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vol.113/ 地味で辛い、内省の先にあるもの

遠くに感じるけどいつか会ってみたい人っていうのは、友達の友達の友達の友達なんだって。だからいずれ会うことができるし、いずれと言わず辿れば会えるもんなんだよ。

以前上司に言われて心に留めていた言葉がこれだ。

当時は“ほへー、すげー”くらいにしか思っていなかったそれが、私の中で今では確信に変わっているんだからやっぱり凄い。



今日私はずっと会いたかった人に会いにいく。


あまり実感が湧かないし、ドキドキワクワクという浮かれた感じも不思議とない。ただ感じているのは成るべくして成る、そんな感じ。とってもスピリチュアル要素が濃く出ちゃいそうだが、望んだものはどうやっても手に入るようにできているし、夢は自然と叶ってしまうらしい。



ただこれをスピリチュアルで片付けてしまうのは私は何だか勿体無い気がする。だって私だけじゃなく、みんなみんな平等にこの機会は訪れていて、ただそれに気がついているかなんて思うから。



今まで無かったものが、有るになるまで


これまでのnoteにも綴ってきたから分かるのだが、こんなに内観/内省したことなんて人生で初めてだった。というか内観=客観性を養うことだと理解できたのも恥ずかしながらここ最近。これまでは内観と言ったら深く深く抜け出せなくなるくらい自分を掘って向き合い、客観性とは真逆の利己的な反省しかしない、そんなやり方しか知らなかった。

でもこのパンデミック以降、自分の中で向き合い方が大きく変わった。無いと思っていたものことは結構もうすでに有った。そう気が付けたのは鳥の目を持とうと意識したことがきっかけ。(目の前のことしか見えない、本当に視野の狭ーい人間だったのです…)
そして鳥の目を持つには、これまでのあれこれを疑っていく作業が必要でした。



私って視野の狭い人間なのかも知れない、自分が今信じているものって本当に大切なものなんだっけ?


という具合に疑ってみて初めて気が付けたことがいくつもあった。これはきっと確固たる軸というかコアがある人こそ難しいし苦しいことで、私はまさにそんな人間だったからとってもとってもしんどかった、うう苦しいーーー!!!と。
これを例えるならなんだろう?
生まれてからこれまでせっせと汗水流して築き上げてきた大きな大きな我が城を、自分の手で根こそぎ壊し崩していくような作業だろうか。(なんと書いていても苦しい…笑)



信じていたものことを疑うというのは、受け入れられなかったことを受け入れていくということで、無かったものを有るに変えられるということ。



もちろんそれらを受け入れていくには苦しみも伴うものだけど、(壊れた我が城を見るのはやっぱり辛い)それより城のせいで今まで見えなかった広く美しい世界があることを知れたということが、何より贅沢でこれからの人生の大きな財産になると思えた出来事だった。



Reflection is important.


とまあこんなに話が膨らむとは自分でもびっくりしているが冒頭の上司の言葉、これは統計学からの確率の話だったろうと思っているが、私はそれに加え目に見えない力やエネルギーがものだけじゃなく人をも引き寄せるんだろうと感じてならない。

実は今日会う人は友達を辿ったわけじゃない。
(もちろん辿ったら友達の友達の…ってことになるんだろうともちゃんと分かっている)
色んな巡り合わせ、タイミング、波長なんかのそれはそれは色んなものが組み合わさって今!なんだ。そんな風に数年前の私は絶対に思えなかったし、そんな考えにも至らなかっただろうなーとふふふと思っている。



題名通り、内省って地味で暗くて苦しくてしんどい。何がそんなに辛くさせるのかと考えたら、成長はあっても前進がないから。

だから辛い。

でもその先には必ず光がある。見たことのない世界が待っている。前進していないはずなのに、今まで見えていた世界とはまるで別物、これは向き合って疑って内省した人にしか分からない世界なんじゃないだろうか。

180°違うと言ってもいいくらいの変化、物の見方受け取り方、そして鳥の目を持つこと(=客観性、俯瞰性)。以前言われた一言がストンっと腑に落ちる感覚や、あの時の一言を今やっと受け入れられたのだとしたら、それは鳥の目を持ち、やっと自分を丸ごと見られたからだと思う。

それはとてつもなく地味な作業だけど、美しい作業でもある。



それでは8月もたくさんの愛をあげて、受け取って…♡



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