いちごタルト キルギス
恋愛✕旅小説 舞台はキルギスのビシュケク。
「ごめん、勝手だけど、もう連絡取るのやめたいんだ。時間がある時に電話もらえないかな」
Wi-Fiの繋がるカフェで最初に受信したラインのメッセージは浩一からだった。
キルギスのビシュケクは、想像したよりもずっと都会で、街の中心には日本にもあるようなおしゃれなカフェが点在した。
店員がオーダーしたカフェオレといちごタルトを運んでくる。
「ラフマット」
私は覚えてたのキルギスの言葉でお礼を伝える。
店員は、可愛らしく微笑んだ。
カフェオレを一口飲んで、もう一度スマホの画面に視線を落とす。
変わらない文字の羅列を何度も読み返した。
浩一とは、出会って10年以上になる。
学生時代に3年間だけ付き合っていた。
別れてから私たちは周囲が驚くほど、仲の良い友人となった。
お互いに短いながらも恋人が出来た期間もあったけれど、そんな時期は二人だけで会わない約束を守り、連絡だけは頻繁に取り合った。
テーブルに置かれたいちごタルトに手を付ける。
浩一からのメッセージに動揺する気持ちが、確かにあったが、それよりも不思議なくらい自分が冷静だと感じる。
私は昨年度末に会社を辞めて、しばらく旅をすることを決めた。
中国から中央アジアに入り、そのまま西へ進み、ヨーロッパに行こうと。
旅のメインである中央アジア最初の国、キルギスに4日前に到着したところだ。
今は各国のビザの申請も終え、この街でのんびりした日々を過ごしていた。
元々、海外旅行が好きで色々な国を旅してきたのだが、
東南アジアは、会社の休暇でおおかた行ったし、南米は学生時代に長期で。
中央アジアはビザが必要なので、まとまった時間をかけて、ゆっくり旅したいと前々から思っていた。
浩一にも、会社を辞めることになった時、旅の相談もした。
彼は、今の会社は海外出張が多く、海外経験豊富だが、中央アジアのような日本に馴染みの浅い国には興味がないようだった。
「どうしてそんなとこに行きたいのか、俺には分からないよ。でも、まあ美里の好きにしたら良いよ。美里らしい選択だと俺は思うよ。」
浩一はいつも“美里らしい”という言葉を使う。
私はその言葉を言われるととても安心する。
私たちは恋人ではなかったが、
私は心の底で、自分のことを1番理解してくれているのは浩一だけだと思っている。
そして、自分のやりたいこと、自由な時間をすべて満喫したら、彼の元へ帰りたいとも。
お互いに恋人が出来ながらも長続きしないのも、そんな気持ちを浩一も抱いてるからだと思っていた。
キルギスと日本の時差は3時間。
今夕方の17時だから、日本は20時だ。
おそらく浩一は家に帰宅している。
カフェで、電話するのもと躊躇われたが、私は今ホステルに泊まっている。
電話する時に、何人かの日本人に会話が聞こえるのは避けたかった。
それに、おしゃれなカフェとはいえ日本とはマナーが違う。
私の他に何人かスマホを片手におしゃべりしている人がいた。
私は淡々といちごタルトを口に運んだ。
やっぱり全部食べきれないかもしれない。
冷静なつもりだけど、どうしてもスマホが気になってしまう。
手を止め、ラインの通話ボタンを押す。
「浩一、今大丈夫?」
呼出音が何度か鳴って、すぐ彼は電話に出た。
「うん、ちょうど家についたとこ。そっちこそ大丈夫?」
「私は、大丈夫だよ。こっちはまだ夕方だし。キルギスはね、期待した通り、なかなか面白そうな国だよ。ごはんもすごく美味しいよ」
「治安は大丈夫?」
「うん、大丈夫。東南アジアより平気な気がする。ただ、日本人のツーリストはあんまりいないなぁ」
いつものように会話は進む。ただ、Wi-Fiの電波が弱く、会話はお互い聞きづらい。
私から口を開く。
「メッセージのことだけど、もう連絡しないってどういうこと?何かあったの?」
ほんの少しだけ、間があって、浩一は答える。
「百合と結婚を前提に付き合うことに決めたんだ。だから、今みたいにこんなに頻繁に連絡取り合うのやめた方が良いかなと思って」
私はその言葉に何を言ったら良いか分からなかった。
百合とは、大学の学部の共通の後輩だ。
百合は、浩一のことがずっと好きで、私と別れてから浩一に何度も告白して一度少しだけ付き合っていた。
それからも彼女が浩一のことがまだ好きなのは周囲の誰もが知っていた。
浩一も彼女を大切にしていたが、それは妹みたいなものだと昔、私に話したことがあった。
『別に私たちは付き合ってるわけでもないし、友達だから良いじゃない?』
そう笑って答えることも出来た。
でも、そう笑って、言えないほど私にとって浩一は特別だったし、それを浩一も分かってるからわざわざ連絡を控えようなんて私に言うのだ。
「百合ちゃんと結婚か、まさかだな。びっくり」
思わず出た言葉はそれだった。
「まだ決まってないよ。百合からそう言われて、俺も悩んだんだけど、年齢も年齢だしそういう気持ちで付き合う方がお互いにとって良いかと思って」
「そうだね、私たちもう30歳だもん。百合ちゃんも年下といっても1つしか違わないもんね」
浩一は何も言わなかった。
私もこれ以上詳しいことは今は聞きたくなかった。
「ごめん、なんだかWi-Fiの電波がそんなに良くないみたい。そろそろ切るね。…私の旅が終わったら、またいつものメンバーでみんなで飲みに行こう。みんななら良いでしょ?」
私は、明るい口調でそう言った。
「うん。当たり前だよ。帰ってきたらみんなで飲もうな」
胸がぎゅっと締め付けられるように痛かった。
「いつも色々話し聞いてくれてありがとうね。本当にありがとう。浩一も仕事頑張ってね」
「うん、勝手でごめんな。美里は、美里らしく、楽しく気をつけて旅続けてな」
そう言って、電話は終わった。
とても、あっさりした最後だった。
私は、百合に対して複雑な気持ちを抱く。
嫉妬もあったけれど、それ以上に、自分の気持ちにずっと素直でいて、浩一にそれを伝え続けた彼女を尊敬する気持ち。
私にはそれが出来なかった。
浩一を優先するよりも、自分のやりたいことばかり選んできた。
現に今も、浩一よりも旅を選んだ。
日本にいたら、確実に浩一とよりを戻して結婚出来たとはもちろん思わないが、"もしも"という言葉が頭に浮かぶ。
それから浩一に対しても、一つの疑問が生まれた。
私と同じように百合にも接していたのだろうか。
それでも、私たちは交際していたわけじゃないし、大人なんだから恋愛や結婚はタイミングや環境で思わず、進むこともあると分かっている。
それに、日本に普通に暮らしてる人にとって、どんな場所か想像もつかないほど、遠く離れたキルギスにいる自分は何かを言う資格なんてないと思った。
浩一のことを責める気持ちなんて、ちっとも浮かばなかった。
ただ、旅をして失うものが確かにあると感じた。それでも、やっぱり知らない景色、人、文化を見に行きたいとも。そんな自分の旅への気持ちを再確認できた。
私は目の前のいちごタルトを見つめる。
そして、半分ほど残るケーキにもう一度手を付ける。
さっきより落ち着いて、そのいちごの美味しさを堪能する事ができた。
キルギスのいちごは夏が旬だと聞いた。
こういった綺麗なおしゃれカフェだけじゃなく、スーパーマーケットにも市場にもたくさんのいちごや、ジャム、タルトが並ぶという。
失恋に効くという甘いスイーツの力を、しばらくの間、頼りにしよう。
▼あとがき
旅をすると失うものもある。
それは、はっきりとしたものだけじゃなくて、
長期間、日常(日本の生活)を離れることで変化する人間関係など。
そういう失うものを描きたいと思いました。
また、一人旅女子は強くみられがちだし、
実際旅をすると自分でもびっくりするくらいタフになっていく。
泣いてわめいても仕方ないという潔さ。
でも、一人旅女子はそういう強さと同じくらい夢見る気持ちをもっているとも思うので、
そんな乙女チックな面も表現したかったです。
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