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ヨロイマイクロノベルその6

51.
白昼、右向きに眠る妻の口が開き、小さな探検隊が列をなして出てきた。サファリ帽を被る先頭の男は顔を上気させている。「世界の果てまで無事に踏破しました」。隊員たちの甲高い歓声が鳴る。彼らは遅々たる進行で妻の身体から離れ、狭い部屋を出ていく。静かな寝息だけが辺りに残る。


52.
その人は絵を描き続け、終ぞ誰にも見せなかった。完成しては焼き、未完成のものも焼き、また絵を描く。そしてそれもいずれ焼く。死ぬ間際にも、自ら最後の一作に火を放った。だが彼のパレットだけは不始末だった。そこに残された色の取り合わせは、人によっては「惑星群」にも見えた。


53.
「あの木を切ったのは僕です」。いつまで経っても息子からの告白がない。痺れを切らした私は夜中に息子を連れだし、花びらも散った桜に手をかけた。二人で共に太い枝を切り、それを燃やした。息子はばちばち爆ぜる音を聞いていた。その瞳に移る焔の揺らぎは頼もしくも、悲しげだった。


54.
久々のデートに向かう途中、ピアスのキャッチが落ちた。半透明のそれが猛スピードで転がる。夢中で追いかけるうち、待ち合わせ場所の時計台も過ぎる。気がつけば広大な駐車場にいた。ピアス本体は耳の穴に掛かったままだ。停車中のトラックから、わたしをちやほやする声が飛んでくる。


55.
夕暮れどき、爆発音は古い地図帳から聞こえた。開くとわたしたちの国が変形している。それはハートマークにも尻にも見える。ぷすぷすぷす。くすぶる音が手元に伝わる。国の新しい縁をなでる。焦げた匂いが指先に移る。やがて上空から落ちてくるように、けたたましくサイレンが鳴った。


56.
三限目は理科室にいる。ガスバーナーの青い炎がゆらめく。上の階からテノールの歌声だけが聞こえてくる。同じパートがくり返される。火を消したあと、××と目が合う。なぜか笑ったのでこちらも笑おうとするけれど、胸の奥の奥が縮んだみたいに苦しい。窓は全開で、雨や森の匂いがする。


57.
かわいいはもうごめんだ。思春期のイルカは頭を3つに増やそうと意を決する。ケルベロス先輩への憧れが強く、地獄の門番、という響きも気に入っているようだ。まだ右側頭部がぴくぴくしているだけの段階にすぎないものの、いずれはヤマタノオロチ先生の域まで、とその野望は尽きない。


58.
蔵にはまだ音雪が残っている。暗くひんやりとした室内で、山麓に集まる鳥のような鳴き声がかすかに響く。ペンライトで光を当てると、ふいに音雪が騒がしくなる。隅に白い塊が見えた。やがて暗闇が戻り、トーンは弱まる。すべてが消えてしまいそうで、感嘆の声を漏らすこともできない。


59.
「どうもー長谷川です」「久保田です」「二人合わせて……」。彼らはマイクの周りを高速で走り出した。舞台上に渦ができ、二人合わせて、の言葉も散り散りに舞う。五分後、マイクも彼らの姿も声の余韻も消え、ただトロフィーだけが屹立していた。このネタのタイトルは「錬金」という。


60.
そっくりさんによる熱唱中、ご本人登場。さらにドッペルゲンガーも現れた。これはどっちのやつ? と混乱しつつも歌い続ける二人(三人)。挙句、もう一体も出てきた。四人は急速に衰弱し、曲終わりにはばたばたと倒れていく。より酷似しているのはドッペルゲンガー同士のほうだった。


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