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「教育格差」を読んで

教育が気になるお年頃

長女が、来年の4月から小学校に上がる。教育というものと否が応でも向き合わなければいけない時期だ。そんな折、一冊の新書が目に止まった。

読了し、帯の通り重たいものが腹に残った。

しかしここで描かれるリアルな格差、特に地域による差は実感をもって受け止められた。

みんな授業中どうしてた?

私が育ったのは新潟の地方部だった。公立の小中に通い、高校は県内一の進学校(公立)へと通った。まず、この時に初めて「違い」を実感する。

私が通っていた中学校では、真面目に授業を受けている生徒はほとんどいなかったと記憶している。授業中の私語はもちろん、離席してウロウロしたり、ひどい場合には教室から出ていくものもいた。しかし、それが「中学校という場の当たり前」だと思っていたのだ。

高校に入ってまず驚いたのは、皆が席に座り、真面目に授業を受けていたのだ。そんなことで驚くとは何事か、という感じだが本当に驚いたのだ。

私は大学院で修士をとり、その後就職したのだが、そんな私を両親の知人たちは「なんでそんな勉強するろっかね」と不思議に思っていたらしい。

まさに、この本に書かれている通り、「大学に進学するモデルケースが周囲にあまりない」状況だったわけだ。

都市部の人と噛み合わない

時は流れ、現在は都市部で働いている。昔、新潟にラフォーレ原宿新潟というパラドキシカルな施設があったが、本物のラフォーレ原宿の近くで勤務している。

都市部だから当たり前かもしれないが、都市部出身の方が多くいらっしゃる。都市部で、進学校を経由して大学を卒業し就職する。そういったプロセスを経てきている人たちだ。

彼らの周囲は、おそらく大学へ進学する前提の人が多かったのだろう。大学へ進学している人が世の中の大多数だと思っているし、授業中に教室をうろつく授業などファンタジーだと思っている。学級崩壊はどこか遠い国のニュースなのだ。

この本ではその点にも触れられている。教育に携わる人は高SES階層に属しているため、どうしても視点に偏りがあるというのだ。そういえば中学校に配属される新任の先生たちの中には戸惑っている人もいたな。

こういったかけ違いは分断を生む。そうならないためにも、本書が訴えかけるように教育格差はあるものだと認識し、そこに立脚して解決策を考えていくべきだろう。

伝えたい人に伝わるか

もうひとつ、本書が触れているポイントで重要だと感じたのは「伝わるべき人に伝わらない」という問題だ。

情報は必要な人がとりにきてくれ、というスタイルでは必要な人に届かない。学習意欲が高い人のみが積極的に行動し、そこでまた格差が生まれてしまうー。

これも構図としては絶望的だ。しかし、その現実を知った上で、我々は行動していく必要があるのだ。

なにも大学に行くだけが全てではない、1億総インテリ化する必要はない。しかし、それは可能性を選べる状況で選んだとしたらの話だ。

3人の子供の親として考えさせられ、また行動しなければという気持ちが駆り立てられる一冊だった。

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