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百談 [六十四]

 15年以上前。中学校の行事で、ロッジに泊まった時の話だ。

 バスで1時間半ほどの距離の山奥にそのロッジはあった。
 建物と炊飯用の屋外台所以外は、木と林と森と野原しかないような、静かで平穏な場所である。
 中学生の、特に男子にとっては、静かで平穏すぎてつまらないところだった。

 ゲームやケータイも持ち込み禁止で、テレビもない。ご飯を作って食べたらもうトランプくらいしかやることがない。話題も尽きてくる。しかも消灯が9時だと言うのだからこんな無為な行事もない。
 こっそり遊ぼうにも教師がこまめに見回りに来る様子だったので、寝るしかなかった。


 翌朝、男友達に起こされた。ロッジ内の時計を見ると朝の5時半である。
「目が覚めちゃったんだよ。つまんねーから、ここ抜け出して、30分くらいそのへん歩こうぜ」
 友達は言う。そのへんを歩いてもあまり面白くはないだろうが、昨晩があまりに味気なさ過ぎたため、彼もついていくことにした。 

 バカな男子中学生とは言え、夜が明けたばかりの森の奥には入らないくらいの分別はあった。暗いし、歩くには道も悪そうだったのだ。
 そんなわけで、5分ほど歩いた場所にあるだだっぴろい野原に出向いた。

 四方向を木に囲まれた、ゆるやかな坂になっている、なんにもない野原だった。
 こらへんで野球とかサッカーやったら気分がいいだろうにな、と思っていると、友達の一人が「あ、飛行機」と呟いた。


 明けたばかりで眩しく黄色く輝いている空に、一機の飛行機が飛んできた。
 左から右に移動していく。結構近い位置を飛行していたものの、逆光だったせいかロゴやマークは見えない。真っ黒な、影のような飛行機である。
 なにぶんつまらない一日だったので、朝焼けの中を飛行機が飛ぶという何気ない光景でもそこそこにドラマチックに見えた。

「あれ?」別の友達が言った。「後ろになんか飛んでる」

 真っ黒で巨大な飛行機のすぐ後ろに、豆粒ほどの大きさの何かが飛んでいた。
 羽根があって、尾翼があって、飛行機と同じ形に見えた。しかし飛行機にしては小さすぎる。鳥にしては大きすぎる。

 友達みんなでンーッ? と唸りながら目を凝らした。

 人だった。

 人が、伸ばした腕を脇から離して、カカトをぴったりくっつけて、まるで前を飛ぶものの真似っこのような体勢をとって、空を飛んでいるのである。
 飛行機と同様、朝日に照らされて、その容姿はよく見えなかった。

「わー、人だ人だ」
「男の人じゃね?」
「おじさんっぽくね?」
「なにあれー?」

 みんなで盛り上がった。変だな、とは感じたが、怖いとは思わなかったそうだ。


 飛行機とおじさん(?)は、朝日の逆光の中を滑るように右から左へと飛んでいって、10分もしないうちに見えなくなった。

「おかしいの見たな!」「あれなんだろね!」「女ではなかったよな」「うんうん、女じゃなかった。男だと思うわ……」

 めいめいそんなことを言い合いながらロッジに戻った。
 幸いまだ6時にもなっていなかったので、教師たちも起きていなかった。叱られたりすることなく、彼らは寝床に戻り、「変なの見たなぁ」と静かにワクワクしていたそうである。

 これで話は終わったのだが、気になったことがあったので、尋ねてみた。
「あのー、男の人の前を、飛行機が飛んでたって話でしたよね」
「そうそう」
「朝の5時半とかに、飛行機、飛んでますかね?」


 そう聞くと彼はあっ、と言ったきり、黙ってしまった。
 しばらくの沈黙のあとで、独り言のようにこう言った。
「そうですよねぇ……朝の5時とかに、飛行機は飛ばないですよね……
 じゃあアレも、黒くてでっかい飛行機みたいなアレも、もしかして、人だったんですかね…………?」


 自分は「どうなんですかねぇ……」と答えるしかなかった。

 悪いことを聞いたな、と思った。


【飛ぶ】

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