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夕焼けの向こう側

先週のお彼岸の秋の朝に
小学校の同級生がガンで逝ってしまいました。

私自身はその同級生とは交流がなかったけど、
私の親しい同級生がその彼とずっと仲良しで親友でした。

まるで去年の私に起こった出来事のデジャブのようで、
他人事にも思えず、いろいろ考えてしまいました。

私の去年亡くなった幼なじみの親友もだけど、
先週逝ってしまった同級生も
話を聞く限りでは、
最後までまったく諦めていなくて、
ずっと懸命に辛い治療に立ち向かって、
仕事に復帰することや
好きなお酒を飲むことにこだわり続け、
そして力尽きたように空に昇ってしまいました。

本人たちにしてみれば、
やり残したことも多かったのかもしれないけれど、
私からすると、
彼らは諦めることも逃げ出すこともしないで、
立派に生き抜いて、すごいなぁって。

単なるスピリチュアル好きな私の知識では、
人はこの地球に様々なことを体験するために
わざわざやってくるらしい。
苦しいことも悲しいこともうまくいかないことも
それを体験するのが目的で、
何でも思った瞬間に叶ってしまう宇宙では
出来ないことを体験するプログラムになっていて、
苦しみってこんなのだった、
悲しみってこんな感じだったっていうのを
おみやげにして、魂は満足して
宇宙に帰るのかもしれない。

もちろん苦しみや悲しみだけではなくて、
それがあるからこそ、
喜びや愛情や感謝や嬉しいことが
決して当たり前ではなくて
より一層素晴らしいと感じる。

何でも苦労せずに願いが叶う宇宙では
あまりに単調でつまらなかったことが、
キラキラなことになるのかもしれない。
そうして生まれ変わる魂は磨かれて、
光にも影にも感謝できるようになるのかな。

元気で何とか楽しく生きている私なのに、
時々、早くも人生を立派に卒業して行った彼らが
ちょっと羨ましかったりする。

もう彼らは何も頑張らなくていいんだなぁって。

それはこれから自分に起こる怖いことや
悲しいこと不安なことを思って、
逃げ出したくなるからなんだけど
(だって私にはもう幼なじみの親友がこの世にいない、
愚痴や悩みを聞いてくれた人は先に逝っちゃった)、
でも、私がまだ元気で生きているのには
きっとちゃんと意味があるはず。
やるべきこともあるんだと思う。

人はいろんなことを体験するためにやってきて、
そしてその最終目的は結局幸せになることらしい。

「そこそこ幸せ」なんてことじゃなく、
きっちり幸せになって、人生って、
この世界って素晴らしいよって伝えることが出来た時、
私のこの世での修行は終了するのではないかしら?
と都合よく考えてみる。

そしてずっと仲良しがいなくなって
すごくすごく悲しかったけど、
だからこんなにいろんなことがありがたいよ、
そして半端なく素晴らしい幸せがその後に
ちゃんと待っていたよって
いつか私も宇宙に帰った時に報告しようって
思いながら空を見上げたら、
きれいな夕焼けでした。


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