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ワン・モア・ワン・モア・ヌーク

二月も終わりが近づき、二・二六事件関連の特集や、桐島聡容疑者に関しての特集が多く組まれる中、私の好きなTBSラジオ関連の論客らが口にする「彼らの行動は決して評価することは出来ないけれど」といったようなコメントを耳にする度に「"けれど"に続く言葉は一体何なのだろう
?」と言葉の裏の意味を探ってしまう。

テロやクーデター、暴力という手段は決して許される行為ではない、と頭では分かっている反面、『0083』のアナベル・ガトーや『逆襲のシャア』でのシャア・アズナブル、『閃光のハサウェイ』でのハサウェイ・ノアの行為に何かを感じてしまうし、もっと言えばFFシリーズでの主人公らの行為はむしろ、我々の住む世界では敵キャラとして扱われる行為なのでは?とまた迷宮に潜り込む。

私は中学時代、国語の授業で『走れメロス』を扱った時、何の考えもなしに初見で「メロスはなんていい奴なんだ」と率直な感想を持っていたので、授業が進むにつれ国語教師の口から「メロスは体制に歯向かう反逆者」という言葉が放たれた時、見方がクルッと180度変わるというか、まぁ私の中で相当なパラダイムシフトが起こったのを今でもよく覚えている。

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コロナ禍で色々読んだ小説の中で、トップクラスに面白かった、というより、心に深くこびり付いて離れない作品は、藤井太洋の『ワン・モア・ヌーク』だ。

ちょうど自分自身が、東京五輪の会場を爆破テロで攻撃する、という作品を創っていたのとも相まって、なんというかほっとけない、他人事では無いような作品だと思って今でもこの本の感想をうまく書けずにいる。

作中でのイツキ・タジマの行為は、どう評価するべきなのか。もちろんテロではあれば決して許される行為では無いのだけれど、あれを読んで「大勢の都民に迷惑かけやがって、迷惑な奴だ」という感想を持つ人とは、私はやはり少し遠いところにいる気がして、タジマがあそこまでして伝えたいことは本当の意味で何なのだろう?ということをいまでもずっと考えている気がする。

彼女の最終目的が「啓蒙」なのだとしたら、私はまんまとテロリストの思惑の中にいるのではないか、そんなことを思った。

ワン・モア・ヌーク、この2024年に今一度読んでみようと思っている。
あと単純にめっちゃ面白い作品なので未読の方は是非。

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