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広島平和記念資料館の感想。

「日本と世界大戦」は自分の中で大きなテーマであったので、広島平和記念資料館を初めて訪れた。

ドキュメンタリーや書籍を通して学習を進めていたとはいえ、実物と対峙するとやはり思うところがあった。しかし、個人的にこの施設には決定的に足りていない箇所があると思った。それは、どうして原子爆弾を投下されるまでに至ったかの記述である。

展示では、歴史の教科書の様な表層的な記述が簡単になされているだけであった。そのような展示では、多くの人は感情的にしか大戦を捉えられないだろう。つまり、日本の超国家的な様相に対しての自省が感じ取れないのである。(もちろん、当時の広島市民はまったくの被害者であることには変わりがない。)「広島」平和記念資料館であるから…と譲歩できなくもないが、負の世界遺産としての役割を果たすためには、歴史的な文脈を抜かしてはならない。

日本は隣国との歴史的な揉め事が多いが、それを島国だからという地理的な要因に押し付けてはならない。日本は、こと歴史解釈については身勝手すぎる。多角的に様々な歴史事象を捉えれば捉えるほど、教科書そして学校教育の歴史がいかに煩雑だったかを気付かされる。どこか他人事なのだ。まるでフィクションかのように教えられ、その表層をなぞることしかしない。教員免許を取得するという気概を持った人達が、上のような教育を行っていたと思うとこれは由々しき問題であると痛切に感じる。一度も歴史に当事者意識をもたずに教鞭を執っている可能性があるからだ。

Netflixのドキュメンタリーシリーズを見る機会が多いのだが、特に歴史物のクオリティはとても高い。両側の立場・考えを明示するという、ジャーナリズムの基本がしっかりなされているからだ。(最近のテーマだと、リベラルが強すぎることもしばしばだが。)

広島平和記念資料館には多くの修学旅行生が訪れているようだが、果たして学校教育を受けている段階に訪れて、建設的な何かは得られるだろうか。少なくとも一方的な被害者意識を植え付けるだけでは、世界大戦が何だったのかを考える土壌にはならないだろう。

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