発達障害の『こだわり』は、そもそも選択肢が見えていないのかもしれない

私の母は家でワクワクさんと呼ばれます。

ご存知でしょうか?ワクワクさん。
昔の子ども向け番組で、新聞紙やトレイなど身近なものを使っていろいろなおもちゃに変身させていた遊びの達人です。

母はワクワクさんばりの「ないものは作る!」の精神の持ち主でした。

小さい頃、誕生日にセーラームーンの変身スティックが欲しいとせがんだことがありました。
しかし時期はクリスマス。世のサンタたちの頑張りにより、あっという間に変身スティックは完売してしまったのです。

誕生日には代わりのセーラーマーキュリーのマニキュアペンをもらいました。
これはこれで喜びましたが、近所の子がセーラームーンの変身スティックを持っているのを見るとやっぱり羨ましい。

しょげる私を見かねて、何と母は手作りスティックを生み出したのです。
ファックスの芯を柄にし、ピンクの折り紙を巻いて、小さく切った段ボールを月の形に接着して先端につけて完成!

これには私も大喜び!
早速ごっこ遊びのキーアイテムになりました。


さて、今回気になったのは、この「生み出す力」です。
母は突出しているにしても、定型の人は大なり小なり持っているように思います。

それに対し、あくまで実感の範囲ですが、発達障害の傾向がある人はわりと苦手なのではないかな?とも。

そして、背景にはそもそも「生み出す必要性に気づきにくい」可能性があるのでは…?とにらんでいます。

例えばいつもパスタをフォークとスプーンで食べるAさんが、店で注文したパスタにフォークしか付いてこなかったとします。

ここで、「スプーンがないなら注文しよう!」ではなく、「ならフォークだけで食べるか!」とフォークのみで食べる技術を身につけちゃうわけです。
不便な現状に合わせて体を強化しがち。

私がそうなんですが、見ているとそういう人は他にもちらほらいるんですよね。
ただの個性なのか、特性なのか、判断に悩むところですが……そういう傾向があると仮定して進めます。


つまり、満足度70%の空間に放り込まれたとき、現状を「30%不足している状態」と認識するのが苦手だったりするんじゃないでしょうか。
だから、「不足を補う」という選択肢に気づかないわけです。
「なんか不便な気もするけれど仕方ないか……」で終わってしまう。


私はADHD寄りですが、今回のはASD(自閉症スペクトラム症)寄りの感覚かなと思います。

となると、発達障害の人がしばしば言われがちな「こだわり」の強さ。
その一端を、このような「そもそも選択肢以外に気づいていない」が担っている可能性もあるのではないでしょうか。

いつも「何味の飴が食べたい?」と聞いて「オレンジ」と答える子がいるとします。

その子がオレンジにこだわりを持っていると思うかもしれません。

しかし、そもそもオレンジ以外の選択肢を思いついていない可能性があるのではないでしょうか。

いやいや、そんなばかな……と思うかもしれませんが、定型の人が当たり前に浮かぶ選択肢が見えていないということもあるのです。

この子の頭の中に
<飴と言えば「オレンジ」かそれ以外>
という知識がインプットされたときに、
「オレンジ以外にもおいしい味があるのだろうか?他には何があるんだろう?」
と不足部分に想像を広げられるのが定型だとしたら、
「オレンジ以外にもあるんだろうけど、まあいいか……」
で終わってしまうのが発達障害の思考リズムというわけです。


「何味の飴が食べたい?」ではなく、オレンジとイチゴの飴を手に乗せて「どっちが良い?」と選択肢を作って聞いてみると、案外すんなりイチゴを選ぶかもしれません。


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