IRONMAN Malaysia 2023 詳しすぎるレポート【その⑦ゴール後・総括編】
宴の後
ヨシ!今年はばっちり「一人で」ゴールできた!とホッとしながらメダル・タオルを受け取りゴールエリアの向こうの待機所へ。なんと係の人が両側から寄り添って支えながら歩いてくれる。なんというVIP待遇・・・!!
ちなみになんでやたら「一人で」にこだわるかというと、昨年のゴール時に珍事件があったからである。↓参照
さて、マッサージコーナーとかお食事コーナーとかいろいろあるけど、今はもういいや、なんか忘れてる気もするが、わからん(この時は「例のもの」に気付いてなかった)。さっさとストリートギアバッグを回収して嫁さんとこへ戻ろう。
話を聞くと、先述のように朝からずっとプール行ったりバーでくつろいだりして、南国リゾートを満喫し、夕方からゴール付近でヘロヘロの選手たちの応援を楽しんだ(笑)らしい。
ビーチベッドでしばらく開放感を満喫し、SNSで生還報告。DiscordでJETTのみんなが逐一トラッカーを確認して励ましてくれていたのを知って涙がでそうになった。
ホテルの部屋は近いから一旦戻るてもあったが、戻って横になったら二度と立ち上がれそうにない気がしたので、そのままWKさんを待つことにした。35キロ以降だいぶ苦しんでいた様子で、21時を回ってようやく戻ってきた。
WKさんはサバサバした表情だった。「惨敗です、かえってスッキリですわ」わかる、大撃沈したときってそうなんだよな・・・「でもこれ、竹谷さんに報告せなあかんのですよ・・・」うわぁ😱コナチャレ怖ェェェェ
あそこがどうでこうで、と話しながらA木さんのトラッカーを見ていたが、なかなか進まない。現在位置の反映が遅れているのか、あるいは本当に止まっているのか・・・残酷なことにトラッカーが表示するETA(予想ゴール時刻)は午前1時を回ってしまい、その後DNFが表示されてしまった。残念。
仕方なく部屋へ引き上げる。内臓がボロボロになっていたが、たまたま非常食にと買ってあったカップ麺(現地の、見たことないやつ)が余ってたのでそれを食す。嫁さんに言わせると「食えないことはない」という代物だったが、めちゃくちゃ美味かった・・・
その日の夜は例によってアドレナリンの出過ぎとカフェインの摂り過ぎでまんじりともせず。翌朝も4時に目が覚めてしまった。
ロールダウン
ロング特有の全身のどんよりとした疲労だが、今回はランの最後にタレずにまとめられたので割とスッキリしている。8日日曜日。本日はT2にてバイクの回収と、11時からロールダウンセレモニーだ。ロールダウンには絶対引っかからないことは分かっているが、昨年同様雰囲気は味わっておきたいので一応参加する。
タクシーを呼んでナディアスでWKさんとA木さんを拾ってからT2へ出かける。A木さんはさぞかし意気消沈しているかと思ったが「半分行ったところで止められそうになったんだけど、前の外人はガーッて行っちゃったの。で私はSamさんに止められてー。まだ行くって言ったんだけど、もうダメって。悔しいからTシャツくれって言ってもらっちゃった」ううむこの人は全然凹んでないぞ・・・
て言うか、え?Tシャツ?それもらってないんですけど?WKさんももらってなかったと言う。ああそうか、ゴール後のあのエリアで配布してたんだ。なんか忘れてる感じがしたのはこれだったのか・・・(後でT2で忘れた人に配布していて無事ゲット)
ロールダウンでは、今年の場合女子は全員2024のニース行きである。だから元々参加人数の割にスロットが潤沢にあるのに加え「もう持ってます」とか「行きません」が頻出して「このエイジでゴールした人、誰でもいいから出て!」となっても「シーン・・・」みたいなシュールな展開だった。
一方男子では、たった20本のスロットに対して、結構な数の日本人選手がその名を刻んでいた。彼らと自分との差はあまりに大きい。ちなみにM55でスロットを取るためには、あと1時間5分も早くゴールしなければならなかった。常識的に考えて体調がどうこうというレベルではない。
パッキング
ホテルに帰還し最後のお仕事、バイクの梱包だ。毎度のことながら試合後のこれは全身の疲労もあいまって本当に面倒だが、とりあえず壊れずに送れればいいので多少の乱雑さには目を瞑ってひたすらにバラして包んで放り込む。
乾杯
その日の夕方はアワードパーティが予定されていたが、場所がちょっと遠かったこともあり、億劫になって行くのをやめた。その代わりホテルのレストランでゆっくり夕日を見ながらお疲れ様の乾杯と洒落込んだ(冒頭の写真)至福の時だった。
「そういえばアンタ試合前に足痛い言うてたのに、大丈夫やったん?」「ああそういえば平気やなー」その時は、のちに起こる悲喜劇のことなど知る由もない。
ランカウイ観光
明けて翌9日月曜日。今回のツアーでは初めて試合後にゆっくり夕方の飛行機まで観光の時間を設けられた。Yongさんが手配してくれた船で行くマングローブの渓谷クルーズだ。ホテルはチェックアウトしてフロントに荷物を預け、9時半にお出迎え。
例によってナディアスに回ってWKさんとA木さんを拾ってまずは島北部のボートターミナルへ。そこから乗り込んだ船は、海から繋がって入り組んだ渓谷をガンガン飛ばす。見どころはたくさんあった。
ランカウイとは「ラン(鷲)」+「カウイ(大理石)」という意味なのだそうだ。両者ともに島の名物で、いまでは世界ジオパークに認定されているので大理石の石切場は閉山しているが、昔は名産だったらしい。
写真やテレビでは知っていたが、こんなにもみっしりとマングローブの林が連なっているのは初めて見た。ちなみにマングローブとは、汽水域に生える根っこがああ言う風になった植物の総称で、ある特定の木の名前ではない。ここ試験に出ますよ。
さらに奥深いところで一旦船から降りて、コウモリ洞窟めぐり。コウモリは日本にもいるけど、なかなかこれだけの数を見る機会はない。
昼飯はなんと水上に構築された「浮かぶレストラン」にて、生簀を見学したあとマレーシア料理に舌鼓を打つ。WKさん「帰りたくない・・・」日差しはすごくて今日がレースだったら大変だったな、という日だったが、そんなこんなでランカウイのジオフォレストパーク(の一部)を満喫したツアーだった。
鷲の広場
およそ3時間程度のツアーを終え、締めは観光名所「ダタラン・ラン(鷲の広場)」へ。ここはバイクコースの50キロ過ぎから街を右折して山へ行かず、そのまま海の方へしばらく行ったところにある。写真では何度も見ていたのだが・・・
実物はめちゃくちゃデカかった。想像の3倍くらいあった。写真ではとうていそのデカさが表現できない。とにかくすごい迫力。ランカウイに行ったらとりあえずこれは見ておいた方が良い。ただし「それだけ」で、他に特になにかあるわけではない。ただ「これだけ」で十分なのもまた確かだ。
と言うわけでだいぶしっかり満喫したランカウイの一週間を終えてようやく帰国の途につく。Yongさんにはとてもお世話になった。またツアコンしてもらえる機会があるといいな。
帰国
極度の疲労で足取りは重いが、これでようやく日本に帰れる。もろもろ手筈を整えてクアラルンプールの乗り継ぎもこなし、成田行きMH0088に搭乗できた。あとはもう勝手に成田に着くだけだ。
夜遅くから朝まで8時間弱のフライト。序盤妙に脚がムズムズして気持ち悪く、ろくに寝られなかった。早朝にトイレに立った時、例の右足に異変がおきていた。「イテテテテ」あれ?今頃?なんで?しかもただの筋肉痛にしては痛すぎる。おかしいな・・・
異変
成田に無事着陸したあと、バゲージターンテーブルに向かうまでの廊下で、それはさらに悪化した。右足がパンパンに腫れ上がり、ふくらはぎが痛過ぎてまともに歩けない。なんやこれは・・・!!こんなことは初めてだった。
しばらく歩いているとすこし痛みが散ってまた歩けるようになったが、同行の皆さんに心配をかけてしまった。
今回リタイヤのA木さんは、気落ちするどころか「次どこ行こうかな〜」ダメージゼロですか??すごいなこの人・・・一方目標に大幅未達だったWKさんは竹谷さんにだいぶダメ出しをされたようで、ベンチマークのためまた奮起して来年もランカウイに出るそうだ。お二人とも頑張って!!
私はとりあえず来年のことはまた来年考えることにしよう。それより今はこの衝撃の右ふくらはぎを治さないと。しばらく謹慎だな・・・
成田からは順調に高速をたどり、少々渋滞も経たが無事帰宅することができた。終わりよければ全てよしだ。
これにて今回もまた7編に渡って書き殴った2023アイアンマンマレーシアレポートも終了です。さいごまでお付き合いいただいた皆様、どうもありがとうございました。次は、12月の湘南国際です。
おわり
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