分かりづらいものの魅力
コロナが落ち着いて、大切な人に会いに行く旅(お出かけ)をしている。
昨日、久しぶりに会った友人宅で、彼女にピアノを演奏してもらった。
まず、お家がとても素敵だった。
狭くて、物に溢れてて、一見とっちらかってるんだけど、そこにはそこに暮らす夫婦の知的関心がぎゅっと詰まっていた。
3Dプリンター
ステレオ
パソコン2台
ゲーム機
地質学のたくさんの本
漫画
クラッシックのCD
デザインの本
思想の本
数学の本
などなど。
パソコンの横に読みかけの方丈記が開いて置いてあるなんて、なんて教養の高い2人かと惚れ惚れ。
そして、上質なピアノ。
彼女はピアノと30年くらい向き合っていて、病気で働けない中で、ピアノの演奏会をしたり、作品を作ったり、自分を表現するツールとしている。
遠くで暮らしていたこともあり、初めてじっくり生演奏を聴いた。
私はとても感動した。
それは、私と彼女が学生時代どれほど仲良くしてても、全然理解できない一面があるのだなと言う感動や、生活感溢れる中で聴いた高尚な音楽だったから、久しぶりに人に会いに行くというテーマの中で思いがけず美しいものと出会えたから、とか、色々な要素があってのことだったのかもしれない。
なんと言っても私は音楽の鑑賞する力がてんでないのだ!!
音痴、ピアノの習い事も嫌すぎて暴れてた、クラッシックは全く分からない…。
その後、彼女が専門的な話を分かりやすくしてくれて、なるほどー!そういうことわ意識して演奏するのかと面白いとは思ったけど、いざ聞いてもちんぷんかんぷん。
そういう専門性を持たない私でも感動できるような、彼女の表現力とか技術があったのかもしれないけど、正直、なぜ自分がこうも感動したのか全く言語化出来なかったのだ。
その時2つの気持ちを感じた。
1つ目はこんなに分かりにくいもので、どうやってお金を稼ぐのだろうかというもの。
音楽に限らず、芸術ってなんて価値が分かりづらいんだろうと。お金で測るってどうやって?と思った。
例えば、偉い人が彼女の演奏は素晴らしい。1万円の価値がある!といえば、私は1万円だすし、素人の演奏だけど心温まるね。と言えば、そういうものかと思うだろう。
情けない話だけど。
2つ目は分かりづらさの魅力も同時に感じたということ。
私は言葉が好きだから、ストレートに伝えたり、分かりやすい美しいものをずっと求めてきたように思う。
でも、何が言いたいのか分からないとか雰囲気とか、解釈は受けてによるよね。みたいな柔和な表現ってこんなに人を癒すんだなと実感した。
物語も、童話とかジブリみたいな分かりづらさが魅力なものも多くて、そういうものって癒しの力があると思う。
芸術について、色々考えるきっかけになった。
音楽は私はだめだからとシャッターを閉めてしまっていたけど、もったいないなと、たくさん美しいものを知ろうと思える良い経験だった。
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