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自己矯正記11 「友達の少ない私が幸せな理由」

とある介護事業所の責任者をしながら、札幌プペルトラックのクラファンに気づかなかったことを後悔している男、ryuです。

皆さんの中の「友達の定義」はどんなものでしょう?
私にとっての友達の定義は「本音を言っても関係に影響が出ない」相手のことを友達だと思っています。
細かくいうと相手を思っての本音であることが前提ですが、言い方が悪くても互いに「悪気はない」ことが自然と理解できる関係であることですね。

これは恐らく誰もが頭の中で「そりゃそうでしょ?」と思ってることですよね。
けど、自分が逃げて否定して後回しにしてきた立ち向かいたくない問題に対して正論をズバッと言われたらどうでしょう?
「お前が間違ってる。直した方がいい。」と言われて素直に受け止められますか?

瞬間的に怒るのはいいんです。
むしろ怒りが込み上げてくるのはどこかで自分が悪いと自覚してるから証拠だと思います。

しかしアドバイスされたことで勝るのが「プライド」や「羞恥心」であれば、あなたに本当の意味でのアドバイスをしてくれる人はいなくなってしまいます。

「叱ってくれる人を大切にする」
これは私が退職したスタッフに対して一番感謝していることです。
そのスタッフは私と比較的仲が良かったため、気兼ねなく思ったことを言ってくれました。
しかし退職が決まった後に
「もうあなたに言ってくれる人はいなくなるんだよ?他の人はあなたに何か言っても言いくるめられるって思って、意見なんて言えなくなってるんだよ?」
と言ってくれました。猛省しました。

話が仕事へと逸れましたが、友達も同じことです。
友人がその人のことを思い言ってくれる言葉は感情に左右させず、しっかりと受け止めるように心がけましょう。
それが間違ったことであっても、まず受け止めるということ。
大切なのは「友達のために」という心根です。

私は嫌われることを覚悟でその人が間違っている時はキツく叱責することが過去に数回ありました。
その内一人の男性はそれ以後連絡が取れず縁を切ることとなりました。

その内一人の女性は感謝をしてくれました。
今でも親友と呼べる間柄です。
結婚して疎遠になりましたが、私の中にある「彼女のためならなんでも出来る」と明言できるほどの信頼は揺らぐことはありません。

さぁ、そろそろタイトルに対するアンサーです。
私が友達が少なくても幸せなのは、
「信頼できる友達しか残らなかったから」です。
その人たちが私のためを思って本音で色々言ってくれるから。
その人たちのことを思って厳しく言っても受け止めてくれるから。

ここでryuからの課題
「信頼できる人に自分の悪いところを言ってもらう」
これは意外とやってみると効果的です。

最後まで読んでくれてありがとうございました!
スキやコメントは気軽にどうぞ。
否定も肯定も全て受け止めます。

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