたが、そういえばちゃんと読んだことないなと思い立ち手にとりました。

情熱と粘り強さを持って物事にあたり、最後までやり切る力。
やり切るためには高い目的意識が必要であり、それと同じくらいにそれを楽しむ、没頭する姿勢が重要であること。その目的意識には利他の精神が宿っていることが前提となること。
粘り強く行動し続けるためにはしなやかマインドセットが土台にあり、適切に成長していくためには外部からのフィードバックが必要となる。

ただ精神論で、気合と根性でやり抜けと喝破するのではなく、やり抜く力を構成する要素を分解している点が良いな、と読んでいて感じました。具体性があると自分の行動に落とし込みやすくなります。

GRITを育む要素についてのひっかかり

そして、読み進めている中で心にひっかかる部分がありました。子供の頃の習い事がGRITを育む重要な役割を果たすという主張についてです。
大変だし、楽しくもない学校の授業や課題。大変ではないが楽しい、日常の遊びや暇つぶし。そして習い事は主体的に行うものであるから、大変ではありながら楽しいという存在。そう考えると、確かに習い事はGRITを育む上で重要なものだと言えそうです。

ここで感じたひっかかりが2つありました。

1つは、だとすると習い事を習いたくても習えない環境にいることはGRITの醸成を阻害してしまうのか?という点。本文中でも少し触れていて、体験格差によってGRITにも差が生まれてしまうというのは残念ながらある程度真実のようです。習い事によるGRIT醸成のコアが主体性にあるとするならば、教育の現場において主体性を育むカリキュラムが万人にとって受講できるものであるということは非常に重要なんだな、と改めて感じました。

2つ目は、「ある程度継続してモノにした経験が必要である」という点。そのことに異論があるわけではなく、自分が子供の頃は長続きしない人間だったなということを思い出し、それが心にひっかかったのです。

ここ数年、カンファレンスで発表した際にいただくフィードバックとして「よくそんなに粘り強く続けられますね」とか「継続する力がすごいです!」というお褒めの言葉をいただくことがありました。言い換えると、外側からはGRITがある人間に見えているということです。ありがたいことです。
そんなフィードバックをいただいていたものだから、自分でもすっかりその気になっていたわけですが、昔のことを思い出すと全然そんなことはなかった。でも、今はある程度GRITはある、という実感はあります。
じゃあ、昔と今では、自分が何が違うんだろう?

前置きが長くなりました。過去をふりかえりながら、その自分の変化のポイントを探る。それがこのnoteの執筆を通してやりたいことです。

辞めグセがあった若い頃

あまり物事が長続きするほうではありませんでした。特に中学高校のときはそれが顕著で、中学1年のときから通っていた学習塾を3年の途中で辞めようとしたり(周囲の説得もあり結局続けましたが)、高校のときは「身体を鍛えよう」と一念発起して入った空手部をわずか1年で辞めています。
趣味もそうで、いろんな楽器に手を出しては大してモノにならずにフェードアウトしていく、ということが何回かありました。

大学生のときも、1年生のときから入っていた管弦楽団を2年の途中で辞めようかなと考えたことがありました。結局、辞めるのはそれはそれでエネルギーが要ることなので辞めるのを辞めましたが。(このサークルで出会った友人たちとは今も交流が続いているので、つくづく辞めなくてよかったなーと今では思っています)

粘り強くない器用貧乏

新しいことに手を出すと、ある程度のレベルまでは比較的早く到達できる。だから最初は何事も楽しいわけです。周囲も褒めてくれるし、自分自身でも上達を実感できる。
でも、すぐに頭打ちがやってきます。頭打ちがやってくると同時に、ある程度のレベルに到達したがゆえにもっと上のレベルが見えてきます。そして、その上のレベルにはなかなか行くことができない。初動でそこそこうまくいってしまったがゆえに、どう努力すればよいかもわからない。そうしてその道でゆるやかに挫折し、新しいものに飛びついていく。いまふりかえってみると、その繰り返しでした。

このままではいけない、と一念発起…してない

「このままだと行けないと思い、一念発起して自分探しの旅にでかけたんです!」とでも言えればいいのですが、そういったわかりやすい転機はありませんでした。前述のように、器用貧乏で飽きっぽいので「辞めたい」という気持ちが湧いてくるのですが、辞めることにエネルギーを注ぐのもめんどくさい。よっぽどのことがないとそのハードルを超えない。
なので積極的に向き合うのではなく消極的に続ける。辞める理由がないから辞めない、そんな状態で物事にあたる日々が続いていました。

気がついたらやり抜いていた

そんな感じで日々を過ごしていると、それなりの経験や知識は溜まっていきます。「やってやるぞ!」と気張りはしないけど、気張っていないがゆえにうまくいかなくても「まあそうだよねー」と落胆せず向き合い続けることができる。そこにテクニック的に「ふりかえり」を導入したりすることで、ゆるやかにではあるけど成長をしていく。
そうすると、いつの間にか「やり抜く」力が見についていたりする。

高校生の頃、ギターを始めました。hideにあこがれていたので、まずXの紅のギタースコアを手に入れて練習し始めました。もちろん弾けません。
Toshiも好きなので、歌も練習しました。もちろん歌えません。
「やってやるぞ!」「うまくなるぞ!」という気持ちは、ゼロではありませんでしたが強くもありませんでした。ちょっとずつ緩く、楽しいなーと思える範囲で練習し、ということを気がつけば10年以上続けていました。
10年どころか20年経つ頃に、私はステージに立ち、紅をギターボーカルで演奏していました。

社会人になった頃、技術書を買ったはいいものの最後まで読みきれず最初のほうのページにばかりふせんが貼ってある、ということがよくありました。
「全部読まなきゃ!」という気持ちがなかったわけではないですが、「まあ自分のレベル感的に後ろのほうはわからないから仕方ないだろう」と、自分にフィットする範囲の情報だけをつまみ食いしていました。
30歳くらいになってある程度体系的な知識、経験が身についていた頃でしょうか。気がついたら本を最後まで読み切れるようになっていたし、複数の書籍を読み比べたり、引用されている文献を辿って知識の地図を広げたりといったことができるようになっていました。

いまになって考えると、こうしたダラダラやっていた中でたまたま訪れた達成感が、「自分、やり抜けるじゃん」という自信をもたせてくれたのかもしれません。

転換点にあった「マインドセット」

そして、そういった過去の体験から「いけるじゃん自分」という気持ちを引き出せるようになったのは、ドゥエックの「マインドセット」と出会ったのが大きかったです。

バガヴァッド・ギーターにある「行為に執着せよ、結果に執着するな」という考え方も、結果がうまくいかなかったときにへこたれず、行為を続けるというマインドセット醸成に一役買ってくれました。

だらだらGRITがガチGRITになってきた

辞めることさえも面倒くさいという性格が功を奏したのか、いくばくか成功体験を得られるようになってきました。
それと並行してマインドセットについての知識を身に着けていく中で、継続の中で人は成長していくものだという考え方が育まれていきました。
この2つが融合したとき、自分の中にGRITが生まれたんだと思います。

今は飽きっぽくても大丈夫

なんで長々とこんな自分語りをしたかというと、かつての飽きっぽかった自分に「飽きっぽくても大丈夫、いつか継続できる人になるよ」って言ってあげたかったからです。
飽きっぽかったころの自分がGRITを読んだら、「そうか、習い事なりなんなり、継続できることが必要なのか・・・じゃあ自分には無理だな」と思っちゃってたと思うんです。もしかしたらかつての自分のように、今まさにそう思っている人もいるかもしれません。
でも、自分のペースでGRITを育んでいけばいいんです。自分のペースでやっていくしかない、とも言えます。その自分のペースでやっていくという自然体さが継続を生むし、継続がGRITを生んでいきます。きっとね。

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