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35の秋、初めてブラジャーを買う

35歳、誕生日の日。

人生で初めて「自分で」ブラジャーを買った。
カップのサイズを測ってもらって買った本格的なやつ。
1個?5000円くらいするやつ。

理由は簡単で誕生日に出掛けた先にて
気に入ったけれど、
デコルテやショルダーがあいたセーターを買ってもらったから。

彼が「それ、ブラジャーの紐みえない?」というから
「隠せば平気じゃない?上に何か着れば大丈夫だよ!」と返した。

「いや、そういう問題じゃないからw」って笑われて
これを機会にせっかくだから・・と、
女性の下着屋さんへと足を進めた。

正直とても怖かった。
ソレを許してしまったら、私のナニカがきっと壊れると少し不安だった。
あと、とてもすごく恥ずかしいような気もした。

この気持ちを掘り下げてみる。

私の生まれた家はブティックを経営していた。
祖母が戦後1人で立ち上げて、祖父と共同経営している感じの。
東北のちょっとした田舎では、顧客?が多いほうだったと思う。
記憶ではいつもお客さんが来て、作業場では常にミシンが動いていたし、
従業員さんがいて、忙しくしていて、
床にはいつも、たくさんの針が落ちていた。

幼い頃から祖母が作った服を着ていた。
それはお決まり事だった。
身に着けるモノ、または幼稚園、小学生とかが持つ巾着からカバンまで
全部祖母、または指示された母が徹底して作った
お手製の物を持っていた気がする。

ここまで来るとすごい過保護に育てられたものだ、と思う。
いつも特製のオーダーメイドの様な
ワンピースを着て、ジャケットを着たりして。
小学校6年生まで何の疑問も、もたなかった。

しかし、その魔法は解ける。
ふと気づくと周りはオシャレについて敏感になっていた。
私のクラス、4組は少し変わっていたというか、マセていた。
キッズ向けだが、ブランドのお洋服とか、
名前のついた洋服を着用、もしくは、
グッズを所持していないと浮くというシステムだった。
勿論あるグループのみ。別に今思い返すと全員がそうではなかった。

ただ、私はその少し洗練されたともいえる(生意気ともいえる)
グループにいた。勿論、空気を読む。
ただ、私は外に売られている洋服をなかなか買ってもらえないという
我が家独自のルールも空気として読んでいた。
祖母のパワーはすごく強かった。

グループのボス的存在とも言えるTさんが織りなすシステムの空気
VS
私の家の事情 ~祖母のこだわり~

そんな感じを覚えている。
私がそのTさんの下へくだるきっかけは些細な事だった。
ある授業中にふと目をやると、
祖母が作ったワンピースに針がまだ残っていた。
しつけ糸と一緒に。

その時、洋服からたくさん針が出てきた(気がする)
抜いても抜いても洋服から針が出てきた(気がする)

怖くて怖くて授業中泣きだした。
針が怖かったのか、何が怖かったのかわからないが、
私はその日帰宅して母に
「もう祖母の服は着ない」宣言をしたのを、覚えている。
母は「そうよね」的な顔をし、祖母は電話の向こうで寂しそうにしていた。

私はその日からTさんが着ているようなブランド服をねだるようになった。
何故ならグループから外されてしまうから。
外されたら生きていけない気がしたから。
Tさんに合わせて、所属しているグループに合わせて、
服を買ってもらった。
冬はわざわざ百貨店にいって、Tさんが着ていた服のロゴだけを頼りに、
ブランドを探し、3万円のコートを買ってもらったのを覚えている。
末恐ろしいと今でも思う。

変な話、お金はあった。
父親は家にいない代わりになんでも買ってくれた。
スーファミのソフトも洋服も文房具もおもちゃもなんでもあった。
ゲームはクラスの男子が借りにきてた位だから、
多分人より持っていたんだろう、そうなんだろう。

だから、私の中で成り立ったんだと思う。
生意気で意味のわからないシステムが。

合わせて買ったコートやTさんに怒られないように、
且つ、目立たない程度に主張できるロゴの入った
ブランド物のハンカチやグッズ。
グループのあかし。持っていないといけないもの。

それでも結局私はTさんに気に入られる事なく、脱落するのだけど。

私の洋服に関するナニカはここで一旦終わる。
何故なら、そのグループから脱落した後、私は家から出ないから。

部屋で着る服から下着にいたるまで、全て母が用意してくれた。
外に出ず、一日、本を読むかゲームをするか映画を見るか
究極のインドア生活を小6にして極めていた。

中学生(設定として)になって、制服が出来た。
袖を通したのは半年間。
また、究極のインドア生活を満喫する事になる。

母はそれでも私の下着や服を買ってきてくれた。
私は何かわからないけれど、
「これ?」「それよ」という服に袖を通すだけだった。
母は服飾の学校を出ていた為、特におかしな配色センス等はなく、
オーソドックスな服をそろえてくれた。

ただ、私はその頃には体重がかなり増えていて、
ダボダボっとした服しか着れず、
(外見ではなく、ただ単にピタっとする服が苦しかった)
母も私を気遣ってゆるめの服を選んでくれた。
究極のインドア生活でも、通院はしていた為
洋服は必要だった。

そのインドア生活は18まで続く。
18から私はちょっと急に海外に出る。

それから帰国したのは24あたり。
ここから服に関するナニカがまた、始まった。

私はその時から摂食障害をこじらせていて、すっかりスリムだった。
私はスリムである事が誇らしい精神状態になった。

そこから話は早い。徹底的に自分のスリムを活かせる服だけ選んだ。
全部付き合っていた相手や周囲が好みそうな服だったと思う。
結局「細ければ愛されるんでしょう?」という強気があったから。

胸?カップ?知らない。細い足さえあればよかった。

ある人にミニスカにタイツに可愛いもこもこブーツ的好みを求められれば、
それを揃えた。
ある人がちょっとトゲトゲしたタイプの服が好みの時は、
ライダースにバンT、ショーパンに、マーチン。

私は自分の可愛いとかカッコイイがなかった。
それを見つけるまで人生32年かかった、と思う。
常に誰かの許可が必要だった。
「これは可愛いか、可愛くないか」
「これはカッコイイか、カッコよくないか」
「変か、変じゃないか」
だから、1人で服を買うなんてわからなかったし、
怖かったし、そもそも自信がなかった。

ようやく産まれて32年程経ってから
自分の輪郭をなんとなくなぞれるようになり
自分の価値観を手に入れつつある。(現在も模索中)

しかし、どうしても下着だけ手を出せなかった。
何がそうさせているのか、すごく不思議なのだが・・。
恥ずかしくて、私なんかが恐ろしい・・と思ってしまっていた。

ただ、すごく変わった事がひとつあった。
勿論自分の価値観を模索しだしてから、可愛いとか素敵のラインを
意識し始めた事もあるが、

杖歩行になったことだった。大病からの後遺症だ。
加えて、自分で言うのもアレだが歩き方がちょっと変だ。

故に、人から見られる機会が増えた。
きっと余計なトラブルを避けなければいけない人が、
街にはたくさんいるからだと思う。

そこから世界には目がある事を身に染みて感じた。
見る行為だけではない、優先席で譲ってもらったり、
親切に道をあけてくれたり等の好意や暖かさからも、
世界には人がいるという事を痛感した。

そして、勿論だけど、自分が女性である事を知る。
ただの、1個の生命体ではなく、更に奥まった概念で。

メイクもオシャレも楽しめたが、「女性としての自分」は
どうしても許せなかったし、楽しめなかった。
私にとっては、その象徴が下着だったんだと思う。
彼氏はいるし、私は間違いなく女性なんだけど、なんというか
そこまでのアイデンティティーはまだ確立されていないし、
なんなら今でも油断するとソレは抜けていってしまう。

「私の世界」では特に〇〇だからという括りなく、メイクは自由だし、
服だって鮮やかな色もありシックな色もあり、自由だった。

でもそれはあくまで「私の世界」。
一歩外に出ると違う。
誰かの世界、色々な人の世界がある。

誰かの世界では、私は杖をつく女性なのだ。
と、初めて思った。
そこまで考えた事がなかったので、少し驚いた。
そういえば昔から彼氏は私がだらけた服を着ると、
下着が見えてる(怒)と怒っていたっけな、と
うっすら思い出したりした。

誰かの世界で私は女性だけれど、
私には私の世界があって、
その中では大体が私の好きなモノで構成されている。
だから色も形も時にはキャラも私が自分で選べるようになったのだけれど、
外に出ると「違うんだ!それだけではない!自覚を!」という、
圧倒的な壁と圧があった。
たまに大きく生じるズレにやられて、
また究極のインドア生活に戻ったりもしたが、
昔の生活とは違う為、外出は避けられない。

でも自分の世界だってある。私は「在る」と主張してみたかった。
どんなに変わった目で見られても胸を張ってみたかった。
ちょっとした冒険だ。ワクワクするのが元々好きだからなのか、
負けず嫌いだからなのか・・。

ここで冒頭に戻るが、彼氏から指摘された点の
「オフショルから見えない様なブラジャー」を探しに、
ここ数年で一番の勇気を振り絞って店に行った。
それこそ、冒険だった。ナニカとの勝負だった。

1人だ。
でも35の私は化粧品も洋服も1人で買えるようになっていた。
だから、頑張って声を出した。
「オフショルダーの服を着るんですが、
紐が見えないブラジャーはありますか?」
ストラップと言えなかった自分はご愛嬌だ。

店員さんはプロなので、話は早かった。
サササーっと試着室でカップを測ってくれて、
これなら見えませんよ、とか、これもいいですよ、とか
おススメしてくれた。とても、嬉しかった。
調子に乗って2つ買った。お会計は1万円くらいだった。
お財布は当然の如く痛い。
でも
心のつっかえが一つ、取れた気がした。
そしてなんだか強い戦士になった気がした。

もっともっと自分の輪郭を彩るラインを濃くしていける。
「まだ、私は何か出来るかもしれない」なんて
半分勘違いも含まれていそうな、そんな気分になった。

こびりついていたナニカを
祖母や母親やTさん主導のシステムからの影響が全くないとは言えない。
その境地までまだまだ先は遠い。

しかし結局、私は私に自分でスタンプシールを貼っていた。
そういう選択をしていたし、決定!としていた。

「お前は女性を名乗る前に、生物として何もかもダメだ」と。

多分そのシールは、今でも、顔から身体にいたるまで、
たくさんくっついているんだと思う。

少しづつそのスタンプシールを
剥がせていけたらよいな、と思う。

とても良い買い物をした誕生日だった。

きっと一生忘れないんだと思う。
誰かにありがとうって言いたくなるくらい。
気づかせてくれて、ありがとうって。

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