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身の危険が近すぎるよアメリカ

 2週間ほど前に銃大好きマンの主張Tシャツに、週2回行く護身術クラスで遭遇したことを記事として残した。その後、さらに事態がネガティブ方面に盛り上がりをみせたのでいよいよ思い詰め、思い切って知人に相談した。端的に著すとこうなる。銃大好きマンがTシャツでその思いを主張した翌週の護身術クラスで、銃大好きマンの友達が今度は”MAGA2024”と書かれた真っ赤なTシャツを着てきた。ちなみに同日、銃大好きマンは”Blood Sweat & Tears Boot Camp"というTシャツを着てきた。大好きだなそういうの。私はそこまで精神的に幼稚ではないので誰が特定の政党のTシャツを着てきても顔をしかめたりしない。ただ、その政党もしくは主張が意味するところが排他主義や他人を傷つけるアクションを支持したり加担するようでは話が違う。しかも今回は多数の新聞や学者から「レイシズムを呼びかける/煽るスローガン」と繰り返し指摘されてきた文言である。この場合のレイシズムは私個人にも向く悪意、攻撃である。むしろ私の立場で見過ごせる人がいるのか、と思っていたら居た。私の感じる身の危険や居心地の悪さを共有した在米日本人全員が「不快だけれどあり得ること」と言った。もちろん私も同感だが、お互いがグローブを付けてパンチ、キックを繰り出したり実際に相手の身体に触る護身術を練習する場でそのTシャツを着て「えっへん」と参加する人物と相まみえるのは御免被る。もし万が一なにかがあったときに、一体そのレイシストマッチョから誰が私を守ってくれるだろう。自分を守れるのは私しかいないのに。
 護身術教室はこの1月で車で約15分の街に引越ししたが、それを機にクラス参加者の層も変わった。アメリカは小さな街でも主要産業によって住む人の政治的思想も変わってくる。私の住む街は小さく穏やかで、たまに車の半分ほどのサイズの巨大星条旗を荷台に3本もたなびかせて走るピックアップトラックを見かけるが(平日の昼間に)それでも穏やかな方だ。しかし教室の引っ越し先の街は違う。複数のレイシストがスキーマスクを付けて差別的な言葉を横断幕に掲げて幹線道路沿いに出没する場所だ。去年、その横断幕を自作のカウンターサインボードで隠して講義した少女は私の尊敬する人の一人だ。それは置いておいて、反射的に「もう4月からクラスをやめようか」と思った私だが一応通いたくてお金を払って2年半も続けているクラスだけに、こんなピーのために辞めたくはない。しかも講師夫妻とはもはや親戚ぐるみの大の仲良しだ。ということで、この4月は様子をみながら参加することにした。もしかしたらそのピーたちもTシャツの洗い替えがなくてそれらのモザイクが必要なTシャツを着てきてしまったのかもしれないから。まごうことなきピーだと断言できるまでは決めつけるのはよくない。どんなTシャツを着てスーパーに行くのも、散歩に行くのも旅行に行くのももちろん個人の権利だ。今回の問題は、政治的主張のある(しかも特定の集団に対して攻撃的な)Tシャツをわざわざお互いの身元がある程度分かる、かつ特定の人達が毎週集まる空間に着てきたことだ。私が意見をきいた皆さんは口々に「彼ら(ピーたち)はきっとそのTシャツを着ることで誰かが不快な思いをするなんて思ったことがないだろう」と話していた。私もそう思う。そこがポイントではないのだ。そうやって公の場で思いやりのない相手に誰かが不愉快な思いを強いられる状況に気付いて見過ごすことの害悪について考えないことがポイントだ。