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世界の動物運動から⑤不完全さをシェアする【ゲスト:アニマル・アライアンス・アジア】

*④の続きです。


友達を運動に巻き込む方法


 わたしは今26歳くらいなんですけど、どうやって友達をヴィーガニズムや社会運動に巻き込んでいけるかなと考えます。小中学校は普通の公立高校に通ってたんですが、教室の中でさえ自分の意見を言えない子ばかりで、ちょっとでも目立つと気まずい雰囲気になったり、変な目で見られたりする環境がありました。クラスの中の1人や2人が、レナさんやわたしみたいに何か表現を始めたりして出会う、という感じだと思うんです。小・中学校、高校、大学から、大学受験や就職とかで、アクトすることや表現することへの自信やポジティブなパワーが奪われ尽くしている。でも3人のお話を聞いていると、そういう路線とは自ら違う方向に行った人たちだな、というのを聞いていて感じました。

 それって羨ましいとも思うし、勉強になるんですけど、わたしの地元の友達や、大学に行ってない人まで巻き込んでいけるような運動や連帯の仕方を考えたくて、何かあればコメントくださると嬉しいです。

かほ わたしもそれは考えていて、今、友達と岐阜から若者の政治意識を変えていこうというグループの活動もしています。2年ほど前に、衆院選の選挙に行った人たちは大卒の人が多かった、という統計を見て、自分たちが出している情報がどれだけアクセスしにくいものだったか気づいたんです。自分たちは「この問題とこの問題は関わるから分かるよね」みたいな感じで情報出してるけど、意外とそれって一般的にはリンクしにくかったりする。ベーシックなところからの説明もしなければいけないと、考え直さなきゃいけないなと気づきました。

 あと、労働問題はもちろんみんなに関わる問題だけど、大学に行っていない人の方が影響が大きかったりすることもあるので、じゃあ1番影響を食らってる人たちをどう巻き込んでいくのか、というのはわたしたちの運動の課題だと日々感じています。まだ答えは出せていないんですけど、勉強だけではなく、楽しい運動を模索していくというのは、1つ方法としてあるのかなと思います。

エリー この問題はわたしもずっと考えていることで、これといった答えはないんですけど、今日一緒に話してて気づいたのは、かほさんもわたしも高校で馴染めずに、行くところが海外しかなく、海外に行って活動を始めた、という共通点があると思うんです。そういう人たちがこぼれないように、一緒にディスカッションできたり、活動できたりするスペースが日本にあるだけで全然違うと思うので、そういうスペースを提供することっていうのが第1なのかなと思います。

 あと、メラニー・ジョイというヴィーガンの心理学者の方の本を読んで勉強してることですが、誰かに「思やりを持って」とか「これに関心を持って」と言っても、残念ながら押し付けることは絶対にできない。わたしたちとしては、みんなに動物のことに関心を持ってヴィーガンになって欲しいけど、心理学の実験で、「(ヴィーガンになる)最初の入り口はあまり関係ない」というデータが出てるらしいです。たとえば入り口が「美味しいヴィーガンのお菓子を食べたから」といった、全然関係ない理由でヴィーガンになって、あとで動物の問題に意識を持つ人もいて、実際にそういう人もたくさん会いました。そういう楽しい入り口をたくさん作って、ヴィーガンになりやすい環境を作っていくというのも大事なのかと思います。

有希 やっぱり日本では、関さんも言っていたように、出た釘は打たれる。でも、過半数の人たちが合意するようなものだったら参加しやすい。例えば、誰でも犬や猫は好きだとか、健康には関心があったりする。僕もパートナーの沙也香とInstagramで発信しているんだけど、どうやって一般の人たちに関心を持ってもらうかというのは考えています。やっぱり多くの人たちが普通に関心があることというのは、自分の健康や子供の健康のこととか。だから、さっきエリーも言ってたように、入り口は健康でもいいから、そこからだんだんじわじわと、動物の問題も発信していくというアプローチを僕たちはとってます。

エリー 他の社会問題には関心があっても、肉を食べるか食べないかのディスカッションになると自己防衛してしまう人が多いというのは、自分がその暴力に日々加担してしまってるという罪悪感があるからだと思うんです。

 これも心理学の実験で読んだんですけど、自分が加担しなくなったものには思いも入れやすい。例えば、「正義のためにヴィーガンにならなきゃいけないんだよ」と言われても、自分が実際に今肉を食べてたら「もう聞きたくない」となってしまうかもしれない。だけど、美味しいヴィーガン料理を振る舞った後に、「実はこういう問題があるんだよ」と言ったら、その人もちょっとそっち側の人間になっているから、メッセージが受け入れやすい状態になる。だから入り口は他愛のない、一緒にヴィーガンカフェに行くといったことでもいいのかなと思います。

かほ アメリカのフェミニストでロクサーヌ・ゲイっていう方がいて、彼女が“バッドフェミニスト”という、「不完全なフェミニスト」を 掲げて宣言しているんですが、フェミニストと言っても、わたしたちはフェミニスト的ではない文化に囲まれて生活している。例えば、ピカソってセクハラで有名ですけど、わたし『ゲルニカ』のポストカード飾ってるし、そういうコントラディクション(矛盾)、自分たちの中の不完全さってどうしようもないこと。もちろんそれにチャレンジすることは大事だけど、完璧さを求めるより、「じゃあなんで完璧になるのが難しいのか」とシステム的なことを考えていくのが重要で、それはヴィーガンニズムも同じことが言えると思っています。

「これが完璧なヴィーガン」みたいなイメージを最初から出すとハードルがものすごく高くなっちゃうから、例えば自分の経験の中で、「いや間違えてこれ買っちゃってさ」「乳製品入りのもの食べちゃったことあるんだよね」ということって絶対あると思うんですよ。みんなでそういう経験を話したり、不完璧さをシェアすることが重要なことなのかなとは思います。



ライツ派vsウェルフェア派のインファイティング


——日本でわたしはヴィーガンとして暮らしていると、他のヴィーガンや動物の運動してる人からの監視が強いな、というのを感じます。たとえば、エコファーのついたコート着てたら「それってまさかファーじゃないよね?」と聞かれたり、「え、そんなのヴィーガンなんだから着てるわけないじゃん」って思うんですけど、そういう“ヴィーガンポリス”というか、互いの監視が強いなと。

 エリーさんが動画で内輪揉め(infighting)について語ってたと思うんですけど、海外でも団体の中で、完全さを求めて対立するといったことはあったりするんですか?

エリー そうですね。やっぱりウェルフェア派とライツ派ははっきり分かれていて、未だに、どっちかから色々言われたりというのはあります。さっきの資金の話でいうと、ライツの活動家として始めた人も、資金の流れに乗ってウェルフェア派の団体で働くようになる人も結構多くなってきたりはしてますね。

かほ アニマル・ヴィーガン・アドボカシー(AVA)という、動物の擁護活動をしている団体の人たちが集まるカンファレンスがあるんですけど、去年はそこで、アニマルライツ派とアニマルウェルフェア派の議論がパネルディスカッションで行われて、そういう面ではもちろん差はあってインファイティングもまだあるんだけど、運動の中で少しずつヘルシーな形で対話できるようになってきてるのかなとは思います。

 あと、カナダでは白人のヴィーガンが多いので、人種差別的な表現があって、それによって人種差別を受けている人が運動に入りにくくなってしまったり、そういう形のインファイティングというか、ハラスメントの問題はまだ残ってるとは思います。

高橋 日本だと、個人的な経験から言うと、僕たち、Instagramの発信ではできるだけ多くの人たちにヴィーガンへの先入観なしで話を聞いてもらいたいので、表向きでは全然ヴィーガンの主張をしていなくて、そういう意味でヴィーガンの方たちから「十分動物のことを主張してない」といった批判は受けているけど、実際僕たちのフォロワーの多くは、ベジタリアンでもなんでもない、僕たちがオーディエンスにしたい人たちが多いので、あんまりヴィーガンの仲間たちの批判は気にしないでやってます。

 あとレナさんは海外のこと聞いてたと思うんですけど、例えばボストンのヒューメインリーグはウェルフェア派だったので、僕がヴィーガンの集まりに参加した時は、「ヒューメイン・リーグはアニマルライツじゃないから全然ダメだ」とか色々言われました。

——アメリカとかはアニマルウェルフェアの基盤がちゃんとあるゆえに、ライツ派とウェルフェア派とで対立が起こっていると思うんですが、日本だとウェルフェアも全然進んでいないし、そもそも動物の運動に関わっている人が少数しかいないのに、その中でもうすでにライツかウルフェアかって言い合ってるような状況になっちゃってて、「ちょっとそれはまだだよ」とわたしは感じたりします。



運動内での監視の強さ


エリー さっきレナさんがおっしゃってた、日本でのヴィーガンコミュニティ内での監視はわたしもすごく感じています。びっくりしたのが、以前日本で、ボランティアで路上活動してる人たちにインタビューした時に、ボランティアでしていると褒められるけど、お金をもらってプロフェッショナルとしてNGOで働いてるというと、「お金をもらってるなら自分のためなんじゃないか」と批判されたり、あまり海外で聞かないような批判がされていました。

 あとグループで活動を行った後にみんなで楽しくご飯を食べてる時の写真をSNSに出すと怒られるとか、さっきレナさんが「笑うな」って言われたとおっしゃってたけど、そういう感じで。みんな1人1人人間なのに、性格を出さずに、真面目な顔で動物のことだけを喋らなきゃいけないというプレッシャーがあるのかなって思いました。

 だから団体で働いている日本の方と話した時も、仕事以外の写真とか絶対出さないって言ってて、そこはやっぱ全然違うなって思いました。

——その「お金のためにやってるんじゃないか」ってどういう疑惑なんですか?

エリー いや、わたしもちょっと理解できなかったです。それでお金を稼いでいるのならピュアな活動じゃないんじゃないか、ボランティアの方が高貴な活動なんじゃないか、みたいな。それは初めて聞いたなと思いました。

——有給スタッフだと純粋な活動じゃないってこと? 怖いね。

生田 稲強剛さんと一緒に大阪で飲食ありのトークライブをしたんですが、その時「参加費二〇〇〇円は高すぎる。貧困な人が参加できないイベントは矛盾している」「貧困問題を肴に飲食するのはおかしい」と批判されたことがありました。でも、例えばみんなで飲みに行って、貧困問題とか話すことはあるでしょう。その時、「ここは飲んでる場だから、貧困問題についての話すのは自粛しよう」と言わないと思うんですよ。生活の一部の中に貧困問題なり動物問題があるわけで、それをいろんな場で話すのは当然だと思うんです。だけど、活動している人が飲食しながらトークするということで、すごく批判されました。そこは変な倫理感があって、あまり建設的ではないと思ったことはあります。

——日本は、社会運動とか、「良いこと」をする人に対しての監視の目もめちゃめちゃ強いですよね。日本 ってジェンダーギャップランキングも低いし、動物のウェルフェアも世界でGランクだけど、寄付率というのもすっごく低いですよね。その辺と、運動のやりにくさっていうのは、繋がってるような気がします。



知識の格差


栗田 フェミニズムもそうなんですけれども、社会の中で知識の格差がすごくある。レナさんもアニマルウェルフェアを推進してるけど、アニマルウェルフェアは不要な苦しみを与えないで畜産をしていくという発想でもあるんだろうから、ヴィーガンじゃない人にこそ関係がある。だけど知識の格差があるので、知らない人は何にも知らなくて平然と変なことを言ってしまう。しかもそういう人は文句も言われず平然と生きていくことができる。そして知識がある人たち同士は厳密であることを目指して総互監視状態になっちゃう。それはヴィーガンやアニマルライツの運動だけではなく、いろんな運動の中で生じてしまってるもので、あるあるなんだなと思いました。運動する側は、そうやっていろんな人がまだ共有してないことで、より先鋭化しがちでもあったり、もっと頑張んなきゃってなったり、あるいは総互監視的になっちゃう。「より正しく言わなきゃ」みたいなプレッシャーを勝手に感じちゃう部分ある。

 格差って元々割と経済的な問題でよく使われてた言葉だけど、日本はいろんな格差がもう実は結構存在してて、それをどう埋めていくかっていうのは運動の中ですごく重要なことなのかなと思ってます。それは社会が変わってないことそのものでもある。「知ってる人はすごく知ってる。知らない人は全然知らない」っていうのは、社会全体で、貧富の格差と同じような問題がそこかしろに起きていると思う。

 私はアニマルライツとかアニマルフェルフェアの集まりに参加し続けてるけど、不完全で、全然ヴィーガンになれない。そもそもわたしは食べすぎで、まず自分の食べているもの全体を減らした方がいいんじゃないのかと思う。それぐらいのレベルの人間が、動物のことをどう考えていくか、みたいな姿をさらしていけたらと考えているんです。それがレナさんが言ってた、「ぼそぼそ声のヴィーガニズム」といった話につながるんだろうけど 、やっぱり完璧なことを言わないと叩かれて怖いからより知識で防御していくんだとは思うんですよね。正しいことを知って言ってれば責められないから。でもそれは本当に危険だなっていう。だから多少間違っても、またみんなで学び合えるようなスペースを作っていけたらとは思います。

生田 皆さんありがとうございました。1つは、日本で考えてる問題と共通の問題が多くて、例えばお金の問題と活動の問題など、とても共感を持って聞きました。一方で、日本と海外諸国との違いもある程度を感じて、1番大きかったのが「感謝していただこう」という発想を海外で聞かないということです。日本でめちゃくちゃポピュラーなんです。明らかにおかしいと思っていて、やっぱりそうなんだなと感じました。

 海外でいろんな世代で活動が日常的に広がってるというのを知って、動物問題も含めてどんどん世界的に進展していくだろうなと希望を感じることができたのがとても良かったと思います。

エリー 今日はありがとうございました。わたしも本当にいろんな分野で活躍し てらっしゃる方々とお話してきて光栄ですし、なかなか本当こういう機会って実はなくて、特に日本語で話す機会ないので、関さんが最後に聞いてくれた大きな 質問日本で若者これからどうやってみんなムーブメントに引きていく かって引き入れていくかっていうのは本当永遠の課題でもあるのでこれから 日本で活動してらっしゃる皆さんともレギュラーに話し合いをしながらわたしたちも学んでいきたいと思うのでよろしくお願いします。

——是非いろんなイベントをやりながらこういう喋る機会を作ってもいいなと思いました。どうも今日はありがとうございました。


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