エピローグ【アルバムから記憶をたどる31年前の旅・ジャマイカ⑤/5】
ジャマイカをあとにする日も変わらない朝でした
ホテルの庭の主にゃんこがいつも どこからともなくあらわれて
こちらからの続きです
陽気なスタッフさんやセキュリティーの方々とも 場面場面で小さな交流がありました
いろんな方との写真が残ってるジャックタービレッジ・モンテゴビーチ
エージェントディスカウントで50%オフ(たしか)
立地がいいのにカジュアルで 日本人がほかにいないのも良かったです
でも今はもうないみたい…
”今はもうない” といえば 現地ツアーのアイランドインターナショナルも ネット上に見つけることができません
レイコさんには感謝ばかりです… サンスプラッシュはもちろん ツアー中 おみやげのレコード選びを一緒にしてもらったりなども😌
帰国後に レゲエのフリーペーパー『Riddim』の中にレイコさんのコラムを偶然見つけて かぼるとコーフンした …んだろうな おそらくどうせ
叶うならば今でもお礼を言いたいくらいだし まだジャマイカにいるのかなと思いを馳せました
そう キングストンにはけっこう日本人がいるんだなーとも感じました
サンスプラッシュに合わせて来ていたレゲエ&ジャマイカフリークも レイコさんのように暮らしている人もたくさんいるようだった
日本よりもジャマイカの空気が合う って人もけっこういたりするのだろう
遠いと思っていたのは位置的なものだけで キョリほど遠い国じゃないのかもしれません
ところで 復路の便はいきなりディレイでした
アナウンスが聞き取れず たずねても言葉が理解できなくて ホワ~イ? を連呼してたら 見かねて教えてくれた日本の方ありがとございました😌💦
待機ののちに飛びました 帰りもマイアミで1泊
以降の記憶はキレイさっぱり消えているので なにごともなかったということでありましょう
合言葉は "アイリー!" ”ヤーマン!”
そしてなにかというと ”Everything is OK!” ”No problem!” と言うけれど
じっさいはそうでないことが多いとゆう 気のいいジャマイカンたち
サンスプラッシュへの車中も もちろん飛び交ってました
いまはSNSで ディープな現地情報がいながらにして入手できてしまう
外見はバラックでもテレビはあるし中はキラキラ なんて話もききました
治安の悪さはいまもなお かもしれません
様々な問題を抱えているにしても 楽しく暮らすコミュニティで 繋がりも明るさも愛もある なにが大事かシンプルにわかっている
ボブ・マーリーのエピソードや彼の歌からも そんなふうに映ります
やられたと ぼったくられたときには思いましたけど ケガをしたわけでもなく そんなに最悪なことでもない
わたしが言うのならそれでいいことです ノープロブレム👍 笑
すごくキッチリと三つ編みをしてくれた レアな写真も撮りました
ひとつの学びとしても😌
しばらく手紙で交流がつづいた サンスプラッシュの夜に出会ったケンユート氏は いつも素敵な写真を同封してくれた
手紙に写真… そんなアナログなころでした😌
"来年また行こう" が "いつかまた行こう" になり やがて30年もの時が流れてしまったから ますます夢のことのようだけど アルバムを開けば あの空気感がありありと蘇ります
そこにはいつでも 風とレゲエがゆったりと流れてる
目に浮かぶのは ジャックターで最初に飛び込んできた 夢のようなあの光景なのだ
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