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動物園を考える② 【ゲスト:佐藤栄記さん(動物ジャーナリスト)】——動物にまつわる思い込み


※ ①のつづきです。

※動画の内容を一部、加筆・修正しています。
   


動物園の新しいとりくみ——人間主体から動物主体に


——動物園のように、常に人間に見られているような状態というのは、野生動物たちにとってストレスになるんでしょうか?

佐藤 もちろんなります。有名なのは、日本で最初にパンダ(カンカンとランラン)がきた時は、すごい熱狂の中でぜーぜー言っちゃってたらしいです。最初からそういう事態になることはわかっていたので時間制限したりしてたんですが、パンダの脈拍はだいたい人間と同じくらいで60〜70くらいしかないんですけれども、緊張して途中で脈拍数が200超えちゃって、獣医が「とりあえず一回やめよう」と言ったらしいです。

 すべての野生動物にとって、人間とふれあったりすることはもともとのライフサイクルに仕組まれていませんから当然嫌なわけです。よく「ふれあい動物園」で、モルモットがおとなしくしてるじゃないですか。だからモルモットって「ふれあい」が好きなのかと思われちゃうんですけど、モルモットというのは人間がつくりだした種類であって、元は天竺ねずみという野生のねずみで、岩蔭に住んでいる臆病な動物です。それを、人に慣れている個体をかけあわせて、だんだんあのような家畜にしてきたわけですけど、実はモルモットになっても人間が嫌で、慣らすまでに1ヶ月や2ヶ月、長いものでは3ヶ月位かかるらしいんです。最終的に人間に慣らすことができなくて「ふれあい動物園」に出れないモルモットもいるくらい。犬とか猫というのは特別な存在であって、通常の動物は人間が近くにいるだけで嫌なわけですね。 

 なので近年の動物園では、人間の目線から隠れられるような場所をつくるというのが当たり前になっています。日本でも動物園水族館協会の心ある人たちが、少しずつそういうことを言い始めている。今はよこはまズーラシアの園長さんが会長をやっていて、その人はキツネが好きなんですが、ズーラシアのキツネというのは園長でさえ一ヶ月に1回か2回くらいしか見られないらしいです。それはなぜかというと、隠れられるスペースを作っているから。園長も一ヶ月に一回くらい、「今日はラッキーです。キツネが見られました」と写真を撮ってSNSにアップしていて、「それでいいんだ」と言ってるらしんですね。そういう時代になってほしいな、と思います。

よこはま動物園ズーラシアHPより https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/zoo/zoorasia/details/post-4350.php

 もちろん、映画に出ていた宇都宮動物園なんかは、いまだに典型的な檻で、床はコンクリート。こういう動物園が、動物のことを思う人々の声によって衰退していく時代が来ないといつまでたっても不幸な歴史は終わらないなと思っています。

——今は、「行動展示」や「生態展示」「エンリッチメント」といった取り組みもだんだん行われているようになっていますね。人間主体ではなく動物に合わせて動物園のあり方を考えていくような取り組みになっていったらいいなと思います。あと、動物園の代わりになるような、ライトアニマルといった取り組みもあるので、動物園に変わるような技術もどんどんできていってるんじゃないかと思います。

【行動展示・生態展示・エンリッチメント】
「行動展示」(行動学的展示)は、鳥を大きなケージで飼育し飛べるようにしたり、サルが木々や塔などの建築物を上り下りできるようにして、動物が本来行なっている行動や生態を見せるように工夫した方法。日本では旭川市旭山動物園で有名。
「生態展示」(生息環境展示)は、野生動物が暮らす生息環境の再現をめざしたもので、長野市茶臼山動物園の「レッサーパンダの森」などが知られている。
「エンリッチメント」は、たとえば、さまざまな浮力の樽をプールに入れ、ホッキョクグマが飛び乗って遊べるなどの工夫を行なうことで、エサを与える場合も、目の前に置くのではなく、わざと見えない場所や取りに行きにくい場所に置くこともある。日本では、2002年から、「市民ZOOネットワーク」が動物園を対象に「エンリッチメント大賞」を作って動物園の取り組みを支援している。上野動物園のゴリラ、天王寺動物園でのホッキョクグマなどに行われている。

生田武志『いのちへの礼儀 国家・資本・家族の変容と動物たち』(筑摩書房、2019)参照



動物にまつわる思い込み——痛みを感じないってほんと?


——映画の中ではヤマアラシが、真夏にもかかわらず屋外で飼育されて、凍った湯たんぽに張り付いたままじっとしている姿が映されていました。その後まもなくして亡くなってしまったそうですが、あの死はどうにか防げなかったのかと悔やまれてなりません。

佐藤 野生のカナダヤマアラシは僕も見たことはないんですけど、カナダヤマアラシというくらいなので、カナダのような寒冷地帯に住む動物です。それを、そもそも甲府なんていう日本でも最も暑いところの一つで、しかもあんなオープンな場所で飼うなんていうのは、その時点で虐待じゃないかというふうに僕は思いますね。

——あれを見るとネグレクトにしか見えないです。

佐藤 ネグレクトといってもいいんじゃないですかね。

――前回の座談会ではアニマルライツセンターの方々にゲストにお越しいただいたんですけど、代表の岡田さんが「日本人はネグレクトに鈍感」とおっしゃっていました。たしかに今日の映画も、いってみれば全編ネグレクトですよね。キバタンのところで出ていた動物園のスタッフさんが、「慣れてしまうとそれがおかしいことだとわからなくなる」とおっしゃってましたが、異常な環境でも、見慣れてしまうと麻痺してしまって、そのおかしさが認識できなくなる怖さがあると思いました。

佐藤 あんなことを堂々と言っちゃうという時点でね。この写真をみていただくと、猿の顔が黒ずんでますけれども、50番と8番のところに刺青を入れてるんですね。猿ってなんとなく似てるので、ユニフォームを着せるわけにはいかないから、識別番号みたいなかんじで、昔からこうやって顔に刺青を入れてたりする。これは都立動物園で今も行われていることです。囚人だからって人の顔に「こいつは何番だ」と刺青するのもありえないし、動物園の動物だからってこんなことがあっていいわけないんですけど、上野動物園の猿もよく見るとちっちゃく入ってる。この写真は井の頭自然文化園なので、どっちも都立の動物園ですけど、こんな悪しき風習があっていいわけがないし、それを「情操教育の場だ」なんてよく言えるものだなと思います。

井の頭自然文化園(ゾウのはな子さんの居た動物園)のアカゲザル
猿の顔に刺青をいれる用の識別番号

 さっき栗田さんがおっしゃったように「動物園はいいところだ」という刷り込みがあるし、深沢さんがおっしゃったように「動物園のスタッフは動物のことを熟知している人だから当然動物に変なことはしてないだろう」という思いこみが僕らにはある。たとえば、象の飼育でカマみたいな道具が使われていますが、昔、ある有名なところの園長さんに「あれは痛くないんですか?」と聞いたら、「あんたバカね。象は皮膚が厚いんだから、象にとっては痒いところを掻いてもらっているようなもんだよ」と言われて、周りのスタッフもみんな同じことをいうから、「あ、そうなんですか」と僕も納得しちゃうわけです。

 でもよくよく考えると、はな子さんの飼育係は、はな子さんが亡くなってから「象というのは蠅が一匹止まってもわかるくらい非常に敏感」だと言っていて、話が全然違うんですよね。現役ではなく現場を退いた人の言う言葉は真実味がある。その証拠として、痒いところを掻かれているくらいじゃ普通いうこと聞かないですよね。魚釣りでもそうで、僕ら子供の頃は、「魚というのは痛点がないから針で刺されてもなんともない」と言われて、安心して釣りを楽しんでいたんですよね。でも痛くもないのになんであんなに暴れて苦しがるんだろうと、大人になると違和感を持つようになる。そうすると学者たちが、「魚が痛みを感じないというのは嘘っぱちで、魚だろうがエビだろうがカニだろうが、みんな痛みや苦しみは感じるんだ」と発表し出したりして、そりゃそうだろうな、と思うわけだけれども。

 僕らはどこか神頼みで、「痛くないよね。苦しくないよね。だってこんな専門家たちがやってることなんだから間違いないよね」というふうに勝手に心に逃げ場をつくっているだけなんですよね。そのせいで救われない動物たちがいっぱいいるということを絶対忘れちゃいけないと思います。

生田 動物園に行ってみんなが楽しそうにしているのが不思議で、虐待状態の動物を見て楽しんでいるというのがよくわからないところがあるんですよね。僕が動物園に行っていつも心苦しく思うのは、ホッキョクグマとかヒグマがひたすら行ったりきたりと常同行動しているところです。人間でもどうしようもないとき部屋の中ぐるぐるしたりしますけど、あれは退屈で仕方がないからなっている状態だと思うんですよ。

 動物園(“zoo”)と精神病(“psychosis”)という言葉から、「動物園精神病(“Zoochosis”)」という言葉があります。動物たちは苦しくて仕方がないからやむを得なくてやっているんだけど、映画の中でもあったように、人間はそれを見て「象が踊ってる」「楽しそう」とか言ってるので、それ自体がグロテスクな感じがしました。

 栗田さんの話で、学校では一種の情操教育として子どもたちを動物園に連れていくということが行われている、という指摘がありましたが、むしろ学校は、佐藤さんの映画を子ども達に見せてから動物園に行った方がよっぽどいい、と思いました。



 「種の保存」はできているのか?——ブリーディングローンの実際


——教育の影響でわたしが特に問題だと思うのは、動物の生殖の管理をするという問題です。人間が動物を管理するということは、どうしても生殖を管理することになる。畜産もそうですが、だいたいまず動物園って男女二元論(メス・オス)前提で、交尾する相手を人間に決められてしまって自分で選べない。ニューヨークでも以前、メスのゴリラが交尾を嫌がったからプロザック(抗うつ剤)を飲ませられるということがあったといいますが、これはもはや性暴力だと思います。こういうことは日本でも行われているんでしょうか?


栗田
 パンダは人工的に交配させるといったことをよく聞くよね。「無事子どもができました」と、それが喜ばしいニュースのように流れる。パンダを興奮させるためにどうするかとかを、嬉々として報道しているような印象がありますよね。

佐藤 それが動物園の仕事みたいなところがあります。「希少動物を種の保存として増やしているんだ、だからいいんだ」という動物園の建前であって、実は金儲けが目的になっているんですけど。なぜなら、種の保存がしたいなら展示しませんよ。展示してるだけでストレスがかかるわけですから、本当に種の保存をしようとしているところは、コウノトリでもなんでも、一般開放する部分はほんのちょっとで、なるべく静かなところに動物を置こうとしてるんです。

 だけど動物園というのは、さきほどゴリラを無理やり交尾させるという話もありましたけど、それが仕事なんですね。だから今、「ブリーディングローン」という言葉もあって、たとえば「ゴリラが一番絶滅が近い」といわれると、全国のゴリラを集めてなんとか子どもを作ろうとして、繁殖すると盾をもらって「〇〇繁殖賞」「はじめての繁殖に成功!」と、鬼の首を取ったように「これが動物園の力なんです」と自慢する。でもそれで種の保存ができたかというと、たとえゴリラが一頭生まれたとしても、そのゴリラが自然に行けるとかというと絶対に行けない。種の保存といっても本当にDNAの保存、博物館と同じようなレベルの種の保存でしかなくて、野生のゴリラはそれで増えるかというと増えないですね。むしろその度に野生から獲ってきちゃっているから減っていく一方なんです。

 そのいい例がラッコです。1994年には日本の水族館に合計122頭のラッコがいたんですが、それからだんだん減ってきて、今は3頭しかいないんです。もうそこから先は増えない。なぜならオスとメスで飼っているところは1館もないからです。また、井の頭の自然文化園にはカワウソが一頭いるんですけど、それは福島マリンパークで3頭飼っているうちの1頭をつれてきちゃったんですよね。だから最初から本気で増やそうとは思ってないはずです。ラッコでいえば122頭もいて、日本はラッコの繁殖技術が一番だと豪語してたんです。それが結果的にダメだった。なぜかというと、ラッコというのはものすごい神経質なんですよ。水族館がリニューアルして100m展示場が移動しただけで、調子が悪くなって、下手したら死んでしまったりする。そんな動物を、たくさんの人間に展示しながら繁殖をするなんていうのは虫の良すぎる話です。

 象に関しても、最初の一頭が生まれるまでに100年かかってるんです。今、日本の近海にもいたラッコは毛皮の乱獲でほとんど絶滅しちゃったんだけど、今、野生のラッコは回復しだしていて、北海道の東のほうの岬で繁殖が確認されているんです。かたや種の保存だなんだと言ってた方は全滅。それが真実なんですね。



「笑い」の残酷さ——“ラップを破る毛蟹”をネタにするメディア


佐藤 さきほど生田さんがおっしゃってた「おもしろがっている心理がわからない」というのと同じ話を今日はしたくて。一昨日くらいからテレビの各局で、“ラップを破る毛蟹”が報道されています。僕も生きたままロブスターがラップに包まれているのを近所のスーパーで見て、心苦しくてその晩眠れなかったんですけど、毛蟹はよくこういった販売方法で売られているんですね。岩手がどこかで、毛蟹の活きがよくてラップを突き破っている様子を各局——最初はテレビ朝日、そのあとはフジテレビ、昨日はTBSが、自分たちのメインのニュース番組で流して笑いのタネにしてるんです。

 動物が生きたままラップに包まれて、恐怖に怯えて、窒息状態で必死に逃げているところの、何がおかしいんだと。これは何が悪いかというとマスコミが悪いですよね。ジャニーズ問題もそうだけど、本当のことを言える人がいない。言うと立場上悪くなって干されちゃったりする。動物園にしろ、こういう食用の動物にしろ、そういうシステム自体、人間の倫理観から根本的に考え直さなくちゃいけないと思っています。

生田 蟹がラップ破るのを笑うのは、ゴリラが檻を叩いているのを笑うのとほとんど同じですよね。

佐藤 同じだと思います。それを笑いにするという心理が僕にもわからなくて。堂々とそう言える人間がいると「たしかにかわいそうだよね…」なんていう話になるけど。僕も母と一緒にそのニュースを見ていたんですが、演出でコミカルな音楽をつけて、アナウンサーが笑ったりするから、母も一瞬笑ったんですね。だけど、僕がものすごく不愉快な顔をしてたのをパッと見て、そしたら母は「かわいそうだよね」と言った。みんな本当は「これ笑うどころじゃないだろう」とわかってるんですよ。

栗田 「笑い」って怖いな、と改めて思いました。笑いにすれば許されることのようになってしまう。この毛蟹のニュースのように、音楽もつけて、演出でいくらでも「笑い」ってつくれちゃう。子どものいじめだって、「(周りや場合によってはいじめられてる子どもが)笑ってるからいいと思った」とか言うけど、たしかに、キラーコンテンツとなるものと、笑っているものって近いんですよね。人間は笑っているときに残酷なことをやっている。子どもに対してもそうじゃないですか。子どもが一生懸命やってることを笑ってたりする。

 お笑いでも、今まで笑ってきたことが本当に笑っていいことなのか?ということはいろんな視点から出てきたと思うんですよね。それこそ、人の容姿を「ブス」といじるとか、人のセクシュアリティに関してゲイであることを笑いにするとか。「そういうのはおかしいんじゃない?」と、今、少しずつ変わっていっているから、それと同じように動物のことでも少しずつ顧みていくことが大事だなと思いました。

佐藤 動物園についても、意見を言う人はだいぶ増えてきています。甲府の遊亀公園附属動物園というところは、甲府市ができて100年記念とかで予算が下りたらしくて、全面リニューアルをしてるらしいです。パブリックコメントも求められていたので、僕、この映画を甲府市の動物園の担当の方に送ったんです。今、リニューアルされているところなので、そこは期待したいと思っているところなんですが、僕がこの映画作った後、観た人がかなり根回ししたみたいで、映画の中で自分の糞を被っていた象のテルさんのところにも砂が入れられました。当時僕が取材していた頃は一日に70%くらい常同行動していたんですけど、最近調子のいい日は一日30分くらいに常同行動が減ったという話も聞いています。だから、こうやって本音で言う人が出てきたり、大学のハラスメントを看過しない会のように会ができたり、こういう上映会をやっていただいたり、市民の草の根的な運動はバカにできないので、地道で微力かもしれないですけどこれからもやっていきたいし、「毛蟹がかわいそうだ」と堂々と言う勇気というのは必要だと思っています。

生田 獣医のなかのまきこさんから教えてもらったんですが、映画の中で一番はじめにでてきた井の頭自然文化園では「ヤマネコ祭り」というイベントをやっていて、ヤマネコを展示するのではなく、生物保全に取り組んでいる団体やグループのパネル展示をやったり、飼育員さんがヤマネコの生態や現状を解説したりという啓発活動をやっているそうです。そうやった形で井の頭もいい取り組みやっているのかな、と思いました。



閉館した水族館に取り残されて——イルカのハニーの死


生田 佐藤監督に伺いたかったんですけど、今回の映画は動物園がメインでしたが、水族館について映像作品をつくるとしたら、どういった問題をとりあげられたでしょうか?

佐藤 実は水族館を撮った映画もあるんですよ。『かわいそうなイルカやウツボの物語』という映画がAmazon Primeで観れるので、ぜひ観ていたければと思います。

 2018年の1月31日に閉館になった犬吠埼マリンパークという水族館にイルカが一頭いまして、これは和歌山県の太地で捕獲された野生のイルカだったんですけど、それを閉館するから譲渡するといってたのに、なぜか残したんですよ。閉館した廃墟の水族館に。毎日飼育員がきて餌はやるんですけど、フンボルトペンギンも46羽残されていました。

 表にあった水族館だったので、イルカの様子が藪の隙間から見えるんですよね。僕はそこに何回も通って見に行ったんですけど、これはちょっと異様な風景で、何もなくなった水族館にイルカが一頭でぷかぷか浮いてるんですよ。結局、そのイルカはそのなかで孤独に2年2ヶ月生きて、ボロボロになって死んでしまいました。

 結局、水族館も動物園と悪い部分は同じなんですが、たとえばウツボなどは象と逆で、本当は単独で飼育すべきはずなのに、水槽にたくさん入れてグニャグニャした様子を展示したりしています。そういった問題点を徹底的にさらけだした映画を今配信しているので、またこちらの上映会の第二弾としてもやっていただければと思います。

↑ 3年前に閉館になった志摩マリンランドで展示されていたウツボ

 僕がよく言うことなのですが、「水族館に200の水槽があったら、200の悲しい物語があって、一つずつの水槽で全部映画作れます」という話をしてるくらい、水族館は本来の生態とかけ離れています。たとえば、深海のタカアシガニは今ではどこの水族館にもいますけど、深海なんていったら真っ暗なはずですよね。なのに、人が見えるように一日中照らしている。それは人間に置き換えれば、太陽が3つくらいあるところで直射日光をあびて展示されているのと同じです。水圧だって深海とは全然違うわけで、そんなのをひとつずつ考えたらものすごいことなんですね。

 野生動物を人間が飼育するということは、無理があるんです。生田さんさっきおっしゃいましたが、アニマルライツセンターの岡田代表も「少なくともホッキョクグマといった動物は絶対飼っていること自体に無理があるはずだ」と言っていて、僕もそう思います。

生田 最近大阪でもフクロウカフェとか増えてきてますけど、あれも同じですね。ある意味もっとひどいかもしれない。

佐藤 もっとひどいですね。完全に拘束していますからね。フクロウのような夜行性の動物を日中晒している。場所によってはお客さんに糞をしないように水や餌を制限してるという話も聞きます。そこに行くのがだいたい自称「動物好き」の人たち。自称「動物好き」の人たちが、「水族館のイルカ大好き」となるので、そういう人たちにまず気づいてほしいなと思っています。

——みんな悲惨ですけど、イルカのハニーは特に悲惨・・・。頭のところにシワができて、本来のイルカの姿をしていないですよね。

(※ 深沢註:動画中で話していた、“折れた背びれ”の話は、映画『ブラックフィッシュ』で出てくるシャチのティクリムの間違いでした。)

佐藤 『かわいそうな象を知っていますか』も2024年の春には配信するつもりでいます。こういう映画を公表することは、やっぱり動物園関係者を責めることになるので、なかなか踏ん切りがつかなくて、僕の中にもジレンマがあったんですけれども、そのあいだにも被害にあっている動物たちが救われないというのでは筋が通らないので。僕が訴えられるようなことになろうが、戦っていく人間がいないと世の中は変わらないので、こういうことをひとりでやってますけどね。



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★現在、日本動物園水族館協会が、これからの動物園・水族館のためにアンケートを行っています。ぜひ、皆様の声を届けてみてください。

https://www.jaza.jp/storage/jaza-news/5uTG5kStWppb8G5HOJ2vwUIJjJ205Xv3quP8Ia02.pdf




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