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【第3巻】106つ、または107つ、ないし108つのジョー・レアルの生首【まとめ読み版】

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 …………俺たちがジョー・レアルを狙わざるを得なくなったきっかけ。そもそもの因縁。それは去年のある日。まだ「ヘンリーズ」のドアが今みたいに壊れていない時期に持ち込まれた。

 トゥコがニヤニヤして鼻をひくひくさせながら「ヘンリーズ」に入ってきた。バカみたいなチョビ髭もひくついている。
 奴は町に酒だの食い物だのを買いに行っていたのだが、情報か噂かジョークを仕入れてきた様子だ。この顔つきから見れば、ジョークに違いない。
 ちびのトゥコはこの背丈にこの顔なので他人に舐められる。だが舐められるからこそ下手に出て、相手の懐に潜り込んで、様々な話を引っ張り出せる。
 酒の知識が豊富なのも強みだ。酒場に知っている酒が並んでいればどれが旨い酒で、どれが気分のふわふわする酒で、どれが記憶を失くす酒なのかを選べる。
 旨い酒でもてなして、ふわふわ酒で喋らせて、記憶を失くす酒で話したことを忘れさせる。これがトゥコのやり口だった。
 口と言えばこいつは口も立つのだが、まぁその話は後ででいいだろう。

 で、ニヤニヤひくひくするトゥコが、俺たちの顔を盗み見ながら買い物袋をカウンターに置いている。話を切り出す最高のタイミングをはかっているのだ。
 となればこれはジョークではなさそうだ。ジョークならこんな時間でなく酒の席や夜の寝る前にでも語る。何か面白い情報でも仕込んだに違いなかった。
「トゥコ、お前町で何か面白い話でも聞いてきたんだろ」俺は水を向けた。
「えぇ? 俺がかい? なんでまた?」
 トゥコはごまかしたが、鼻の穴が大きくなったり小さくなったりしている。話したくてウズウズしている証拠だ。
「顔に書いてある」
「へぇ! 何を聞いてきたんだい?」
 ウエストが椅子に座って待機する。離れて座っていたブロンドが顎をしゃくりながら大声を出した。
「トゥコ、そのツラは愉快な話を話したくて仕方ないツラだぞ。あのツラは何度も見たからわかる」 
 モーティマーは相変わらず無言で、使っているのを見たことがないナイフをスリスリ研いでいる、が、チラチラとトゥコの方を見るので気にはしているようだ。
「是非とも聞きたいねぇ」
 ダラスが椅子に座り直した。どれもこれも壊れかけの椅子だしダラスの体重だから、ぎしり、といやな音を立てた。
 いやぁなんのことやらさっぱり、と引き伸ばすトゥコに、「いいから我慢しないで喋っちまえよ。もったいぶるなよ」と俺は苛立ったふりをして言う。 
「へへへぇ、そうかい? ふふふ。そんなに皆さん聞きたいとおっしゃる。なるほど、そうですか、ははぁ」
「早く話せ!」俺は口に両手を当てて野次った。
 トゥコは髭をひとこすりして、手を揉みながらつらつらと話し始めた。
「こりゃあ、あたくしが買い物に出掛けました折に聞いた話なんですが、というのは、今日は仲間内で喰うパンも肉もなんにもない。あたくしの好きな酒もない。ついでに言やぁここ『ヘンリーズ』にゃあネズミが出るから殺鼠剤も要るしネズミトリも要る、必要なものだらけだ、こいつは出番だ、俺がやらなきゃならねぇ、ってんであたくしは仲間のため友人たちのため山を越え谷をまたぎ雷を避け雪をくぐって町へと……」
「おいいい加減にしろよ!」ブロンドが遠くから罵倒する。「お前はいつも喋りすぎる!」
 話を引っ張りすぎて白け気味になった場の空気を読んで、トゥコは中途を飛ばした。
「えー、この、お友達と来ていた農家のお嬢さんが、まぁやけに悔しがっている。ちょいと押すと倒れる棒っ切れみたいに心が揺れてる様子なもんで、あたくしが手練手管で、聞いてみましたらね!
『あんた知ってるかどうか知らないけどさ、私が惚れてたならず者のジョー・レアルが、結婚するんだって!』と言うんですな! 『ジョー・レアルが結婚する』と!!」


…………………………。


 結婚!!
 義賊だか何だか知らないが! 
 盗っ人が! 結婚!!

 話を聞いてきたトゥコが笑いながら「なぁ! 結婚だとよ!!」と言った。
「悪党がいっちょまえにか?」ウエストが腹の底からバカにした調子でなじりながら笑った。
「盗んだ金で盛大な結婚式でもあげるつもりか?」俺も久しぶりに笑いまくった。
 ジョーと、名前も顔も知らない女が、祭りにやってくる踊り子みたいな派手な格好で教会の中をしずしず歩いてくる様子が頭に浮かんでしまったのだった。俺がその空想を口に出すとトゥコもウエストもさらに笑った。
 モーティマーはしばらくあっちを向いてナイフを研いでいたが、俺が「ジョーの野郎がキラキラの服に、頭に潰れたシルクハットをつけて」と言った途端に吹き出した。
「バカ野郎! やめろ!」やめろと言いながら振り返った顔は笑っていた。「俺は今、大事なナイフを……」そこからは身をよじって、言葉にならなかった。
 あとの2人はあまり笑わなかった。
 元来のアウトローではないダラスは「へへぇ、結婚ねぇ! そりゃあ、面白いね!」と俺たちに合わせるようにお愛想で小さく笑っている。
 金より名誉より女が好きな色男のブロンドは笑うでもなく、怒るでもなく、顔をしかめて首をかしげていた。
 この男は昔からずっと、「ひとりの男がひとりの女と一緒になる」事態がどうも飲み込めないというか、理解できないのだった。

 ブロンドという奴はとにかくまぁ……体力がものすごい。
 行く先々で女と寝る。その人数が尋常でない。一晩に最低でも1人、普段は3人、多いときは5人をとっかえひっかえしてグルグルに回していた。トゥコが酒を浴びるように飲むなら、こいつは女を飲むようにむさぼっていた。
 ただし年齢のせいか、ここ1年ほどめっきり体力が落ちたようで、その数は多くても3人以下で安定していた。
 奴は俺たちの中で馬と女の乗りこなしが抜群に上手かったし、翌日に腰が痛いだの足が痛いだのとぼやいたり(その点、二日酔いの愚痴ばかりのトゥコとは大違いだ)、仕事に差し障りがあったこともないのだから、この年齢を考えれば恐れ入る。

「その、泥棒野郎とケッコンして下さる奇特なレディはなんて名前なんだ?」俺はまだ笑いながら聞いた。
「あぁ名前なぁ! 何だっけな?」トゥコがまだ笑いながら答えた。「そうそう、ハニーって名前らしい、コロラドだかの娼婦でよ! ハニー・ウェルチ……」


 がたん、と椅子が倒れた。
 ブロンドが立ち上がっていた。
「あの顔」をしていた。堪忍袋の緒が切れかけた、あの顔。
 俺も含めてみんな笑うのをやめた。
 バーの中がしぃん、と静まり返った。

「ハニー・ウェルチと言ったか?」
 ブロンドが静かに言う。静かだったが、こめかみに青い筋が立っていた。
「ハニー・ウェルチと言ったか?」
 ブロンドはもう一度尋ねた。青い筋が濃くなって稲妻みたいにこめかみに浮き上がった。
 トゥコは罠に足を挟まれたウサギのような情けない顔で「……そうだ」と言った。まずいことを話してしまったことに今、気づいたのだ。俺も、ウエストも。たぶんモーティマーも、ダラスも。

「あいつは俺のものだ。俺が買ったんだからな」
 こめかみの稲妻はそのままに、眼球の中にも真っ赤な稲妻が走っていく。奴の中で怒りが膨れ上がって、目が充血しているのだ。
「4年前と、2年8ヶ月前と、1年3ヶ月前だ。3回も買ってやったし、寝てやった。俺がだ」
 テーブルに置いておいた、自分のお気に入りの黒い帽子を手に取る。それを両手で持って、しつこく、しつこく、消してしまいたいかのように揉んでいる。
「俺が買った女を、他の野郎が、『借りる』のはいいがな、だが、他の野郎に『買われて』、娼婦宿の外に、持っていかれるなんてのは、それは一体、どういうことだ? どういうつもりだ?」
 ブロンドの目はどこも、誰も見ていなかった。どこか遠くにいるジョーとハニーを目の前に幻視しているに違いなかった。
「殺してやる」
 ブロンドは帽子を手を止めて言った。獣の目をしていた。
「殺してやる。2人とも」

それからが騒動だった。
「殺してやる」としか言わなくなったブロンドはくるりと反転して出入口に向かう。
「いけねぇっ! 違うんだよブロンドよぅ!」
 トゥコが走っていって、滑るようにブロンドの前に膝をつく。
「噂! ウワサ! 噂だからよぅ! そういきり立つなってよ!」
「そうそう、まだはっきりとはしないんだからな」俺もすぐさま追いついて脇に立ちなだめた。
「まぁ怒るなって!」反対側の脇に来たウエストも頑張る。
 ブロンドの足は止まらなかった。「殺してやる」も止まらなかった。
 このままでは相当な面倒が起きる。ジョーのことは気に入らないが、娼婦を奪った云々で殺し合いとなっては男が立たない。そもそも当のジョーがどこにいるのかわからない。このままでは暴れる牛を町に放つようなもんだ。
「ダメだ! おぉい、おめぇらも止めてくれ!」
 こいつの性質を知らないモーティマーとダラスはぽかんとしていたが、これは本当にまずいと気づいて空いてる部分にしがみついた。モーティマーは羽交い締めにし、ダラスはウエストの側から腰に腕を回してカブでも引っこ抜くように体重を後ろにかけた。
 5人でブロンドの体にすがりついたが、野郎は怒りから発するとんでもない力でゆっくりとながらずるずる進んでもう出口近くだ。
 端から見れば喜劇かもしれないがこっちは必死だった。ジョーとハニーを殺すだけならまだいいが、この調子で出かけていったら目につく人間全てに手を出すかもしれない。
 こいつがこんな状態になるのはざっと2年ぶりだろう。あの時はあっと言う間にベッドの中にいた男2人と女1人の手と足と喉を潰して終わっただけで済んだが。
 そう、こいつと出会った4年前も似たような状況だったな、と俺は右腕を懸命に引っ張りながら思い出していた。
 ついでに言うなら、こいつと出会ったのは奇しくも娼館のまん前だった。4年前、テキサスから出てきて幾つかの悪事を働きながらも、どうにもこうにも煮え切らなかった俺と最初に仲間になったのは、この性と所有欲のバケモノだった。


 ネブラスカのなんとかいう町のなんとかいう娼館だった。どっちも覚えてないのは起きたことが強烈すぎたからだ。

 たとえば夕方、はじめての町を歩いていて、すぐそばに娼館があったとする。
 あぁここは娼館か、店名はなんだろうなと看板を見ようとしたら、2階からガラスとマットレスが落ちてきて、マットレスが目の前で「ゲェッ」「グエッ」と言ったらどうだ? それ以外のことは忘れちまうだろう? 俺に起きたのはそういうことだった。
 もちろんマットレスは「ゲェッ」とは言わない。「グエッ」とも言わない。そう言ったのはマットレスに乗っていた男と女だ。安くて薄い代物だったからろくに衝撃を吸収しないようだった。
 パンツひとつの男と、黒いブラに黒いガーターつきのパンティ姿の金髪の女。その2人はうめいて起き上がろうとしたが、腹でも打ったのかすぐには動けないようだった。
 俺は起きていることがさっぱりわからなくて口を開けて驚くばかりだった。コトが激しすぎて、窓際のベッドからずり落ちたのか? そんな考えまでよぎった。
 ふと気配を感じて、上を向いた。
 2階の窓から、すごい目つきをした男が覗いていた。いやもう窓はなく、ガラスの破れた窓だったものの枠がかろうじてぶら下がっているだけだった。
 男はマットレスの方をまじまじと見つつ、下界の全員にも気を送っていた。そのすごい目つきによって「触るなよ」という命令を、通りにいる全員に送っていた。 
「あんた……ちょっと……」
 女が息も絶え絶えに声を出した。
「あんた……助けてよ……」
 誰に言っているのかと思えば、女は俺の顔を見ていた。俺に、このセルジオに向かって。
 濃いめのアイラインに厚手の化粧。正直キツネみたいな尖った顔はあまり好みではなかった。
「生きているな?」
 再び上から声がしたので見上げる。この調子だと首を痛めそうだ。
「生きているな?」
 男はものすごい目つきのままもう一度繰り返した。それから窓だった穴から離れて室内に姿を消した。
こいつはまずいんじゃないか、人が少なくとも2人は死ぬんじゃないか、と思う間もない。階段を降りてくるのが聞こえた。
 それから誰か女が何かしらわめく声がして、それが平手打ちの音で止まったと思ったらドアが開いて男が出てきた。
 俺の目の前だった。
 俺はマットレス上の男女と、そのマットレスを人間2人ごと窓の外に放り出したバケモノの間に立つことになったのである。

 すごい目つきと言ったがすぐそばに来てみて、それが獣の目だということがよくわかった。
 獲物を狙う目ではなく、狙われている目でもない。獲物を喰っていたら突然、別のやつに横どりされた時の獣の目だった。鋭くはあるがネチッとして恨みがましく、子供の頃の嫌な思い出みたいに心にへばりつきそうな目だった。
 男はつるつるのスキンヘッドだった。黒いYシャツの胸元のボタンを大きく開けて着ていた。そこから覗く胸は引き締まっていたが、ギラギラした形相に反して肌のツヤや張りはあまりなかった。 
 細身のズボンも黒く、白人にしては肌が暗い感じがする。普通にしていれば男の色香が漂うのだろうが、殺意で破裂しそうな表情がそれを消していた。
 男はまず左右を見渡して一切、手出しするな、と牽制する。
 それから俺を見た。わかっているな? と顔で語った。俺は無意識のうちに頷いていた。
 そして男は、俺の背後にいる奴らに対して言った。
「殺してやる」
 前のめりな声色だった。
「殺してやる、2人とも」

「待ってくれよぅ!」
 マットレスの上でうめいていた裸の男がようやっと言葉を吐いた。
 だが男は一歩、二歩と進む。銃にこそ手をかけていないが、この怒りと嘆きのまま腕の力だけで背骨をぶち折り、頭を割り潰す様が頭に浮かんだ。
 俺は妙に冷静だった。
 あまりに唐突で、現場に近すぎる。あまりにわけがわからず、しかもムチャクチャだったからかもしれない。
 
「わかった! わかったよ! 殺してもいいからよ!」
 マットレスの男がそう言いだしたので俺は驚いて振り向いた。
 殺してもいい? こいつどうするつもりなんだ? 何をしようってんだ?
「殺してもいいから、俺の言い分を1分だけ聞いてくれよ、な?」
 チョビ髭を生やしたパンツひとつの男はそう言って、マットレスの上にあぐらをかいた。
 バカみたいなチョビ髭だな、と俺はそいつのツラを眺めて思った。


 隣にいる女はさっき俺にかけた言葉で力尽きたのか、ものが言えなくなってうつ伏せに横たわっている。だが顔だけは前にやって、自分を落っことした男を見据えていた。
 目の周りの化粧は痛みか恐怖の涙で濡れて溶けて、灰色の流れを頬まで作っていた。つらそうな瞳が男を捉えていて、口さえきければ謝罪の言葉を長々と唱えそうだった
 つらそうな女と、1分だけ喋らせてくれと主張する男。だがその2人ではまだカードが足りなかった。
「殺してやる」
 激怒している男の進撃は止まらない。
「殺してやる。お前から殺してやる」
 マットレスの縁まで足が動いて、チョビ髭に手が伸びた。手の甲に見たこともないくらいに血管が浮いていて、本当に素手で人体を壊せそうに見えた。
 おい! 聞いてくれよ! チョビ髭が荒野であっさり死ぬ野郎の最期の台詞みたいなことを言った直後──

「おい! あんた!」

 誰だかがそう叫んでいた。
 誰だ? どこのバカだ? こんな修羅場に口を挟む奴は? 俺はそのへんを見渡した。
 ガンマンに農夫に女にならず者、20人ばかりの奴らがいたが、そのうちの誰かが言い出した様子はなかった。だいたいそういう奴は顔を見ればわかる。すぐにわかる。
 そのうち、妙なことに気づいた。
 ガンマン、農夫、女、ならず者、みんなで俺の顔を見ているのだ。
 俺が、何かしたか? この状況で観衆から見つめられるようなことをだ。
 ふと見直せば、マットレスの上のチョビ髭と化粧の落ちた女、スキンヘッドの「殺してやる」の男、この3人も俺の方を見ていた。
「…………何?」
 黒づくめの男は突然脚を撃たれた獣の目でまじまじと見た。俺の顔を。

 ……俺か?
 さっきのは俺が叫んだのか?

「何だ、と聞いている。お前に」
 男は完全に俺の方に向き直って言った。
「お前、どうして俺を止めようとする?」

 俺は理解した。なるほど、さっきのは俺が、思わず叫んだわけか。
 そして俺はもうひとつ理解した。男の手の甲と、腰に下がっている銃を見た。
「言ってみろ。どうして俺を止める」
 俺は自分の腰に下がった銃のことを考えた。だがやめておいた。こいつは心臓を撃ち抜かれても、俺を殺すだろう。
 つまり、うまくやらないと、俺はこの男に殺される。そういうことだった。

「お前、どうして俺を止める? 知り合いか?」
 黒づくめの男は少し付け足してもう一度聞いてきた。
「…………まず、こいつとは知り合いでもなんでもないし……止めようとは思ってないが……」
 俺は正直に告げた。
「……そこの男が、どうするのか知りたい」
「そうか。だが俺は今こいつらを殺す」
「…………それはそうだ。そうなんだがな、だが俺は……聞いてみたいんだよ」
 今の俺の状況は、ガラス細工を棚からおろす時と同じだ。丁寧にやらなくてはならない。
「つまりこいつは……『殺してもいいから、1分だけ俺の言い分を聞いてくれ』と言っただろう?」
「そんなことはいい。今すぐ殺す」
「……気にならないか?」
「……何?」
「そう…………こんなうさんくさい奴がだぞ、本心から『殺されてもいいから1分だけ言い訳させてくれ』と言うか?」
「…………」
「つまり……こいつには自信があるんだ。なんとかできると思っているんだ。たった1分であんたを、怒り狂っているあんたを、言葉でなんとかなだめることができる、とな」
「無理だ。俺はこいつらを殺す」
「そう思っている。俺もそう思っている。ここにいる奴らも、隣にいる女もそう思っている。あたふた喋って1分が終わって、そいつは首の骨でも折られて死ぬとな。だがそいつはそれをやろうとしている」
「………………」
「見ろ。そいつは丸腰だぞ。下着ひとつの姿だ。そんな奴が、腰に銃を下げたあんたに『1分喋らせてくれ』と言っている。これは……要するに……決闘なんだよ。あんたの怒りと、そいつの言葉とのな」
 頭を振り絞って、どうにかして繋いでいった俺の言葉は、最後にこう締められた。
「俺はあんたの怒りとそいつの言葉との、決闘が見たい」


 黒づくめの男はスキンヘッドに手をやって、つるつるの頭を2度ばかりゆっくりと往復させた。自分の中でまだ燃える怒りと、冷静になりはじめたがゆえに現れた好奇心が拮抗しているみたいだった。
 男は手を下ろして、言った。

「…………1分だけだ」

 怨む女に、言い訳したい男、そして脇からしゃしゃり出たバカ。これでカードが3枚。これに1分だけ時間を割いた怒れる男で、カードは4枚。

「ありがてぇ!!!」

 最後に引く5枚目のカードの絵柄は、このチョビ髭の男の「喋り」に託された。


「時計はあるか」
 男は聞いてきたので、俺は懐中時計を取り出しながら、持っていると言った。
「お前が計れ。長針が動いたら、大きく頷いてやれ。そこから1分だ」
 俺は「わかった」と答えた。


 あと10秒なのか、30秒なのか、それはわからない。とにかく「決闘」までの残り時間が減っていく。
 ……まだ明るい。4時12分。どこかで鳥が鳴いている。今から風変わりな決闘がはじまることも知らないで。
 ……観衆は息を詰めて、棒を呑み込んだみたいに立ち尽くして、その時を待っている。
 ……暑くはない。だが俺の髪の生え際からは、粘り気のある、いやな汗が……

 ──かちり

 俺は大きく頷いた。男はチョビ髭の顔を見た。
 チョビ髭は息を大きく吸った。そして口火を切った、



「まず謝りたい! 申し訳ない! すまなかった! 俺ぁあんたが先にこの娘を予約してたってのを全然知らねぇで部屋に連れ込んじまった。あんたが目をつけるだけあってこいつはどえれぇベッピンだし酒も入っててクゥーッと熱が上がっちまったんだ! もしその場で運よくあんたが『予約済だ』とか『それは俺の女だ』と現れてたら、その男ぶりとひきしまった体で一目でコリャかなわねぇと引き下がったぜ! これは間違いねぇ! 部屋に入ってきた時もこりゃかなわねぇと思ったよ! 不幸な事故と言えばそうだがしかしそれで俺の罪が消えるわけじゃないしあんたの怒りは消えない! それは充分わかってる。男としてひと言謝りたかっただけだ! ただこの女はよ! 俺のワガママに巻き込まれただけだ! 殺さねぇやってくれ! こんなに泣いて! 可哀想じゃねぇか! こいつだけにゃあんたの男気と優しさが必要だ! 頼む! 俺はどうなってもいいから! こいつだけは……許してやってくれ!」


 ──かちり
 言い終わって1秒後、長針が動いた。59秒。ほとんどピッタリだった。
「1分だ」俺は告げた。
 もう一度時計をまじまじと見た。こいつ、本当に1分で言い切りやがった、と俺は驚いていた。
 それもただグチャグチャと言葉を連ねたわけじゃない。謝罪、言い分、行き違いのいわば事故であったこと。相手を軽く褒め、しかし自分の罪は認め、それでも女は助けてやってくれと男気を見せる──ここまで全部を、早くもなく遅くもない喋りでやってのけたのだ。
 周囲からも驚きか感嘆かわからない溜息がゆっくり沸き上がった。



【つづく↓】






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