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『蠅』と『城の崎にて』

『蠅』は、『城の崎にて』のオマージュ作品なのではないかと考える。

『蠅』            
蜘蛛の巣に捕われる       
(馬の上で療養)       
①農婦と危篤の息子       〈生と死のコントラスト〉
②駆落ち中の男女        〈社会の荒波に藻掻く〉
③男の子と母親         〈死と両極(の様な)存在〉
ただひとり、悠々と青空の中を飛んでいった
『城の崎にて』
山手線で事故に合う
(湯治)
①死んだ蜂と動く蜂  〈生と死のコントラスト〉
②死にかけ鼠と石投げ 〈社会の荒波に藻掻く〉
③イモリ       〈死と両極(の様な)存在〉
脊椎カリエスになるだけは助かった 

このように、構造的にはかなり合致している印象を受ける。ここで考えたいのは、「田舎紳士」の存在だ。『城の崎にて』には合致する存在が見受けられなかったので、ここに横光利一の目論見があるのではないかと思う。思うに、「田舎紳士」は①〜③の立場を強調する存在である。「田舎紳士」は、農婦にとっては刻一刻と迫る時間を示唆する存在であり、駆落ち中の男女にとっては金持ちであり、男の子の母親にとっては談笑相手(=日常)である。それぞれの立場をより厳密なものとするところに、『城の崎にて』に対するアンチテーゼを感じる。確かに、「人」の立場から「もの」を死なせて悟る、ことは都合がよすぎるようにも思える。『蠅』では、「もの」の立場から「人」を死なせて(「田舎紳士」でそれをより明確にして)読者に悟らせる、ことを狙ったのではないだろうか。

生きている事と死んで了っている事と、それは両極ではなかった

これは、『城の崎にて』の一節である。『蠅』は、このテーマをより象徴するための構図を採用し、このテーマをより浮かび上がらせようという横光利一の挑戦ではあったのではないだろうか。
 


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