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オリンピックを楽しむことと政府批判は両立していい

結論から言います。

「感動もらったから批判はもういいでしょ」も
「批判もせずに呑気に観戦してるよ」も
両方しょうもないからやめましょう。

オリンピックは閉幕してしまったので今さらですが、感じたことを残しておきます。

 

7月23日にオリンピックが始まって、SNSもテレビもニュースもオリンピックの話題がぐっと増えました。
ネット上の意見がこの世のすべてではありませんが、「オリンピック楽しむ勢」VS「しぶとく批判し続ける勢」みたいな構図が見えたりしてげんなりする瞬間がありました。

バイデンさん・トランプさんの大統領選のときのアメリカ国内分断もこんな感じだったのだろうかとかも思ったり。

 

1つ言いたのは、オリンピックを楽しむかどうかと、政府のコロナ対応・オリンピック開催の是非を問うかどうかは別で考えてよいということです。

オリンピックを楽しんだからと言って政府対応を批判していけないことはないし、オリンピック中止論者がオリンピックの気になる試合を見てはいけないわけでもないのです。

 

もちろん実際は、心情的に試合を100%楽しめなかったり、周囲から「一貫性がない!」と批判を受けたりして簡単ではないことはわかります。

ただコロナ禍とはいえ、4年に1度の舞台がそこにある限り選手は出場して全力を尽くすでしょう。私も選手だったらそうしたと思います。

そして、好きな選手・気になる競技がオリンピックで中継されていれば、観るのが自然でしょう。
コロナ禍で様々な苦悩を抱えた中、試合観戦で気を紛らわせたり勇気や感動や救いを求めて選手の姿に夢中になるのは、全くおかしなことではありません。

 

だから、「オリンピックを楽しんでいるから政府対応を容認している」とか「いつまでも批判を続けている人たちはオリンピック観戦している私たちの敵だ」とか、そういう解釈はものすごく不毛なのでやめた方がいい。

「オリンピック楽しめたし、結果オーライだよね」とか「それで政府批判をするのは違うよね」という思考にも陥らないようにしたい。
オリンピックを隠れ蓑にして注意をうまくそらそうとする関係者がいるとすれば、それこそその人たちの思うつぼだからです。

 

私は元々オリンピックもパラリンピックも2~3日程ずつ当選しチケットを買っていましたが、先行きが不透明過ぎる&どちらかというと早い段階で中止判断すべき派だったので、チケットはすべて払い戻していました。

加えて、年初にテレビを売ってテレビ無し生活を送っているので、オリンピック観戦という観戦もせずに終わった3週間でした。
Pretenderじゃないですが、もっと違う設定でもっと違う関係で東京オリンピックと出会いたかったなあと思います。

ただ、出場した選手や大会を支えてくれたスタッフさんたちには「ありがとう」と言いたいですね。

 

さて、空港検疫を各国比較する番組をこの間見たのですが、オリンピック関係者に関してはかなり条件を緩和していたらしい日本。

検疫で100%漏れなく防げるとは思わないし、マンパワーや経済バランスの問題もあります。
ただ、水際戦略、コスト・人員の選択と集中など、本当にこれまでのやり方がベターだったのか、疑問符はやはり浮かんできそうです。

 

少し話は変わりますが、着眼点が興味深い記事があったので最後に貼り付けて終わりにしたいと思います。

 

'21/08/14 最終更新

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