『シッダールタ』(ヘルマン・ヘッセ)読了
『デミアン』からヘッセにハマってしまった私にとっては、案の定好きな物語だった。ヘッセの著書は各出版社から出版されているが、なかでも新潮はていねいな中に少しこってりとした形容を感じる。しかしこれが個人的には心地よい。
シッダールタは釈迦の出家前の名前であるが、ここでのシッダールタは実に人間らしく見えた。仏陀よりもずっと人間臭く、苦悩し、欲にまみれ、快楽を求め、恐ろしく深い自我に堕ち、愛を知り、また自分の人生を見つめ直した。その過程は修行を繰り返していた前半を越えた後半に、それはそれは色濃く描かれている。
最終的に悟りを開いたシッダールタは、目の前の物を愛するに至った。それは決して物に執着するのではない。物のなかにある、色や硬さ、匂いやざらつき、みずみずしさを見るのである。
「ことばは内にひそんでいる意味をそこなうものだ。ひとたび口に出すと、すべては常にすぐいくらか違ってくる、いくらかすりかえられ、いくらか愚かしくなる」(p185)
しかし、シッダールタはことばよりも物を愛したが、それは彼の言うところの「ことばが"教え"であるから」であって、教えではないことばを少なくともシッダールタより知っている私は幸せなのかもしれない、と思った。
深いところでは私は物より、ことばを愛している。それは私が物よりもことばで救われる人間だからだろう。
ことばで死をみることもあると知りながら、たとえそれがことばで勝手に救われたのは私で、人が救おうとしたのでもなく、私が人を救えるものでもなくても、私はこのことばをどう手放していけるだろうか。
せめて、ことばであなたとわたしの存在そのものを否定するようなことがないように、と思う。
「私のひたすら念ずるのは、世界を愛しうること、世界をけいべつしないこと、世界と自分を憎まぬこと、世界と自分と万物を愛と賛嘆と畏敬をもってながめうることである」(p187)