歩きスマホは自分の安全を放り出す行為
私は歩きスマホがあまり好きではありません。
どうしても急いでいるときや人混みのような危険がないとき、やむを得ないときは、周囲に注意して短時間だけ歩きながら使うこともありますが、基本的にスマホを触るときは立ち止まるようにしています。
タイトルを見て大袈裟な・・・と思われるかもしれませんが、なぜ歩きスマホがよくないのか、私なりに分解して書いてみました。
歩きスマホは安全注意義務違反である
※少し検索すると「安全配慮義務」という言葉は元々存在するようですが、同じ言葉を使うと混同してややこしいので、あえて「安全注意義務」という言葉を使います。
※私の抱いている感覚を説明するための例えとして ‘違反’ という表現をしており、現行法下で逮捕される可能性がどうこうという話ではありません。
昔「ポケット図解 刑法」みたいなタイトルの一般向け解説書を読んだことがあるのですが、犯罪となる行為は大きく2種類に分けることができます。
‘作為’ の罪と ‘不作為’ の罪です。
ざっくり言うと、作為は何かを「した」ことが罪となり、不作為は何かを「しなかった」ことが罪となります。
窃盗や詐欺や殺人など大半の罪は、何か悪いことを「した」ことが罪となり罰せられますから、作為の罪です。
一方で、職場環境の安全確保に努めなかった、育児を放棄したなど、当然のように責任があることを「しなかった」ことが罪となるのは、不作為の罪です。
今のところ歩きスマホを取り締まれるような法律があるというのは聞いたことがありませんが、もし法律で規定するのならば、「歩行時の安全に注意を払う義務を怠った」という意味で不作為の側面もあるのかなあと私なりにイメージしています。
その「気を付けている」は通用しません
歩きスマホをしている側からすると、一応前方は視野に入っているし、気を付けていると主張するかもしれません。
ただ、人は歩くとき、体の向きや表情・視線・足取りなど総合的な情報から判断して、無意識のうちに衝突を避けています。
顔をうつむけて歩いている人はそういった情報に乏しいので、「この人次にどう動くんだろう?」というのが読めなくなるんです。
あなたは呑気にスマホを触っているけれど、こっちは数メートル手前からあなたの動きに目を光らせて衝突を避けてあげてるんですよ?と。
失礼ながらやや乱暴な言葉で表現させていただくと、
「なんでわしが(本来自分自身で気を配るべき)お前の分(の安全)まで心配してやらんといけんのじゃ!」
と。
まあつまり、イライラするということです。
車に例えると、脇見運転や信号無視をする車は、交通の安全を乱し事故の元凶になるので取り締まられますよね?
それが人になっただけです。
あと、歩きスマホはこちらの動画で解説されている「周囲の怪しい人の動きに気付かない人」にも当てはまりそうです。
ここで解説されているのは海外での事例ですが、日本国内でも本質は同じだと思います。
周囲に危なそうな輩がいたとき、尾行されたとき、スリやひったくりに狙われたとき、歩道に車が突っ込んできたとき、、歩きスマホしながらその危険にいち早く気づけますか?
そんな離れ業をできる人はいないでしょう。
物理的には目を開いていてスマホごしに視野に入っているかもしれませんが、残念ながら「周囲の危険を察知する眼」は完全に閉じられています。
歩きスマホをしていいのは緊急時かプロ歩行者だけ
好きではない歩きスマホですが、緊急時ややむを得ないときにまでやめろとは私もさすがに言いません。
この忙しい現代社会で歩きスマホをゼロにするのは、現実的ではないでしょうから。
あと、‘プロ’ 歩行者なら許します。
私のイメージするプロ歩行者とは、
とんかつ屋で何十年と勤めあげ、手元をほぼ見ずに高品質かつスピーディーなキャベツの千切りができるおばちゃんのような歩行者です。
確固たる技術があり高品質、そして周囲の人間に余計な心配を掛けないこと。
これが満たせるなら、歩きスマホでもなんでも好きなだけどうぞって感じですかね。
そうそう。
歩きスマホ繋がりで今年おもしろいニュースがあったので、記事を貼っておきますね。
自分の安全を他人に丸投げしてますよ?
歩きスマホは、周りの人間がイライラする迷惑するということも問題ですが、少し視点を変えれば「自分の安全を他人に預けてしまう」ということも問題点と言えます。
今まで歩きスマホばっかりしてるけど、そんなに危なかったことなかったよ
そりゃそうでしょう。
私のような善良で聡明でイケメンで魅力の塊ですこぶる親切な市民が、
あなたが放り出した「あなたの安全」を一部預かってくれているんですから。
不満げに思いながらも、気を遣って進路変更したり見守ってくれているからです。
そうあなたは恵まれています。幸運です。
でも考えてもみてください。
あなたが預けたと思って放り出したその「安全」、誰にも預かってもらえていない可能性もありますよ。
その安全、誰にも引き受けてもらえなかったらどうするんですか?
死にますよ、冗談抜きで。
「あなたの安全」を誰も預かってくれなかったとき
歩きスマホで起きた近年の事例でいうと、ポケモンGOが話題になりました。
レアポケモンを求めてさまよっているうちに崖から落ちたりして、実際に亡くなっている人がいます。
一部のバカだと切り捨てたくなるかもしれませんが、シチュエーションが違えば誰にでも起こりうることです。
あなたが放り出した「自分の安全」を拾う人が誰もいなかったら、、
最悪の場合命を落とします。
もっと身近なところで例を挙げると、小田急線や京王線で起きた切りつけ事件があります。
私も日常的に電車に乗る生活をしているので、ここ最近はさすがに危機感が高まってきています。
通り魔は常にわめきながら近寄ってくるとは限りません。
何事もなく静かに歩きながら当たり前のようにスッとナイフを取り出し、すれ違いざまに刺してくるかもしれません。
顔を上げて歩いていれば数秒前に気づいて逃げられたのに、歩きスマホをしてたせいでおだぶつなんてアホみたいです。
成仏できませんよ、ほんと。
(実際にそういうシチュエーションで亡くなった方がもしいたら、それはすみません。ご容赦ください。)
誰かが助けてくれる、は危うい
私たちは「人の多いところなら安心」というイメージをなんとなく抱いたりしますけど、あれは半分嘘ですからねえ。
人間はいとも簡単に「傍観」や「無視」という選択をとれる生き物です。
自分には関係ない、勘違いだったら失礼だから、誰かが助けてあげるだろう、そんな意識が悪気のない「傍観」や「無視」を生み出したりもします。
自分の安全を無邪気に預けるには、この社会はまだまだ心もとないのではないでしょうか。
それにその「安全」は、ちょっとした意識と習慣で管理できるのですから。
人は視覚から、全情報量の大半ともいえる膨大な情報を受け取ります。
何のために立派な目ん玉がついてるんですか。
視力があるうちにしっかりと前向いて歩きましょう。
'21/12/19 最終更新
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