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相談しずらいアメリカならではの悩み

 このところハチドリ観察で癒しを得ていたが、アルバイトが週3から週4になりnoteに書きとめる気力が低下していた。写真は撮りためているので近々また記録を残したい・・・
 アルバイトでも一人前に仕事が回せるようになり、ミスもほぼ無くなった。1か月ほど前にアルバイト先のレストランの床で滑って転び膝を痛めていたがそれも治った。ということで実に3か月ぶりに護身術クラスに参加した。先生たちが地元の公民館から20km離れた町のジムに教室を移したので少し通うのがおっくうにもなっていた。これまでの生徒さんはついていくんだろうか、私が戻れば少しは収入的にも先生たちの助けになるだろうか。そう思っていたが一昨日行って驚いた、8人もほかに生徒がいた。しかも7人は新顔でペアになった女性に「もっとこうしたほうが」などいろいろアドバイスをもらった。「いや、そうじゃない、私の方が2年以上通って知っている」とはやんわり優しく伝えたが親切な女性だった。しかも脚が体の半分ある・・・
 生徒の一人にこう背中に書いてあるTシャツを着ている人がいた。それを一瞬で読んで青ざめた(精神的に)。見間違いではないかとたしかめるためにもう一度見た。今度は2秒くらい。間違いてはなかった。正直なところ「また来たか」とも思った。そのTシャツにはこう書いてあった「I'm willing to die to protect my right: Second Amendment, Are you willing to try to steal it?」。Second Amendmentとはアメリカ合衆国憲法に記された”一般人が自己防衛のために銃を保持する権利の保障”の章のことを指す。つまり日本語にすると「私は銃を持つ権利を守るためなら喜んで死ぬ。試してみるか?」である。ちょう怖い。私は長年暴力に怯えた経験がある。銃をはじめ他人に致命的なダメージを与えられる物はすべて怖い。だから自分の身一つで自分を守りたいと思って護身術を習い始めた。護身術教室になら、同じように物に頼らず自分の身体だけでと思う人が来ると予想したがまったく当たらなかった。そもそも先生夫妻が銃を持っている。それを知ったときには「何度も家に遊びに行ったのに・・・(冷や汗)」と肝を冷やした。以前にもnoteに記録したが、銃が保管されている家には行きたくない。使う人間を信じきれないからだ。誰でも人間ならミスを犯す。その理論で考えると銃を保有する人を怒らせたり、私がその人に対して脅威になったときにその人がなにをするか・・・私は無防備なままでなにもコントロールできないのだ。護身術では銃を向けられたときの対処法も習得したが、あくまでも踏み出せば手が相手に届く範囲での話だ。そもそも対処法の第一は「危険を目視しし、評価したうえで逃げる」である。
 ”相手をなにかあれば自分の手で殺す権利があると信じて疑わず、さらにそれをTシャツにして他人に知らしめたいと思う人”と同じ空間に居ることに寒気がした。私は銃について特にセンシティブかもしれないが、それは自分の命に係わることである。どれだけ他人に害があるか、その人は知っているだろうか・・・このサイトでも情報を得ることができる。とにかく、そのような主張の人がいる護身術クラスに通うこと自体をやめようかと思い始めた。誰かに相談することではないが、知り合いがどう思うかは聞いてみたいと思った。とはいえ、相談しずらい。何故なら政治談議と同じで誰がどう思っているか、ましてや銃保持者かもわからないからだ。とりあえず今月は月謝を支払ったばかりなので継続するが、続けたいと思っても嫌悪感が勝るようでは難しい。これを読んで下さった方、あなたならどうしますか。