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ヨロイマイクロノベルその7

61.
新調したさらさらのシーツで眠ったあとも雨は続いていた。知らない子供に青い長靴を履かせて指定の施設へ出かける。だれがいい? と訊かれたので濁音が少ない方、と答え、最も濁音が多い方に一票入れた。帰り道、整髪料の匂いが漂うひと気のない通りを歩く。いまや子供は消えていた。


62.
初の握手会を前に手のひらがざらざらだ。ハンドクリームがないのではちみつで代用する。蒼い虫が群がりだした。くすぐったくて身もだえていたら、虫も散った。甘い香りを残し、肌はつやつやになった。けれど、握手会には誰も来ない。私は一人きり、いつまでも両手をにぎにぎしていた。


63.
死んだ娘が一時帰宅した。セミの抜け殻を髪留めにしている。素敵だね、と言うと、娘は取り外し、ばりばり貪る。私がどんな表情を浮かべていたのかはわからない。娘はワンピースのポケットから抜け殻を二つ取り出し、一つは私に渡してくれた。一緒に髪に飾る。ふんわり夏の香りがした。


64.
僕らはトンボに乗っている。朝採れのとうもろこしを羽根に突き刺して、つかまる。半透明の羽根は細かく震える。地上の景色がモザイク状に広がる。高いタワーを超え、海へ出た。薄いフィルターと光の乱反射のせいで、青い世界全体がコマ送りで波打つ。夏が終わるまで僕らは飛び続ける。


65.
祖父の遺したビアグラスに注いだ炭酸水が今も弾けている。ばちばち、しゅわしゅわ、ぶいぶい。さまざまな音、私にも把握できない音で透明の薄い縁を震わせる。少しずつ水量が減り、それでも炭酸は鳴る。やがて夏が終わるころ、すすり泣きのようにも聞こえてきた。グラスは尚も冷たい。


66.
バイクの後ろに乗せてくれると言うので向日葵で花輪を作った。おそろいで首にかけて海沿いの道を走る。潮風と汗と太陽、あとは革の匂いを一度に感じた。「飛ばすよ」。両腕に力を入れる。時速90キロを超えたその瞬間、黄色い花が一斉に散らばる。死と共に置き去りにして風の先を行く。


67.
スノードームの中には銀色の狐が一匹。誰もいない縁側に放置されたまま8月を迎える。太陽の光はいよいよ苛烈さを増し、半透明の空間の隅まで届く。世界の縁がリフレクションで煌めいている。粉雪よりも細かく白い粒子がさらに分裂し、宙に舞う。銀色の狐は同時に二つの季節を生きる。


68.
男がフリスビーを遠くまで飛ばしている。よく見たらピザだ。もったいない、と思わず忠告してしまう。男から双眼鏡を渡された。覗くと回転するピザに知らない鳥が飛びかかり、器用に空中で食べ尽くす。「オリンピック本番が楽しみです」。朗らかに笑う男の右腕だけが異様に太く、赤い。


69.
「ブタミントン大会やろうぜ」。行ってみたら黒いミニブタが一匹いるだけ。やだ、超かわいい。公園集合って言うからおかしいと思った。絶対ブタミントンのこと知らないよな、あいつ。とりあえずブタを追いかけてきゃっきゃ言って、暑さでふらふらになって帰った。めっちゃ日焼けした。


70.
君も居留守倶楽部に入らないか。委託業務員が入会に当たって説明に伺うが、もちろん出ちゃいけない。それが入会条件だ。よし、あとは居留守をし続けるんだ。お腹が空いてデリバリーを頼んでも、出ちゃいけない。ああ、今は置き配があって本当によかった。かつての先輩たちは除籍か屍。


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