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自己矯正記③ 「他人の中に生きないことが信用への近道。」

とある介護事業所で責任者をしてるryuです。

ここで少し私の人格における歴史をお話しします。(無駄に長いので経歴は飛ばして「そして35歳〜」の本文から読んでもらって結構です🙇‍♂️)

幼稚園の記憶はほとんどありませんが、世間から見て「良い子」ではなかったのは確かです。

小学生の時の記憶もほぼありませんが、何も考えず本能のままに生きていたことは覚えています。あと好きな子のタメになんでもしました。

中学生のこともあまり記憶にありません。
ただ、とても記憶に残っているのは中3の頃は少しいじめられ嫌われていたということ。

高校生の時の記憶はいくらかあります。
3年間テニス部でテニスには一生懸命でした。それ以上に覚えているのは今となっては恥ずかしいほど精神年齢が低かったということです。

専門学生時代は良き友に恵まれましたが、束縛の強い彼女と付き合っていたことでほとんど遊べませんでした。
スポーツの学校でしたが将来のことは何も考えていませんでした。

そして20歳の時、事情により自分の意に反して今の職場で勤めることとなり、向上心もなければ礼儀もないダメな若者として約5年を無為に過ごしていました。

辞められない理由があり働き続けたことで、今の仕事にやりがいを感じ、20代後半からやっと「この仕事で食っていきたい」と思うようになりました。

そして35歳現在。
私は施設の責任者として3年目を迎え、恥ずかしながらこの歳になって初めて「人間としての自立」を迎えていると思います。

前置きが長くなりましたが、つまりずっと私は「精神的に成長していなかった」のです。
幼稚園から34歳に至るまで私の頭に一貫してあったのは「他人の中の自分」でした。
嫌われたくない、好かれたい、よく思われたい、どう思われてるのか気になるといった感情に囚われて生きてきました。

そのため「これが自分」という芯はなく、何を考えるにもスタートが「他人から見える自分」であったため、皮肉にも自然と客観視や多角的な考え方、多様な表現力などが身に付いていました。

つまり私がしていたのは「他人に気に入られるために他人に合わせた自分を演じる」こと。
当然こんなものは付き合いが長くなると呆気なく見破られ、「何もないダメな本当の自分」が姿を表します。

自己矯正記①で書きましたが、私は「自分のための嘘」を辞めました。
これから私が取り組もうとする仕事にはメッキで加工したキラキラした自分ではなく、錆色であっても嘘のない自分が必要だからです。

私は本心で常々こんなことを言っていました。
「仕事ができて情熱のないスタッフより、仕事ができなくても情熱のあるスタッフの方が欲しい」と。
自分もそれで良いのではないか?
責任者だからとできるように見せる必要なんか微塵もなく、正しいことをしたいという真っ直ぐな情熱が伝われば、人間ってそう簡単には見捨てないんじゃないか?

でかでかと載せました。
かの西野亮廣大先生が著書でこう綴っております。
「お金を稼ぐな。信用を稼げ。「信用持ち」は現代の錬金術師だ。」
嘘をついてでも獲得する「人気」ではなく、嘘をつかないことで獲得する「信用」が大切だと。

他人の中に生きる自分が得られるのは「人気」であり、その代償に「信用」を失っている。
全力の自分でいることで「多くの人気」が得られないとしても、応援したくなるような「少ない信用」を勝ち取る方が何千倍も価値がある。

やりたいこと、やるべきことは沢山ある。
全てに全力で取り組もう。
今この瞬間から改めて決心を。

「ただただ今やるべきを全力でやればいい。今は結果なんて気にすんな。」

ご拝読ありがとうございました😊

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