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台風台湾好吃好喝

台風が来た。

台湾でのスケジュールは、
初日夜:到着。寝るだけ
2日目:仕事デー
3日目:台南の嘉義で鶏肉飯食べ歩き
4日目:帰国
だった。

つまり、3日目にかけていた。しかし、3日目に台風は猛威を振るい、会社や学校は休みになった。もちろん、主要なお店もみんな。

バイク多いよね

台湾は、台風に慣れた国である。だから、休むことにも慣れているし、その前にスーパーマーケットにかけこむことや、デカい傘やカッパを所持することなどに慣れている。警報を確認して、雨と風を強中弱に分けて、それぞれ判断することに長けている。

強い雨と、時に強い風の中、それでも嘉義に行こうかと考えたが、結局嘉義市にも、警報が出て、ほとんどのお店が閉まることが決定した。これでは行ってもやることがなくなる。台南行きは断念した。

郵便ポストかわゆし
MR.BROWNのコーヒー。味濃い

日本とzoomを繋いで仕事をしていると、外から警報が鳴り響いた。台風でここまでやるのかと思っていたら、それとは違って「防空演習」というやつらしい。台湾有事に備えて、30分の間は外に出てはいけない。空襲に備えての避難訓練のようなものである。この国のリアリティを感じながら、日本の仕事を牧歌的にこなした。広告の仕事は平和じゃないと成り立たない。

いちばん地価の高い場所にあるフォード
Tシャツ買いました

台北のビルは、建物の一部が歩道にせり出して屋根のようになっている。まるで京都の四条みたいだななどと思いながら、雨風を避けて移動する。大理石の床で滑らないようにしながら。

こちらでは石が豊富に採掘されるらしい。調べてみたら、政府が大理石業にも力を入れてきたとか。南国の夏、日陰の大理石はひんやりしていて触ると冷たく気持ちいい。冬は寒いが、台湾は冬に備えない。家の中でもダウンを着てやり過ごすという。文化の違い。気候の違い。風土の違い。資源の違い。

残念ながら閉まってた店OMG

久しぶりに会ったSさん夫妻宅へ招かれ、お土産のノースフェイスキャップとミーゴレン、インドネシアのレッドブル(瓶入り)などを手渡す。いただいた梅の寒天のようなスイーツや豆花っぽいものなど、とてもおいしかった。甘さの解像度が高いというか、やさしい味わいが多い。京都生まれで薄味好みの自分にもフィットする。

台湾のゴミ捨ても見学させてもらった。なんと決まった時間に町内のみんながゾロゾロと外に出てきて、みんなでゴミ捨てをするのである。まるで祭りだ。ゴミ捨て祭りだ、わっしょいわっしょい、などと言いながら、分別したゴミを捨てていくのは楽しい。フェスっぽい。

ゴミ捨ては祭りだ
燃えないゴミは行列だ
燃えるゴミは投げ入れろ
ペットボトルはこっちだね

まだまだ人と人の繋がりがあって、システムとしても、人間性としても、あたたかみのある風習だなあ、いいなあ、などと思いながら店を出ようとしてSさんの傘がパクられているのを知る。あかんやん。

MRT(地下鉄)で移動するのが便利
関羽が眠る?


今回は台風で遠出できなかったので、ここからは主に食レポをお届けする。のっけからフリッカー現象でしましまになってしまった写真を見てほしい。何年カメラを持っているのだ俺は。

豆漿は豆乳のスープに揚げパンを浸して食べる朝ごはんである。ほのかな塩気がうまい。搾菜のようなものやラー油的なサムシングも味の立体感を強めている。口の中が優しいのに忙しい。懐かしいのに新しい。お母さん、と口が言いたくなるような味である。うまい。
仕事デーの打合せ前にウーバーイーツで届けてもらった小籠包。包まれたスープの旨さがすごい。塩っ気と甘味と醤油感のベストバランスが口の内壁のすべてを幸福で占領していく。この世に数ある液体の中で最もうまみ戦闘力の高い味わいである。少し甘くしてある豆乳も絶妙。
豆花。かき氷と豆腐のようなものと寒天的な何かとタピオカチックなサムシング。大きめのお椀をシェアして食べるのが楽しい。この国のスイーツを食べていると薄い甘さや濃い甘さ、中くらいの甘さなど、その程度も種類も幅が広く、スイーツ解像度の高さに驚かされる。
麺線。すするというより掬いとるイメージで食べ進める。豊かな滋味が染み渡る。まだこの種類のうまさを知らなかったのかと、脳のおいしいものフォルダが新設される。たくさんのパクチーが、口の中に爽やかなアクセントを与えてくれる。イカのような歯応えのモツがアクセントどころかスタッカートかつフェルマータな味わいをまったりと届けてくれる。
麺線と同時に頼んだ天ぷら。この国の天ぷらはおでんという意味らしい。少し甘いタレをつけて食べる。餅米を固めたものもうまいし、それ以外のおでんたちは、それぞれの個性が際立っていて、目移りする。結局全部口の中で染み込んだ汁によって幸福に統治される。あっというまに食べ終えてしまった。
嘉義式の鶏肉飯(ジーロウハン)。本当に合法なのか?と疑うほどの旨みが凝縮されたタレと、むちむちとした肉肉しい鶏がごはんを光速で減らしていく。お麩のようなもので巻かれたヘルシーな何かも美味かった。白菜やゴーヤのシンプルな野菜料理は忘れかけていた「苦いけどおいしい」「薄味だけどうまみを感じる」などの味の記憶をデフラグして再構築してくれるような快感がある。少年時代の舌を取り戻したかのような懐かしい味でした。
なんでわざわざIKEAに行くんですか旅行中に台風が来てるからって、と、指摘されそうだが、この国でしか食べられないものがある。それがこのドリアンソフトクリームである。かわいい見た目に騙されてはいけない。味はガッツリドリアンだ。くさっ、となるが、うまっ、となる。口中をドリアンの思い出でいっぱいにしよう。
S邸で出していただいたスイーツたち。梅の寒天のような爽やかな風が、京都生まれのひねくれた心をときほぐし、ジャストドンピシャの甘さと酸味で、幸せの閾値を更新してくれる。豆花のような飲み物?は、素朴でほんのり甘く、祖母の異常な愛情〜いかにして砂糖を使わなくなったか〜とでも言いたくなるようなやさしいおいしさの普遍性がある。
松江にある石頭楼を再訪。タレが自分で作れて、たくさんのおかずを選んで運んできて鍋にできるのが楽しい。結局お肉がいちばんおいしかったりもする。サテダレにおろしニンニクとパクチーまみれに醤油を少し混ぜて肉を入れて食べると、うまさのインフレーションが訪れ、脳が誤作動を起こす。必食である。
いつもより空いてました。まさか並ばず入れるとは

鍋料理を食べているとつくづく、ひとつのものを家族で共有する文化の強度を感じる。家族という単位を大切にするコミュニティの作り方は、個人主義的な欧米と比べて、むしろ新しい時代に生まれた形態であるという仮説がある。エマニュエルトッドおじいちゃんが確かそう言ってた。生き残るための戦略としても、家族とその一族でリソースをわけあい、協力する方がいいような気もする。

街の途中に、宝くじ売り場みたいなブースがあって、中におじちゃんがいたんだけど、それは、街中で困ったことがあったら助けてくれる人、らしい。生活と人と相互扶助の距離が近い。その近さは、懐かしいと感じると同時に、むしろ未来的なソリューションのようにも思えて、なんだかクラクラした。

この旅も終わりが近い。あとは明日の午後の便が台風で欠航にならないことを祈るのみである。午前便は既に欠航が決定している。明日は明日の風が吹く。935ヘクトパスカルの気圧差に負けず離陸してほしいものである。(明後日の午前に打ち合わせがあるので)

どの国でもIKEAにはサメ

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