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野良1on1を1年以上続けて分かったこと

本記事は、1on1ミーティング Advent Calendar 2020の12日目のために書いた記事だ。

以前、「組織内で利害のない/薄い人と1on1をやる」という取り組みについてnoteに書いた。

その活動を1年以上継続してきて、わかってきたことがある。本記事ではそれを書き留めてゆく。

人は「野良1on1」に何を求めるか

直接の利害関係にない、しかし同じ組織には属している人物にメンターになってほしい、という動機は一体なんだろう。
幾人かとの野良1on1を経て、それはおおむね2つに分類できることがわかった。

・異なる視点が欲しい
・今の環境では相談しづらいことを相談したい

「なんかちょっと、あいつと話してみたら面白そう」という軽い動機と、
「なんとかしたい課題があるけれども、自分の周囲には相談できない」という切迫した動機。その両極端なものが、野良1on1には訪れる。

前者に関しては、「野良だからこそ組織上のつながりがなくても話せる」という特異性がある。しかし、これは接点があるかないかの違いだ。
後者に関しては、明確に野良である必然性がある。周囲に相談できる環境がないから、ある種の駆け込み寺として野良1on1に臨むわけだ。

以降は、後者の「野良である必然性がある」場合について論じていく。

野良だからできること

やはり、直接の利害にないからこそ話せる話題というのは存在する。

・忌憚ない意見
・自分の環境の常識から外れたこと

所属する組織の課題や、上司に感じているモヤモヤなどは当事者たる上司に伝えることは若干はばかられるものだ。

また、自分の環境では「社会人として当然だよね」「〇〇の人間なら、こう行動して当然だ」のように自明のものとして扱われている常識に違和感を持ったとき、それもまた自組織では相談しにくいものだ。
メタラーでギチギチになったライブ会場の真ん中で、「同じような曲ばっかりだね!楽器はうまいけど、売れる曲は書かないの?」なんて言ったら袋叩きにあうのと一緒だ。違うか。

とにかく、自分の環境では話せない/話しづらいことを話すことは、明確に「野良1on1」だから生み出せるバリューだ。

また、野良1on1で収集した情報をもとに、その相談者が所属する組織へそれとなく働きかけよい方向への変化を後押しする、ということもできる。これで自分の組織の一部がよくなる可能性があるわけだ。

野良だから気を付けるべきこと

結局は「野良」でしかない。利害関係がないところが利点だが、利害関係がないゆえにできることは限られる。上司と部下の1on1であれば上司が部下の環境を直接的に改善することができるが、野良だとなかなかそれは難しい。
どちらかというと、相談者が自分で考え行動できるよう支援するような働きかけがメインになるだろう。

という制約があるので、「なんでも解決してくれる」という依存を生まないように、自分で考えることをサポートする役割に徹することが肝要だ。

本当は、自分のチームで相談できるといいよね。

相談にきてくれるのはうれしいけど、本当にそれ自分の組織で話せないの?というのが気になるというのが本音だ。
なので、適宜「それって、自分のチームでも相談してみた?」という質問は挟んでいる。だいたいしていない。できない理由があるのだろう。

そう、「野良1on1」に駆け込んでくるということは、個人の悩みというよりは「相談できる心理的安全性の素地がない」組織側の構造のほうが問題だったりするのだ。

だからこそ、しばらくメンタリングを行っていたメンティーが「最近は悩みがなくなってきたので、いったん1on1終わりにしようと思います」と持ち掛けてくるときはうれしい。駆け込み寺としての野良犬が必要なくなる、そうなったときが、一番うれしいのだ。

もっとカジュアルに1on1を

もしかしたら、1on1というものを難しいものだと捉えているのかもしれない。少なくとも「課題の共有」については相手の顔色を窺いながら実施しているケースが多いのだろう。しかし、だ。自分のチーム外にいる謎のおじさんに相談せずとも、チーム内で相談できたらそれに越したことはないだろう。
もちろん、直接の利害にあるから言いづらいことはあるだろう。しかし、メンバー同士なら?そこに上下関係はないから、いくぶん話しやすいだろう。
そうして、チーム内で様々な関係性が生まれ、1on1が情報共有のネットワークとなってチームの風通しをよくしてゆくはずだ。

もっとカジュアルに1on1を。辻斬りのように、カジュアルに話しかけてゆく。そんな状況をチームに作っていけたら、素敵じゃないか。

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