【字書き】Twitterがつらいなら無理すんな【承認欲求】

こんな辺境noteにも関わらず閲覧いただいてること、そして少なからず誰かの力になっているのかもということ、とても嬉しいです。
二次創作者、自分を自分でいじめないで。数字とか交流で自分の価値を低く見積もって、苦しんでる人があふれかえってるよ。淘汰されるべき創作者なんかいないんやで。
というわけで本日はたぶん多くの字書きが日々ストレスを感じているTwitterについて考えてみます。
最初になんですが、字書きの場合は特に、Twitterについては作品を見てもらうために使うものではなく、同志と萌え語りするためのツールと考えた方がよっぽど健全ではないかと思います。

①実は、営業→作品ではない

あなたはなぜ、Twitterをしていますか?界隈の輪の中に入って自分も推しカプの話をしたいから?それとも作品を引用RTなどで紹介されたり褒められたいから?作品の閲覧数を伸ばしたいから? 理由は人それぞれ…
でも、「交流さえすれば、大手とさえ繋がれば、フォロワーの多い人に引用RTで褒められさえすればたくさんの人が見てくれるはず。というか、そうしないと、私の作品なんかだれも見てもらえないよ…」と思っていませんか?
これ、たぶん逆です。
営業や交流が成功して作品が見てもらえるんじゃなくて、既に作品が支部などで知られていて、もしかしてかの〇〇さん…!?という形でフォローされてちやほやされるのがTwitterの正体です。(特に字書き)
だから、まだ少ししか支部に作品を投稿してないのにTwitterに飛び込んで、たくさん感想伝えて引用RTして…とすごく頑張ってる字書きさん、いらっしゃると思うんですが、それは悪手なんじゃないかな。相手からの反応を待つために精神が疲弊しますし、感想を練り上げたりリプ送る脳のリソースを創作に使ったほうが数倍有意義です。
そもそもTwitterて基本140字っていう制限のなかでの大喜利とか萌え語りに向いてるのであって、私もそうなんですけどTwitter眺めてるときって脳死してないですか?仕事終わって放心状態のときとかね。そんな環境のなかで、営業、交流して自分の小説を読んでもらって感想までもらうってかなりハードル高いと思うんですよ。
この記事読んでる方は知ってるであろう「おけけパワー中島」。あれは(恐らく)下心なしに感想ガンガン送って本気で他人の作品に心を動かされ行動してる、陽キャモンスターです。彼女も一応嫉妬心とか承認欲求は抱いているようですが、彼女は天才・綾城と支え合って創作活動をしていることでそれを昇華しているんじゃないかな。しかも文章力は未知数にしろ良い話を書くらしいし。すげえな。
感想ガンガン送って大手と繋がること、いわゆる「擦り寄り」っていうんですかね。裏で揶揄されているようですが、「擦り寄り」ができるのも一種の才能だと私は思っています。そこに下心があるかないかは問題でなく、他人の創作物に強い熱意をもってラブコールし、人脈を作ること。誰にでもできることではない。だからこそあなたたちはそこに苦しい感情を抱いてしまうんですよね。
大丈夫、大丈夫。私も交流とか相手に熱意をもった感想とか伝えるのが苦手な人間です。そのぶん、創作に対する熱量や向き合い方はそこらの創作者とは一味違うぜ。
ではそんな我々はどうやって生きていけばいい…?冒頭でも言ってはいますが、さらに掘り下げていきたいと思います。

②ROMも大手もいいねは同じ「1」

そんなん知ってるよ!!でも価値が違うんだよ!!と叫びたくなったでしょうか。はい、Twitterでは「フォロワー」という数字が攻撃力になって確かにそう見えるかも。でも支部ではどうですか?
あっあの大手にブクマされた!!とはしゃぐことはあるかもしれませんがTwitterよりずっと静かです。作品とブックマークだけが自己表現の手段である支部では、余計なものは見えません。まあ、支部のブクマも創作者の「知名度」に左右されるところはかなりありますが、それは「そもそも読んでもらえない問題から脱出するには(https://note.com/don_braco/n/n8af36c1129f5)」に書いたように作品と見せ方でクリアしていけばいいだけの話。
最初の記事でも書きましたが、ROMも、大手も、あの人も、わたしも、あなたも一介の偏屈な人間でしかありません。そんな不確かな人たちが送る1いいねに、何の差がありますか?
そんなフラットさを思い出させてくれるのが支部。そして、創作に熱中するということ。
交流、フォロワー、数字、そんなものに私の創作物が推し量られてたまるか。そんな気持ちでいるくらいがちょうどいい。
「それでもどうしても数字が気になるよ…」って方向けの内容はまた後日書くとして、とにかくTwitterでのちやほやは後からついてくるものなので、読者の心に爪痕をのこすほどの作品を書いてください。ひたすらに書いてください。※参照→(https://note.com/don_braco/n/nd3dd75f8868d

③Twitterはあなたの作品のオマケ程度に思えばいい

Twitterで人が創作者をフォローする理由。その人の作品をいちばんに追いたいから、その人の語る推しカプを見たいから、その人の思考を知りたいから。これは、万人共通じゃないでしょうか。本来、創作者のTwitterはそうあるべき、とまでは言いませんが、それがいちばんシンプルで健全。こういったフォロワーは相手からの反応なんか求めません。いや、欲を言えばフォロバされて仲良くできたらめちゃくちゃ嬉しいけど、その人の呟きを追うだけで充実感を得られるような質の方たちになります。
Twitterで「宣伝のための」交流をしたり、あの人とあの人が仲良くしててムカつくとか苦しんでるのがあほらしくなってきませんか?というか、苦しんでる時点でそうしたアプローチが向いてない。活動の方針を創作第一にシフトしましょう。
そしてあなたも、本当に「いいね」と思う方たちをフォローしましょう。反応しましょう。フォロバしましょう。そこでできた「相互」はお互いの創作をリスペクトしている。そして、そんな同志だからこそ、心から推しカプを楽しく語れる。
書いてて「Twitter、最高じゃん…!!」になりました。やはり推しカプを同志と語ることは、オタクの至上の喜び。
しかし、それが創作者の喜びではあってはならない。創作者としての喜びは、とことん自分の創作物に熱意を向けることでしか得られないものですからね。

■Twitterに毒されて、字書きじゃなくなってしまった人もいる

毒された、というのは私の勝手な見方です。ごめんなさい。
メジャージャンルにおけるTwitterは、数字という沼。最初は字書きとしてTwitterへやってきたはずなのに、ある日ちょっとスケベな萌え語りをすることでそれが今まで受け取ったことのないくらいの数字に拡散されて、数字の虜になってしまう。加速度的に増えるフォロワー、たくさんの人がちやほやしてくれる、大手街道まっしぐらだと思っていた。だけれど、支部に投稿した作品は、こんなにフォロワーがいるのに、他の創作者に数字を追い抜かれていく。Twitterで数字に毒されてしまったその字書きは、小説を書くのをやめた。毎日毎日、自カプのツイートをして、数字を集めることで、自分の存在意義を確かめている。
それがその人にとって幸せなことなのかは、その人にしかわからないけれど。

いろいろ書きましたが、Twitterをどう使うか、どう楽しむかは本当にひとそれぞれですし、正解はどこにも存在しません。
でも、あなたが創作者でありつづけたいなら、自分の自カプを小説という文章群で表現することを喜びとし書き続けたいと思うなら、Twitterとの付き合い方は気を付けたほうがいいんじゃないかな。そんな話でした。

思うことがありすぎて長くなってしまった…
令和のこの時代、人間である限り承認欲求を捨てることはできません。その承認欲求で自分を殺すも生かすもあなた次第。
それでは良い創作ライフを。