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あゝ阪急ブレーブス

 イヤーよかった。オリックスバファローズ26年ぶりの
日本一、長かったー。
 関西でもタイガースの陰に隠れた存在のなか、ほんと良くやりました。
 しかし、その歴史な始まりは、全く別のチームがあった事を知っている世代は年々少なくなってきています。
 しかし何年経とうが忘れられない、自分にとっては、
ベースとなるチームです。

 阪急ブレーブス。リーグ優勝9回、日本一3回を誇る、
パリーグの強豪チームとして1960年〜80年代前半にかけて黄金時代を築きました。
 しかし強くなればなるほど、人気は上がらず、同じ西宮市に本拠地を置くタイガースの陰に隠れ続けます。
 その伝統が今のオリックスに受け継がれてるのは、皮肉な事ですね。


 阪急西宮スタジアム、ホームグランドです。当時から日本では珍しいメジャー風な球場で、鼻垂れボンクラ小曽にとっては、今と違ってゆるい規制の中、試合そっちのけで、球場中を隅から隅までウロウロして遊び、
大好きなブレーブスの球場の中で非日常を楽しみまくりの思い出ばかりです。


 福本豊、山田久志、加藤秀司、長池徳二、山口高志あげればきりがない選手ばかりです。
 余談ですが、小学校で手紙を出そうと言う授業があり、みんな田舎の祖母宛などが多い中、何人かでプロ野球選手に出そうと、個人情報もへったくれもない時代、
選手名鑑に乗っていた住所に熱い思いを便箋3枚以上書きまくり投稿したのが、いい思い出です。
 
 結果ですが、大多数のタイガースの選手に送った同級生には、全く返事無しの中、山田久志投手に送った自分には、なんと一度の手紙で2回の直筆の返事が、少年のブレーブス愛はますます溢れていったのでした。


 そんな阪急ブレーブスも1988年シーズンをもって消え去り、オリックスブレーブスとしての歴史に受け継がれ、2022年のオリックスバファローズ日本一となりました。この後もずっと応援し続けるでしょうが、
阪急ブレーブスへの思いは永遠ですね。

 全く個人的なつぶやきですみませんでした。なんせ日本一なんで許してくださいね。
 またまた余談ですが、阪急の身売り後、何かにつけて好きだった阪急と言うブランドから心が離れたのは言うまでもありませんでした。

 


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