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vol.183/ “物事をパーソナルに捉えないこと”

コラムを読んでいて目にしたこの一文にハッとし、ずっと頭にこびりついて離れなかったここ数日。自分の視野が狭くなる感覚をヒシヒシと感じていたからこそ特に頭と心に残ったこの言葉は、私にとってグサリと強烈だった。



物事をパーソナルに捉えないこと
自分事のようになって受け止めてしまうのは、自意識過剰が原因なんじゃないかな



人はどうしても“ある特定のもの、こと”で悩んだり考えたり頭を使いだすと思考優位な状態が続き自ずと視野が狭くなるものだ。ここ数日の私はまさにこの状態で、“一歩引いて周りを見渡す余裕”なんてものは何処かしらに消え、ただひたすらにそのもの、ことで頭を一杯にする。


この状態こそまさに自意識過剰だったと思う。


私は今記した自意識過剰に陥りやすい人間で、ポン!と悩みができるとそればかりを頭の中に巡らせ、ああでもないこうでもないの繰り返し。さらには起きてもいないことばかりを気にしてまた考える…の堂々巡り。この状態を作り上げることは昔からの得意分野だ。(自慢にはなれない)
そんな私も年齢を重ねたり経験が増えていくのと同じくある時ハッとし、“一歩引いて見渡すことの大切さ”を学んだ。(つもりだった。)
がしかし、こうしてまたもやこの“今まで通りの、慣れた、私のやりやすいパターン”に陥ることもあるのだ。それが3月下旬。もう桜が咲くというのに、心がちっとも晴れ晴れしない日が数日続いて、続いて、タイトルの一文が目にとまる。
ああ、今の私は完全なる自意識過剰野郎だぜ。
そして立ち止まる。



然程相手は私の事など気にしてはいない。
大抵その程度なのだ。

(これが最良の解決策ではないかもしれないけれど)そこに気がつくスピードは以前よりは早くなった気がする。こう言う類の悩みやモヤモヤは、自分が“こう言う類の悩みやモヤモヤ”なのだと認めない限り話が進まない。それはもう何度も経験済みである。その気付き、認める段階があって初めて一歩引いて周りを見渡す視野の広さを獲得できるのだから。この小さな小さな、それでも大きな思考の転換を侮ってはいけない。



このような小さな小さな誰からも気付かれない内側の変化が、日々の選択を変え、人生を変え、自分を良い方向へ変えてくれるんじゃないかって思うのです。そして同時に、感謝の心や有難いという慈愛の気持ちが人を相手を支えると思うから。私は、あなたはみんなに愛されていて、みんなみんな大切な存在なのだから。
また今日から頑張ろう皆さん!


桜が咲く前にここまでの思考にたどり着けてよかった。モヤモヤのままでは桜を眺める気にはならないものね。一年に一度の桜の季節、そして新年度のスタート。様々な思いが交差し合うこの頃、視野が狭くなることがあったとしてもどうか自分を責めないでこの気づきに至るまでのプロセスを大切にしてみてくださいね♡きっと大丈夫!!

それでは4月、素敵な日々となりますように。
愛を込めて♡



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