1人1通りの人生と「対話」のはなし
ああ~こういう人生がよかったなあ
あんな風にできてればなあ
こう思うことってありますよね。
私もいくつも出てきます。
高校生活をもっとのびのびと謳歌したかった
大学の環境をもっとフルに活かして、色んなことに首を突っ込んだり勉強したりしたかった
若いうちから恋愛をして、色々な感情や経験を持ちたかった
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ただよくよく考えてみると、私たちは1人で1通りの人生しか経験できないわけです。
なに当たり前のこと言ってんだと思われるかもしれませんが、けっこう大事な気づきだなと私自身は感じました。
私は暗号資産/仮想通貨や株式等の取引を少額ながらしたことがあるので、それで例えてみます。
株やなにかしらの金融商品の価格推移グラフを最初に見たとき、
「ここで買ってこの上がったタイミングで売ればけっこう儲かるじゃん。わりとよさそう。」
と人は思いがちです。
(私がバカなだけかもしれませんが、、)
ただ、いざ取引をやってみると、そううまくはいかない。
当たり前ですね。
過去の価格は何日に高騰して何日に下落したのか、全部情報が出揃っています。
でも実際取引をする際は、昨日今日までの推移情報しかありません。
これから先の価格は現在進行形で決まりながら進んでおり、この後価格が上昇するのか下落するのかは自分で予測しないといけません。
後から、ああ~あのときに売っておけば・・・と思うことはできても、当時その瞬間に自分が同じことを判断できたかというと、それはなかなか難しいでしょう。
こういう人生だったらなあと想像したり、過去を振り返って悔やむこと自体は悪くありません。
悪くはありませんが、そこに囚われてはいけないな、と。
だって、どうあがいたって自分1人では1通りの人生しか生きられないのですから。
たとえもっと良い結果だったとしても、きっと「ああ~」と思っていたのではないでしょうか。
人間は欲深いですからね。
ああ~こうだったらなあ
とひとしきり思った後は、一度その過去を脱ぎ捨て、その思いをこの先描いていく自分の人生に振り向けてみよう。
なんかそう思えました。
どこかで聞いた言葉で、
過去は変えられないが、
過去が持つ意味合いを変えることはできる
というのがありました。
これも、自分の中でその過去がどういう意味を持つかは、この先自分がどう生きるかによって変わってくる、ということだと思います。
さて、人はみな1通りの人生しか経験していないという事実は、
裏返せば自分の知らない人生や世の中の知らない側面、世界の知らない見え方がたくさんあるということでもあります。
外見、習慣、価値観、言語、宗教、感情、、
今までの自分の人生、生きてきた世界だけでは簡単に理解・説明できないことに、たくさん遭遇します。
時には、自身のアイデンティティや人生を深く形作る、根底にあるなにかがひっくり返ることもあるかもしれません。
ダイバーシティが叫ばれる世の中ですが、自分の歩んできた人生とは違う世界・違う見え方に対して
『‘拒絶’ 以外の選択肢をもつ』
『想像力をもって耳を傾ける』
ことが「対話」なのかなと思ったりします。
そして、話し合いや自己主張や議論などと同じように、「対話」できるようになるのもおそらく訓練なのです。
練習すればそれなりにできるようになる。
日本人だから、男だから、女だから、若いから、子供だから、頑固親父だから、とかは関係ないはず。
だから私もいつか死ぬまで、ずっと「対話」できる人であり続けたいのです。
'20/12/12 最終更新
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