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ぼくはキリギリス

寓話アリとキリギリスの働き者のアリと遊んでばかりのキリギリス、あなたはどっち?と聞かれたら僕は間違いなくキリギリス。小さな頃から今も変わらず。

だから夏休みの宿題はいつも8月の終わりになってからようやく手を付け始めて31日に終われば良い方で、学校が始まっても終わらず先生に怒られることもしばしば。その時は反省して来年は計画的にしようと決意するのだけれど、終業式を終えて僕に与えられた40日という圧倒的な質量の夏休みは僕の頭のスイッチを遊びに切り替えてしまい、勉強のスイッチはオフになったまま。そうして8月の終わりに残るのは後悔と宿題の山。8月31日は夏休みの終わりなのに友達と遊びに行けず、ひたすら机と睨めっこしなければならない憂鬱な日だった。

中学高校になっても変わらず、部活に明け暮れ、休みの日は勉強そっちのけで遊んでいた。大学ではスケールアップして3年間を遊びに費やし、4回生でコマをフルに使って単位を取得し何とか卒業。4回生でみっちり勉学に励んだ事で、その面白さ奥深さを知り、3年間勉強しなかったことを今でも後悔している。

社会人になってからは社会の枠にはまったことで、少しはマシになったけれども趣味に全ツッパしてからは仕事がどんどん嫌になっていってしまい、月曜日から金曜日までうんざりしっぱなしだと気づいた時に潮時を感じて辞めてしまった。次の行き先や展望は描いていなかったので、適当なノリで入った今の会社は、給料は安くなり、休みが20日程少なくなった。なんと計画性がなく、適当に人生を歩んでるんだろうと書いていて自嘲したくなった。

自分の中で8月の終わりが憂鬱でなくなったのはいつからだろう。人間関係や恋愛、進学とか自分にとって大きな悩み事が増えて、夏休みの終わりとか気にしていられなくなったのか。それとも休日の終わりを受け入れる度量が備わったのか。どちらかは分からない。ただ、大学の夏休みは9月の後半までだし、大人になるにつれて8月の終わりはただの日常へと埋没していった。今なんて不定休だから日付と曜日は時を表す記号でしかない。

流れに任せて辿り着いた現状に不平や不満はもちろんあるし、いろいろな困難に直面はしたけれど死にたいとは思っていないし、なんとか楽しくやっている。一時の絶望したくなるような悩みも時が解決してくれるし、ダメなら捨てたっていいんじゃない?なんとかなるさ。

そんな適当なノリで生きている僕は今でもキリギリス。

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