魔女のいた夏
少年は扉から出てきた。日射しが青白い顔を照らす。
「ケイゴ」少年の父親が駆け寄る。「よかった……ケガは?」
少年は首を振る。
「他の子たちは?」
「み、みんな、階段の下で倒れて」
大人たちは騒然となった。
ガスか? 酸欠? まず救急車だ、電話を。
岩山にへばりつく木の扉の奥。下へ伸びる階段から、教師が綱を引き上げている。さっき少年が必死に引いていた綱を。
ここに扉などなかったはずという話は、皆もう忘れている。
闇の中から、人の乗った板が現れた。
「おい! 大丈夫……」
教師は言いかけて、言葉を失った。
陽光の下に、綱を巻いた板が引き出された。
板に乗っているのは子供ではない。
肌の白い、黒髪で青い目の女だった。
白いドレスに毛布。
毛布の下の腹部は今にも生まれそうに膨れている。
腹に乗った腕は、異様に細長い。
紅色の唇から吐息が漏れる。
甘い香りが漂う。
「この人は……」
父親が聞いたが、少年は答えない。
女を取り囲む人々は「大丈夫ですか」「お腹は」と尋ねる。
女は無言で、周囲を見回した。
青い瞳が少年を捉える。
少年はうん、と頷いた。
赤い唇がゆっくりと開いた。
甘い香りが濃くなる。
「──女は口を開いて、話し始めました。すると大人たちは、急に眠くなってしまいました」
かくん、と数人の膝が折れた。
「女の言葉はとても心地よくて、みんな倒れて、眠ってしまいます」
教師も保護者も地面に膝をつき、倒れ、寝息を立てはじめる。
「ケイゴ、これは」
父親が息子にしがみつく。
「これは、何だ」
「ケイゴくんのお父さんはがんばりましたが、やはり、眠ってしまいました。みんなぐっすりと、深く、深く──」
「お姉さん。どうするの」
少年は女の脇にしゃがむ。
「山を降りるの」
「どうやって?」
「耳を貸して」女は細い腕で少年の頭を包んだ。「教えてあげる……」
市立豊岡小学校に救急車が入ってきたのは、その日の夕方だった。
救急車は放送室の脇に停まる。
「着いたよ」と運転席の少年は言った。
【つづく】
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