見出し画像

vol.209/ 脳内に“こだまさせるように”。

ここに来て旅の予定が立て続けに入った。年末にひとつと、年明けにひとつ。今年は旅も含めた移動が多い年になりそうだと感じてはいたものの、思ったよりも動きは小さかったようにも思っていたから、ここで予定がポンポン!と入ったことが嬉しい。そろそろ旅に出かけたいなーと意図していたことは確か。そんな時に思いがけずお誘いがあり年末にひとつ決まり、そろそろあの景色が見たい!とふと思い夫に話したところ、その夫もまさに思っていたところだった!なんてミラクルがおき、年明けにもうひとう決まった。実にサラッとサクッと。何かしら物事が動く時とはまさにこのようなシチュエーション、サラッとサクッと流れに乗り、それがいとも簡単に叶っていく。




随分前に書いたこの記事、まだ17投稿目。(間違えた、0スタートだったので18投稿目。0スタートはとってもややこしい事をしてしまったと今更ながら思っている)久々にこの記事を読み返してみたらなんとちょうど9月の終わり、ちょうど4年前に書いた記事だった。執着の対義語を書いたこの記事を読み返すのは久々だったが、執着と断念については今も結構な頻度で脳内に“こだまさせるように”している。これは旅の意図と私は同様の行為で、“こだまさせる”は“頭の片隅に”、に等しい。どうにもこうにもあらゆる物事に執着しがちな自分は、執着の対義語が断念だという事実を知ってしまったその時からこだまさせるようになった。こだまさせると聞くと、何だか轟音のような感じがするだろうか。無論、私の脳内では心地良いクラッシックあるいは自然音のような“こだま”なのだ。そのような心地良いこだまを常に流し続けていると、冒頭の旅の予定がポンポン!と入ったことと同様、様々な物事に執着しがちな私を断念という選択肢もあるということや、中庸という真ん中のエネルギーもあるということに気づかせてくれるシチュエーションを用意してくれる。これはあくまで感覚なのだが、こだまさせることに関してのみ、確実に意図的なのだ。

力の入れどころ、抜きどころ。流れに乗っているのか、逆らっているのか。そして執着と断念、エトセトラ。これらどちらか一方に偏りすぎず、振り幅小さく常に行ったり来たりを楽しめたら良い。振り幅が大きくなる時だって私たちにはある!という前提で、そんな時は意図的に脳内に“こだまさせるように”すれば良い。自分が腹落ちした言葉なのなら、そのこだまは脳内で心地良く響き渡ってくれ、私をリラックスさせてくれるものになる。何かしら物事が動く時とはまさにこのようなシチュエーション、サラッとサクッと流れに乗り、それがいとも簡単に叶っていく。のだから。



明日から10月、心地の良い季節になってきました。
素敵な1週間になりますように!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?