つながる地球儀、次世代な教育プログラムを生むカメ🐢の物語|前編
クラブハウスから誕生した
次世代の旅する親子教育
いかにして生まれ
そしてなにを目指すのか
ひらがな4文字に秘められた思いとともに
いきなりなのですが、この「つながる地球儀」は、こちらのKindle版でお読みいただけないでしょうか?読んでいただくだけで脱炭素から、さらに活炭素になるのです☟
脱炭素から「活炭素」へ
海に森をつくるために
二酸化炭素を活かす
海の森は「藻(も)り」
海の草木は「藻」なんです
ワカメとか昆布とかアマモとか海藻(かいそう)たち
藻たちにとって二酸化炭素は
人間にとっての酸素です
藻たちにとって二酸化炭素はエサ
そんな藻たちが世界的に減ってしまっているんです
どうして減ってしまったのか?
そして、どうしたら増やせる?
なんと今貝…もとい今回リリースされた
「つながる地球儀」を読んでいただくだけで
アマモが増えちゃいます!
Kameちゃんのご協力により、収益を海にモリをつくる「海護(アマモ)り活動」に寄付させていただくことになったからです
特にKindle Unlimitedをご契約の方は、無料で読んでいただいたページ数分が支援になりますので奮ってご協力…ご購読いただけたらうれしいです
人にも環境にもやさしい
そんな「つながる地球儀」
ライター養成の森塾の森先生に師事し、めきめきと上がった、と思われる文筆力により大幅に加筆修正、読み物としてもかなりのものに…?!
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他4つの短編との合本版、お得です!☟
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つながる地球儀☟
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音声版|この記事を聴くこともできます☟
2021年2月、音声SNS「クラブハウス」の熱気は相当なものだった
数々の奇人変人たちとの出会いがあり…いや、あの熱気そのものが「ナニカ」を燻らせていた者たちを、奇天烈な方向に目覚めさせてしまったのかもしれない
今日はそんな中で出会った ひとりの男の物語
あれから半年以上が過ぎ、その熱気も程よく冷めたクラハ(クラブハウスの略)だけではなく、他の様々なSNSを駆使しつつ
「親子」にフォーカスした 次世代の教育プログラムともいうべきものを生み出してしまった
「カメ🐢」と呼ばれる、そんな男の物語
クラハから生まれた
コロナ禍に負けない
子供たちの未来をつくる
次世代型 親子教育プログラム
その名も「つながる地球儀」
それは「海上自衛隊」から始まった
その訓練であったり、派遣や派兵で、海外を廻った
その「旅」の想い出、それは「人(ヒト)」・・・
ブレーメンとかシンガポールをSNSを使って中継で繋いでましたが、そういうことをしてくれる人たちとはどこで繋がったんですか?
クラブハウスが1月に始まって、カキさんともそこで出会わせてもらったわけですけど、
みんながいろんなコンテンツとか情報を発信してる中で、僕は何をしようかなって思って
若狭湾という地域に住んでるんですけど、目の前に海があったんで「波の音を届けながらお話します」
っていうルームを、毎朝 続けてたところ、みんなと出会ったという感じですね
ということは、日本だけなく 色々なところからのライブ配信ができたりする、そんな繋がりは、すべてクラブハウス?
クラブハウス繋がりですね
僕が「つながる地球儀」のメンバーで実際に会ったことがあるのは…ひとりだけ
え、そうなんですね、それってスゴくないですか?
海外からライブ中継してもらうとか、そんな気軽に…昔なら考えられないですよね
昔になってしまいますけど「ケネディ暗殺事件」の頃とか、生中継するのに何億円っていうお金がかかって
スゴいお金かけて衛星を打ち上げて、カメラもなんとかカラーなんだけど、ボロボロというか、全然、鮮明ではなくて
いまでは、言い方はおかしいのかもしれないですけど「会ったこともない人」が協力してくれて
でも、いくら現代だからといって、面倒なことには変わりはない、そんな中で、たくさんの人が、しかも世界中のいろいろなところの人たちが協力してくれる
そのあたりが「つながる地球儀」のスゴさなのかな、って思ってるんですけどね
クラハで出会っただけでは、そんな風に生中継で繋いで行こう!みたいにはならないですよね?そのあたりはどういう展開があったんですか?
もともと去年(2020年)の4月に、僕の子供が幼稚園に行けなくなったんですよ、コロナの影響で
そのときに、交流のあったアフリカのルワンダの友達ががいて
ルワンダも やはりコロナの影響で、観光客がまったく来なくなって、レストランも営業できずに困ってる、と
で、その困ってる同志をマッチングさせて、僕の子供が ルワンダのお母さんに「オンラインでベビーシッターしてもらう」っていうことを半年くらい経験したんです
ってことは、去年の4月に…それはzoom(オンラインで映像会議できるサービス)とかですか?
zoomです。さらに、その構想というか企画を考えたキッカケが、僕の友達が始めてくれた「オンラインのバー」なんです
オンラインのバー?それも zoomですか?
それは「Whereby(ウェアバイ)」(これも映像と音声でWEB会議ができるアプリ)です
それがすべての始まりですね、そこでそのルワンダの人とも繋がった
そのルワンダの人とも、そこと繋げてくれた人とも、実際に会ったことないです、オンライン上だけ
その「オンラインバー」はどこで知ったですか?
それは僕の「カメ🐢ハウス」をデザインしてくれているデザイナーであり設計士の方
そこはリアルな繋がり、バーのオーナーはリアルです
その設計士の方にルワンダの知り合いがいた?
そのオンラインバーに来てた別の人が繋がりがあった
すべての始まりは、その「オンライン呑み」
その時点では、何も考えてなかったってことですかね?なんかコンテンツをつくろう!だとか
オンラインで、とは思ってなかったんですけど、もともと僕の妻が「英会話教室」をやっていて
そこで英語を勉強した子供たちが、僕がやっている「カメ🐢ハウス」で、学んだことを実践する
海外からのお客さんが来てくれるように「カメ🐢ハウス」は、AirBnb(エアビー、宿の予約システム)に登録していて
そこで地域の子供たちと、海外の人たちとの国際交流が生まれることを目的としてやってました
さらに、来てもらうだけじゃなくて、せっかく交流したんだから、こっちからも会いに行けるようにしよう、と 旅行業の資格をとって準備はしてた
それはコロナ前ですよね?
そうですね、出来るだけ子供たちの学びを拡げたい、と
子供たちに、海外の言葉であるとか文化であるとかを、来てくれた外国の方を通して知ってもらいたいというのが カメ🐢ハウスのコンセプト
それは自衛官をやっていて世界を周った経験から?
そのときの思い出が「人」だった
人との出会いが良かったので
自衛官としての旅だけではなく、個人の旅もしました?
個人の旅で海外は…ないですね
なるほど…でも自衛隊として行くと、現地の人との交流ってどういうカタチであるんですか?
一番印象的だったのは、ハワイで3ヶ月いたんですけど
ハワイに自衛隊が駐留するというのは演習?
演習ですね、テポドンを撃ち落とすミサイルの発射実験と訓練
スゴく具体的な訓練で、アメリカ軍のチカラを借りてやってました
テポドン的なものを撃ってもらって、で、ミサイルを大気圏まで飛ばして、それを後ろから撃ち落とす、みたいな
そんな中で人との交流ってどんな風にして生まれる?
パールハーバーに滞在してたんですけど、基地から外には出れるので
外出できて観光もできる
あくまでベースは普通の公務員なので、休みもあり
それはどんな服というか格好で外出するんですか?
普通の格好して行きますよ、普通の服
でも、たとえばペルーとか入ったときとか、危険地域とかだと、自衛隊の制服で外出しないといけないっていう指示があるときもあります
私服と制服の違いは?
警察官の方が襲われにくいのと同じじゃないですかね
自衛隊員の安全を考えてのこと
軍服ほどではない「白い服」ですね
トラブルにならないように、軍関係者であることを匂わせる
ハワイはそうではなくラフに普通の服で外出できて
で、初日に「ハワイ記念館」みたいな博物館みたいなところに行ったときに、70歳くらいのおじいちゃんと仲良くなって
それは博物館の人?
ボランティアガイドの人
ローカル(地元)の人で、休日のたびに基地まで迎えに来てくれて、ずっとそのおじいちゃんと遊んでる、っていう3ヶ月だったんですよね
スゴいですよね…その毎週末迎えに来てもらえるようになっちゃう、って
最初からずっと言ってるし、思ってることなんですけど、ホントにカメちゃんの周りってヒトが集まる…
だから「ずっと同じことやってれば」みたいな生意気なことを言わせてもらったりしたんですが
普通は、そうやって博物館に行ってガイドしてもらっただけで、3ヶ月、毎週末、迎えに来てもらえるようにはならない…
自分ではそういう自覚症状みたいなものはあるんですかね…そこは意図して、とか テクニックがあるとか?
うーん… 他の人に比べて 集まりやすいタイプだとか、そういう風には思ってないですし、自覚もしてないですね
クラハでもたくさんルームありますし、それと比べると僕のルームに人が集まってるというわけでもないですし
僕が「特別」だという風には思ってないです
感謝はしてますけど、特別なことをしてはいない…なんて言ったらいいんですかね…
ということは、感覚的には、勝手に気に入ってくれて、勝手に迎えに来て、勝手にモテなしてくれちゃうってことですかね?
「伝えたいこと」もあったと思います
海軍墓地と日本人墓地とに連れて行ってもらえて、その違いについて教えてもらえたり、とか
ハワイも多宗教なんで、そのおじいちゃんもクリスチャンでもあり、仏教徒でもあり、創価学会員でもあり、みたいにいろんな宗教をされていて
現地のハワイアンの人なんですけどね
ハワイ大学も卒業されてて、その大学での話とか
僕に「伝えたいこと」があったんですよね、そのおじいちゃんに関しては
それは日本人だからだとか、自衛官だからとか、そういうのはありました?
それはわからないです
おじいちゃんの思想まではわからない…
なんで「カメ🐢ちゃん」に伝えたくなったのかはわからないってことですかね?
いまこうやって質問されたんで「伝えたいことがあったのかな?」とか推測してるだけで
仲良くなった 友達んちに毎日遊びに行くのと同じような感覚だったと思います
ホントにお世話になりました、ごはんを食べに連れて行ってもらったり、ドライブだとか
そのときは、ひとり?
連れて行った子は何人かいますね
でも、基本的に僕に会いに来てくれてました
なんて呼ばれてました?
「KAME🐢」だったと思います
やっぱりスゴいですね…なんでかわからないけど、モテなしてくれて…ってことですもんね…その「伝えたいこと」とか具体的に思いだしたことはあります?
その「日本人墓地」ですかね
海軍墓地は、海が見える素晴らしいロケーションにあって、でも日本人墓地は、住宅街の真ん中に…マイケル・ジャクソンのスリラーの舞台みたいな感じ
あとは仏教をしてるっていうので、日本への関心は高かったんだと思いますね
年齢的にパールハーバーも目撃してたとか?
あ、年齢も聞いてないです…なんとなく70歳くらいではないか、と思っていただけで…
その当時の連絡方法とかは?
ケータイですね
普通に通話と、もしかしたらショートメッセージもあったかも
Facebookとかはまだなかった?
そうですね、15年(2005年頃)くらい前だったので
相手のことを詮索しない?
そのあたりもあんまり意識してないので、ちょっとわからないですけど
でも、毎朝、若狭湾を散歩するルームを繰り返してるだけで、勝手に人が集まって
集まるだけではなくて、生中継とか協力してくれるようになるのは、このあたりに秘密というか、秘訣があるように思うんですよね
それが一番思い出に残ってる海外交流?
僕の経験としても良かったです
ハワイのこのおじいちゃんのことを思いだしたのは、日本に来た人を、このおじいちゃんと同じようにモテなしてあげたいな、という思いがあるからかと
勝手にモテなしてあげたい?
近しいことをしたいです
そういう思いを込めて「カメ🐢ハウス」をつくったはいいけど、コロナが来た?
そうですね、でもだからこそ「オンラインバー」という出会いが生まれました
ルワンダは日本人の方?
ルワンダと繋がりのある方は日本人ですね
その人は ルワンダにいたことがあって、いまの拠点は「エストニア」というところ
そのエストニアで ネット関連の事業で起業されている方
いろんなところに ネットワークのある方で、ルワンダにも繋がりが
そこから「オンラインベビーシッター」が生まれるまでの経緯は?
そのオンラインバーに結構入り浸ってまして、いろんな話をしてたんですよ、その流れで「ルワンダの人も困ってる」ってなって
「なら、オンラインでベビーシッターとかしてもらったりできますか?」って言ったら、おもしろいな、ってなって
頭の中には常に、子供たちの国際交流とかあったので
そしたら、そのエストニアの人がプログラムをつくってくれたんですよ
プログラムというか、申し込んで予約して決済して、というサービス
たぶん一週間とかそれくらいだったと思うんですけど
オンラインベビーシッターはzoom?
そう、zoomです
子供を画面の前に座らせて?
そう、そこなんですよね、座らせてって思ってたんですけど、そもそも、そんなの子供が落ち着いて座ってるはずがないんですよ
なので…
というところで前半を折り返したいと思います
果たして、カメ🐢ちゃんはどうやって、おとなしくしてないであろう子供たちの「オンラインベビーシッター」を成立させたのか?
後編に続く☟
つながる地球儀のページです☟
ちなみに、このカメ物語とは関係ないのですが、ひとつめの「ひらがなの奇跡」はこちらです…なので「また」と付けさせていただきました☟
それでは後編でお会いしませう
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