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引退

突然だが、競技を引退することにした。

えっ?このオッサンついこないだ東京マラソンで爆走してたんちゃうの?どゆこと?

実はあえて書いてはいなかったが、これにはしばらく前から伏線があった。2月初旬のWTRL Duathlon。いつものように5時起きで6時のOpt.14に参加した。その日はGreatest London Flatだった。

バイクは1月に1,700キロ走り込んで一時期疲労の蓄積や膝痛などで調子を落としていたが、強度を調整したり、膝のメンテをしたりしてうまく乗り切り、再度調子を上げてきていた。いつものように開始から5倍でダッシュを決め、4〜4.5倍で行けるところまで粘る。何分耐えられるか・・・

その時、突然頻脈が発生した。

開始ほんの数分、突然200超えまで爆上がり。明らかに異常

ドクドクドクという通常の心拍ではなく、トトトトトトトトという感じ。俺、死ぬのかな?と思ったが思いっきりレース中で止まるわけにも行かなかった。一瞬怯んだけど頭がクラクラするとかそういうこともなく割と冷静だったのでそのまま走り続けてたらしばらくして落ち着いた。

その後はひたすら踏み倒してTSS62、IF106まで追い込み、Intervals先生に「おめでとうeFTPがちょびっと上がったで」と褒めてもらうほどだった。

実はこの症状が出たのは初めてではなかった。いつだったかはよく覚えていないが、年に1、2回は起きるぐらいの感覚だった。だから「あーまたか」という軽い気持ちでDiscordに戦況報告「いやー死ぬかと思いましたわハハハ」。

それを見て黙ってるほどJETT仲間は薄いつきあいではないので、即「病院行った方がいいですよ」。まぁ、普通そうだろうなぁ。「24時間心電図録るホルター心電図ってのがありますよ、私もやりました」へー・・・そんなんあるんや。

その時は「そんな大袈裟な診療・・・わざわざ・・・」と思って適当に誤魔化していたが、ちょっと心に引っかかった。やっぱり行った方がええんちゃうやろか。

もし自分がこれまで心臓に関してなんのトラブルもなかったら、そのまま無視していたかもしれない。しかし実は以前から不整脈のケはあった。ここ数年はあまりなかったのだが、起きると心拍が一瞬途切れてドックンドックンドッ・・・クンドクンみたいにおかしなことになる。

当時の人間ドックの所見には「期外収縮」とあった。実はその頃からもうすでにおかしかったのだ。そして直近の人間ドックでも、改めて見ると(あまり深刻に見ずに「ハイハイ」とスルーしていた)「Q-T延長」という記載があった。

だいぶ前から「洞性徐脈」などと書かれるのは(他の仲間達同様)恒例行事なので、そもそも心臓の所見を軽く見ていたのは否めない。

Q-T延長とは、心拍の波形を表すQ波の開始からT波の終わりまでが不自然に長くなるもので「トルサード・ド・ポワンツ型心室頻拍」のリスクがある。ほほう、聞いたことないな。その頻拍は自然に収まることもあれば、悪化すると心室細動を引き起こし、最悪死に至るという。

自然に収まることもあれば
自然に収まることもあれば
自然に収まることもあれば・・・

ちょwww俺の心臓wwwヤバくね?(あえて軽めに記載)

これはウダウダ言ってる場合ではない、と思い直し、近所の循環器内科を調べてようやく受診することにしたのが2月の中旬。

その場ではまず問診にカクカクシカジカと説明。その後胸のレントゲンを撮って呼ばれるのを待つ。

上がってきたレントゲン画像を見て先生「ウーン」と唸って止まってしまった。えっちょっと待って何がそんなに。

「末石さん、あなたこの心臓、だいぶ無理をさせてますね」あっ、そ、そうですね・・・だいぶ、というか、激しく・・・

とにかく、もう少し詳しく調べないと、ということでその日はあと血液検査だけして、次回エコーやってホルター心電図をつけましょうということになった。

この時点で、私はある程度最悪の展開を予想はしていた。もしかすると心の準備をせないかんかも知れんな、と。

次回の予約でホルター心電図を装着してもらった。これは小型の電池駆動の心電図計からセンサーが5本くらい生えたもので、鎖骨や胸骨・肋骨などに分配して貼り付ける。

心電図計には時計表示があり、ボタンが一個だけある。指示されたのは「練習も含めいつもどおりに生活しながら、心拍が変動するようなイベント(練習や階段昇降、イキむ行為など)があったらボタンを押してその時刻をメモって何があったか記載してください」ということだった。

その日は木曜の夕方だったので、いきなり翌朝は金曜のJETT Base rideだった。いつものように4時起きでアップを始め、4時半からライド。コースはみんな大好きTempus FugitだったのでBでもよかったのだが、心電図計つけてあんまり無理するのもなぁ、と思ってCにした。ほどほどにスイープ活動などしつつ楽し苦しくライドを終えた。

その後はトレッドミルがまた不調で突然止まったりするのに閉口しながらもほどほどの強度でラン練を終え、ヘロヘロになってその日は廃人のように夕方まで過ごし、センサーを自分でバリバリと剥がしてケースに入れて(祝日だったので)病院の郵便受けに投函しに行く。

そしてその診察結果を聞きに行ったのが3月初。先生に呼ばれて診察室に入ると、先生はいきなり非常に怖い顔をして「末石さん・・・この日の朝5時前って、何をしてました?」えっ普通にして良いって言うから普通に練習してましたが?

「ここを見てください。6秒間くらいかな、心臓が痙攣してるんです」えっ

「この拍動は異常ですから、この間は血液がきちんと送り出されてなかったはずです」マジか・・・

「こんな風に、早朝から追い込むのも、心臓にたいへん良くないです」ぐう。いや、ぐうの音も出ない。

そして先生から極め付けの言葉が投げかけられた。

「末石さん、トライアスロンをやってるんでしたね」はい。「それって、やらないと、いけないものですか?

えっ、いや、そりゃあ趣味のものですから、別に、やらないと、いけない、なんてことは。先生。冗談キツいですよ。ねぇ。

えっ?

あっ!

先生は真顔だった。その顔には「辞めないと死にますよ」と書いてあった。

あっ・・・そういう・・・こと・・・

それからエコーや血液検査の結果なども交え、いろいろと説明を聞いた。まず、症状としては「肥大型心筋症」であること。これは遺伝性のものであり、薬で直接どうこうできる類のものではないこと。競技のような激しい運動は禁止されること。

予後は普通に天寿を全うする人が多いけれども、突然死の可能性があること。それも、運動中・運動後の危険性が高いこと。

血圧はこれまで何も指摘されたことがなかったとおり、この日も全く問題なかったが、血液検査でこれまたいつもどおり「高脂血症ですね」と指摘された。これはこれで動脈硬化のリスクがあるということだ。知ってはいるけどあまりに恒例なので意識しないようにしていたが、改めて心臓疾患とセットで出されるとあまり気分のよいものではない。

とりあえず(降圧する必要はないけど)心臓の働きを助ける意味で降圧剤を使ってみましょう、ということになり、以降あらためて血管の検査などを経て治療の方針を考えましょう、ということになった。いずれにせよ先生は強制こそしなかったが「競技は辞めましょうね」というニュアンスを言外ににじませていた。

帰りの道すがら、ツラツラと考えずにはおれなかった。この13年間、めちゃくちゃ頑張ったよなぁ。そこらへんの、ウツ抜けした只のオッサンが、トライアスロンの(簡単な方とは言え、曲がりなりにも)世界選手権まで行って、アイアンマンになって、ウルトラマラソンまで走ったんだから・・・

もう、俺、充分やったんとちゃうか

それはもちろん、コナに行けなかったとか、サブスリーできなかったとか、ウルトラは大撃沈したまんまやったとか、ついに表彰台に立てんかったとか、悔しいことはたくさんある。

でもね。

珠洲をたくさん走った。五島も何度も走った。宮古島も、皆生も、佐渡も完走した。あまつさえスペインも行って、マレーシアのアイアンマンを二回も完走した。バラモン会のみなさんと一緒に本当に楽しい日々だった。

マラソンもいっぱいやった。鳥取・京都・佐倉・はなもも・つくば・大田原・勝田・東京・湘南・板橋、そしてランナーの憧れ(カテ4とはいえ)別大も走った。

そしてZwiftでは最高なチームJETTの一員としてジャージの制作に関わらせてもらい、みんなに喜んでもらえた。最高な仲間達と一緒に死ぬほど走り込んだ(洒落になってないが)。50代も後半になってこんな楽しい日々を送れるなんて、15年前は想像すらしてなかった。

俺、めちゃくちゃ果報者やん・・・

そう考えると、なんか胸のつかえがスーととれたような気がした。家に帰って嫁さんに事の次第を説明したら「まだ死んでもろたら困る」そりゃそうだよなぁ。

昨年あれだけの大暴れを経ても生きてるんだから、そうそう死ぬわけではないだろう。でも、医者に「死ぬかもしれませんよ」と言われた状態で「死ぬかもしれない競技」に出続けるのはどうなのか。何度も見聞きしてきた「ベテラン選手がスイム中に突然死」の報道がよぎった。

いよいよ他人事ではなくなってきた、ということだ。潮時かな

始めたことには、いつか終わりが来る。それが、今だったというだけだ。決めたらもう未練を残したくなかった。その日のうちに今年のレース予定をすべてキャンセルした(五島だけは、4人で宿の部屋を押さえてることもあり、応援ツアーにする)。

今後はJETTは水曜夜のエンジョイライドだけにして(それにしても体重減らしたほうが良さそうだが)、あとは心拍を上げずにゆるゆるとフリーライドするだけになりそうだ。それでも、1992年に大腿骨の腫瘍摘出後に突きつけられた「運動禁止」に比べれば大したことはない。

あちこちに「カクカクシカジカで、今後は「ゆるライドおじさん」になります、と触れて回った。みなさんから残念がると同時に暖かい言葉をたくさんいただいた。それらもまた、自分の大切な財産なのだな、と気付かされた。

終わった・・・

でもこれはただの人生の一区切りにすぎない。他にやりたいことはいくらでもある。これまで練習に明け暮れて手がついてなかった家の補修とか、自転車のカスタムとか、お不動さんと化してるオートバイのレストアとか・・・珠洲災害復旧のボランティアも。

そして、ひとつ思い出した。TO(テクニカル・オフィシャル、要はトライアスロンの審判)という道があった。この筋ではバラモン会同世代の8木さんが大先輩で、とても充実した人間関係を築いている。トライアスロンに関わり続ける、という意味でも最良の選択のような気がしてきた。

自分は試合に出る立場しか知らなかったから、まだ知らない事だらけだが、選手の立場をよくわかっているから、きっとそれなりに動けるのではないか。落ち着いたらいろいろ調べて、少しずつ動いて行こう。

そう考えると、凹んでいる暇なんかなくて、むしろ明日はまたバラ色のような気もしてくる。人間万事塞翁が丙午なのだ(1966年生)。

さて、ここで勘の鋭い人は何か引っ掛かっているのではないだろうか・・・そう・・・

このおっさん、こないだ「スピードマックス」買って浮かれてたばっかりやないかい!!どないすんねんコレ!!

せやった・・・

どうしよう・・・🤣(もったいないけど、当分「鑑賞用」にします)

チャンチャン

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