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友人の猫

 友人の猫が亡くなった。深見東洲にとてもよく似た猫だった。電車の中で彼の広告を見るたびに友人の猫を思い出していた。友人の猫は、深見東洲のダンディさはそのままに、愛嬌を丁寧にとり除き、耳を足し髭を足し尻尾を足し、猫に仕立てた、そういう猫だったと思う。(深見東州さんの思想や内面との相似点は全く考慮されてはいません。というよりよく知りません)

 外出先から連れだって友人の部屋に戻ると、猫に仕立てた深見東州が憮然とした様子で迎えにきてくれるのだった。友人は靴を脱ぐなり、キーちゃん!キーちゃん!むかえにきてくれたん!と猫を床から目の高さまで一気に引っこ抜き、鼻の頭に接吻を浴びせるのが常だった。鼻を吸う間は閉じているが、鼻を解放するたびに、機関銃のように感情を吐き出していた。留守番へのねぎらい、長く不在だったことへの謝罪、猫糞臭へのどこか嬉しそうな苦情、快便に対する歓び、キーチという存在自体への感謝等々をつぎつぎに発していた。感情の合間には接吻を、接吻の合間には感情を浴びせていた。猫賛歌が止まない友人とは対照的に、キーチは、逆さのYで口を結んだまま友人を見つめている。わたしも靴を脱ぐきっかけを失ったまま、二人を眺めていた。

 キーチは居心地の悪さを感じたのか、にゃぁと非難めいた声色で鳴き、接吻を前脚でブロックした。友人はごめんと謝るとキーチを床におろし、続けてごめんと玄関のわたしを招き入れた。わたしは部屋に上がりシャカシャカとマウンテンパーカーを脱いだ。キーチは床の上で爪をシャカシャカと空転させながら奥へ逃げていった。わたしもキーチに触りたかったなあと背中のトビ柄を見送った。

 ある年の暮れ、再び連れだって玄関の扉を開けると、小さくなったキーチが出迎えてくれた。この世の憂いをひとりで背負いこんだような表情は変わらないが、ずいぶんと骨が目立つし、毛もパサついていた。もう友人も感情にまかせてキーチを引っこ抜いたりしない。甲状腺機能亢進症になってしまったのだった。食欲が増して以前よりご飯を食べるのに、身体が細くなっていくので病院につれていったところ、件の症状が判明したのだった。トビ柄の背中を撫でたら、背骨の凹凸がはっきり手に伝わってきた。以前は分からなかったあばらの位置が透けて見える。甲状腺の働きを抑える薬を服用しているからなのか、大人しく撫でられるままでいる。初めて落ち着いてキーチを触った気がする。キーチの鼻先に指を差し出すと、眉を寄せ一生懸命匂いを嗅いでくれた。眉を寄せるとダンディさとニヒルさが際立って、やはり深見東州に似ているなと思った。それがわたしが見たキーチの最後の姿だった。

 年が明け、数か月ぶりに、友人と再会した。その間、彼は長期の休みをとり、キーチと一緒に過ごし、最後を看取ったと話してくれた。十八年間連れ添ったキーチとの最後の時間は悲しいやら嬉しいやら楽しいやら無常をつきつけられるやら大変だったそうだ。やせ細ったキーチの写真をたくさん見せてくれた。身体を支えられながら排泄をするキーチ。自力では歩けないのでキーチの鳴き声やしぐさで察して猫砂まで連れて行ったそうだ。もうご飯を食べてくれないので、透明で匂いもないおしっこがこぼれてくるだけで、かつての滝のごとき勢いのおしっこや、エッジのきいたうんこ臭が懐かしかったと話すその言葉は、震え途絶え途絶えだった。

 歩けなくなったキーチだが、友人がベランダで洗濯物を干していると、よろよろと布団を這い出してきたそうだ。友人がキーチえらいで!と褒めたたえ、一番日当たりの良い室外機の上に布団を敷いて、キーチを横たえてあげたと嬉しそうに話してくれた。写真の中のキーチは気持ちよさそうに目を閉じていた。ひげが日に照らされ白く輝いていた。キーチのぼさぼさの体毛は日の光をたっぷりと吸いこんで、たんぽぽのようにふわふわ浮かびあがりそうな気配がした。

 キーチがいなくなってからの数週間はなにをしていても、キーチのことを思い出して辛かったという。道を歩いている猫は全てキーチの生まれ変わりに見えた。そしてなにより辛かったのは、仕事や雑事に追われていると、だんだんとキーチを思い出す時間が減ってしまうことだった。思い出しても昨日より悲しみが減っていること、思い出しても思いに沈む深さが日に日に浅くなってきることを実感してしまったいう。そして、そんな自分を棚に上げ、奥さんが自分ほどにはキーチの死を悲しんではくれないように見えてしまうことが辛かったという。

 ジョーン・ディディオンのドキュメンタリー映画「The center will not hold」を思い出す。夫と一人娘を相次いで亡くし、悲しみと喪失感、虚無に暮れたジョーン・ディディオンが、のちに二人の死について語っている。「残された者は、生きていく限りいつかは死者を忘れねばならない。死者を手放して海へ返そう。テーブルの上の写真たてに飾るのもいい。理屈では分かっていても、簡単なことではないが。愛する者を亡くした後の年月は要らない。でも二人を失って二年目にある体験をした。死の瞬間が“ある年に起きた思い出”になった。元気だった頃のジョンとクィンターナは、遠くなり、ぼやけ、彼らなしの人生を生きる力に変わっていく。すでにそれは起きている。さあ彼らを手放そう」

 いくえみ稜のスカイウォーカーの一遍も思い出した。妻と子供を交通事故でいっぺんに亡くした兄が、十五歳年の離れた、どこか他人事のような態度の弟に「ずっと離れてて、一人っ子同然のおまえにな、俺のことなんて関係ないな。ましてや、おれの家族のことなんてな。だけど、都合のいいこと言っていいか。あいつら、おまえの義姉で、おまえの姪だった。せめて米つぶひとつ分くらいは思ってやってくれ。わるいな。」と寝ている弟に語りかけている。

 わたしは友人が悲しむほどにも悲しむことはできないだろう。友人は奥さんに感じた苛立ちを私にも感じるかもしれない。

 しかし、私も総武線に乗ると思い出す。ニヒルと愛嬌が同居する彼を見るたびに悲しくなる。いまだに彼が誰なのかは知らないが。毎朝、毎夕、会社に行くたびに思い出す。米つぶひとつ分以上は思っている。

 私の妻が亡くなったら、どうだろうか。病気が再発したら生存率は著しく下がってしまう。今はそんなことが起こるはずがないとたかをくくっている。しかしその時が訪れることを完全には阻止できない。受け入れられるだろうか。いつまでも妻の思い出にふけっているだろうと思う。いつまでも後悔にさいなまれているだろう。後ろめたくて楽しむということを一切やめてしまうだろう。友人やジョーン・ディディオンのようになれるのだろうか。どうしたらいいのだろうか。

 なにより、米つぶひとつ分以上には思っているなんて、軽々しく口にする奴が現れたら、そいつになにを思えばいいのだろう。

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