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ガチパラっ! (6)

船が止まったと思った途端、辺りを照らしていたライトが消えた

空には月も星もなく、本当の真っ暗闇

目も慣れず、辺りの様子もわからない…

突然、カラダが宙に浮いたのを感じた

まさか…海に…落ちたのか…?

何も見えない

なにかを叫んでいるのだと思うが、口に海水が入り込みやすくしているだけ

塩辛い海水が口だけではなく、穴という穴にどんどんと入りこんでくる

息ができない

必死に手足をバタつかせて、浮き上がろうと足掻いた

船体らしきものに手が触れた

なんとか掴もうとするが、掴めるものがそこにはなにもなく、ツルツルと手が滑り続ける

だんだんとチカラが入らなくなっていくのがわかった

沈む…沈んでいく…死?

突然、またカラダが宙に浮いた…

ーーー

真っ暗闇の海に放り捨てられる経験なんて、そうあるものではない

船が浜に近づくと、大きな焚き火がみえた

暗闇の中で、焚き火の周りだけがボワーっとまるで夕陽のようにみえる

焚き火に近づくと、大人たちが笑いながら、甘酒の入った紙コップを渡していた

「熱いぞ、ゆっくり飲め」

中身がみえないほどの真っ白い湯気、紙コップも2つ重ねてある

「怖かったろ?」

笑いながら言うことか?

「うあっちぃ!」

「熱いって言ったろうが」

ついさっきまで、わけもわからず

叫び声をあげたくても、寒さと怖さで、微かな声すらも出なかった

上の子達や、大人たちが数日前から、ニヤニヤとしていたのはコレだったのか

甘酒の仄かな甘さと、焚き火の暖かさ、パチパチと飛んでくる火の粉の痛みで、やっと我に返りはじめていた

ーーー

身寄りのない子供や、諸事情により育児放棄された子供たちを預かり育てるようになったのが、いつ頃なのか正確にはわからない

ただ、わかっているだけでも数百年は経つという

建立されたのが千年以上前だといわれている神社がその母体となっていた

神社とは言っても、寺でもある

神仏習合
古来の日本の神と、仏教の神とが、元は同じであるという教えでありルール

表から入ると寺で、裏から入ると神社

もしくは、その逆など、神社と寺が、その造りから表裏一体となっている寺社仏閣が存在するのはこのためだ

表裏一体とではなくとも、寺の裏にはたいてい神社がある

寺がメインで、神社が縮小された状態の所が多いのは、葬式、そして墓をつくることができる「寺」の方が経済的に立ち行きやすいからだそうだ

ーーー

今年は3人か
年々、減っていくな

それだけ恵まれた国になったということだ、日本も

あの時の私と同じく、夜釣りだと思いこんで燥ぐ子供たちを眺めながら、気がつけばそんな想い出に耽っていた

「念のためだ」とかなんとか言いながら、命綱となる…この場合「命綱」という言葉が比喩ではない…ロープを子供たちのカラダに巻いていく

海に投げ、しばらくのちに引き揚げる

子供をエサ代わりにサメでも釣ろうというのであれば、まさに夜釣りだな

空気がないというのは、本当に苦しいものだ

ただ空気がある、というだけで、ありがたみを感じる

この子たちの心にも焼き付けねばなるまい

海の
その広さを
その深さを
その恐さを

そして
一番優秀な子に託すのだ
私が託されたように

(7)に続く☟


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