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きみがいるから、世界は息づく。

新社会人一年目の自分へ。

どうも俺だよ。

◯◯年後の未来のきみだ。

仕事おつかれさま。

まあ、茶でも飲みながら話を聞いてくれ。


身体、つらいだろう。

納得いかない理不尽な「世の中」に、必死に馴染もうと頑張ってるんだろう。
きみはいま、「世の中」は「そういうもの」で、「社会」は「そういうもの」で、それが「当たり前」な世界に適応して生きなければならないということを前提として、日々を一所懸命に生きているだろう。

きみは、その「そういうもの」「当たり前」からはみ出る自分自身を、無理矢理その型枠に押し込めている。
それが歪みとなり、軋みとなって、身体があちこち痛むのだ。


子どもの頃から、親や周りの大人も自分自身もそんな感じだったから、そういうものだと思って生きているだろう。
身体が痛いのも、生きることが苦しくてつらいのも。
すべて「当たり前」だと思っているだろう。


「大人」の歳になったら「社会人」として生きなければならない。
そうしないと恥ずかしい。
自分の身体や性別や、生や性への違和感をひたすら押し隠し、「社会」から求められる人物像を演じ切らなければならない。
何より経済的にも精神的にも自立したい。
だから、何処かに(親と同じように)就職して働いて稼いで、稼いだ金で食っていくのだ。
65歳ぐらいで定年になるまでなんとか稼いで食っていかないと。


そんな、きみの中の「当たり前」は、ほんとうに「そう」なんだろうか。


きみがいま、見ている世界は、宇宙全体のほんの一部の世界でしかない。

そして、いま見ている世界とは違う価値観、世界観、文化が、ほかの世界にはある。

また、価値観、世界観、文化は、常に刷新している。


思いもよらない未来が、きみを待っている。



ところで、きみの未来の姿である俺は、きみがいま働いている会社をとっくの昔に辞めている。

それどころか、「組織に属して働く」ということすらしていない。

「社会」から求められる人物像を演じることは、とっくの昔にやめている。
結局、無理だったからだ。

きみから見たら、「社会人」ではないだろうし、「恥ずかしい」すがたであるかもしれない。

きみの信じる「当たり前」のあるべき姿を生きていないから。


しかし、俺はいま限りなく自由で、少なくとも、きみが感じている日々の苦しみの大部分から解放されている。

幼い頃から抱えていた、「消えなければならない」「ごめんなさい」は、とてもとても小さくなった。


いまの俺のすがたは、きみの目から見たら「出来損ないで、駄目で、何の役にも立たない自分」そのものだろう。

しかし、驚くべきことに、「出来損ないで、駄目で、何の役にも立たない自分」を生きていても、赦されているのだ!

宇宙から。

自分自身から。

そして周りの人びとから。


俗に言う「社会人」だけが社会と関わって生きているわけではない。
赤ちゃんも、子どもも、賃労働をしていないあらゆる人が、社会と関わって生きている。
俗に言う「社会人」という言葉が指し示すものから零れ落ちる、たくさんの人びと。
そんな人びとを含めた人間全体の営みが、豊かに社会を形成しているのだ。

誰かが誰かを「何の役にも立たない」と思うかもしれない。
その人自身が「何の役にも立たない」と思うかもしれない。
しかし、誰がどう思おうが、その人のかけがえのない存在が、人間社会の営み、ひいてはこの宇宙の大いなる生態系の一部として、その独自の役割を果たしているのだ。

「いのちの尊厳」とは、そういうことなのかもしれない。

そして、「いのちの尊厳」への理解が深まり、自分自身の腑に落ちれば落ちるほど、世界はやさしくなっていくのだ。

自分にとっても。

周りの人にとっても。



きみがしている、「社会」に適応しようとする努力は、決して無駄になってはいない。

一度、型にはまることで、わかることがあるのだ。


自分が何が得意で、何が向いていないか。

どうすれば、自分自身の本来のパワーを発揮しやすいか。


型枠にはめてみることで、逆に自分の存在の特質への理解が深まるのだ。

そして、同時に世界への理解も深まっていくのだ。


人生は、旅のようなものだ。

すべてがプロセスだ。

きみがいま、どんなにつらくても、逆にどんなにしあわせでも、宇宙はいつでもきみに生のちからを、光を注ぎ続けている。

この地上での生の終わりまで、或いはその先までずっと。


だから安心して、思い切り生きていいよ。

思い切り苦しんで、落ち込んでいい。

思い切り楽しんで、しあわせでいていい。


すべてが赦されていて、すべてに生のちからが、光が降り注いでいる。
だからこそ、きみは生き、苦しんではよろこび、呼吸を繰り返しているのだ。


きみがどんなふうに生きていても、きみがいるから、世界は豊かに息づくよ。

生きていてくれて、ありがとう。





















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