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【撃沈】2023荒川河川敷マラソン

どこがシティやねん

もちろん「荒川河川敷マラソン」などという大会はなくて、本当は「板橋シティマラソン」であるが、どう考えても「荒川河川敷マラソン」としか言いようがないので(笑)そのように記載してみた。この大会は何といっても「陸連公認」であることがポイントだ。ここで最低限サブ3.5を取って来年の別大参加基準を満たしておきたい。

結果はまたしても撃沈。今度は25キロでいっぱいイッパイになったが、幸い湘南のときのような「大撃沈」ではなく、何とかまともなペースをキープできたのでどうにかサブ3.5は確保できた。それでは以下、レースレポート。

練習経過

前回の東京チャレンジのダメージから復帰後、練習は以下のような流れだった。

  • 月 ジョグ、その後JETT Base ride(1時間または40キロで離脱)

  • 火 インターバル キロ4で1km×5 レスト2分

  • 水 JETT Enjoy Home rideを途中離脱してZwift Duathlon LeagueでToast

  • 木 可能ならジョグ、またはレスト

  • 金 JETT Base ride その後ブリックラン キロ4’30”で7.5キロ

  • 土 可能ならジョグ、またはスイム

  • 日 JETT Endurance ride ブリックラン・ロング(3週前30km、2週前ハーフ、前週10km、ペースはキロ5から次第にあげて最後4’30”)

そんなこんなで今回は割とちゃんと準備できた気はしていた。しかしいつものことながらそのレベルが一体3時間何分が適性なのか、走ってみないとわからない。

ペースランナー

今回の板橋では、ペースランナーの導入がアナウンスされていた。3時間の次が3時間15分。前回の東京チャレンジが3時間18分だったから、少し改善したとしてこのペーサーに着いていくのが妥当と思われたが、一か八かで3時間10分を狙って3度目の一桁を目指したい気もした。

結果的にはこの欲張り思考が落とし穴だったワケだが。

補給戦略

最近はあんまりカーボローディングは真面目にやらない。糖質系を前日にすこし多めに食うくらいだ。

一方で、会社の同僚が先日の東京でついにサブ3.5を達成した時に例の「モルテン」が非常に効果的だったと激推しされたので、ついにあの一個千円とかのジェルとドリンク用の粉をかってしまった。効くのかな…

当日

朝4時起き。これはいつものJETT Endurance rideの時より遅いので余裕。ゆっくり朝飯食って準備する。軽量化にも成功。やはりこの辺もトライアスロンに比べだいぶラクだ。

自宅を6時頃に出発。クルマで会場付近、浮間舟渡のタイムズに向かう。首都高は特に混雑もなく順調に7時頃に着いた。タイムズはキャパ多く余裕。そこから徒歩で15分ほど。

一万人規模の大会だけあって会場の広さが半端ない。これでも半分くらいしか写ってない

気温は5度くらいとやや寒かったが、天気はよく風もあまりなく絶好のコンディション。受付を済ませてリストバンドを受け取り、着替えテントへ。

物販はそれほどなかったが、トイレも充分あったし、荷物預けの動線もわかりやすく、良い会場だった。着替えを済ませてモルテンドリンクをチビチビやりながらしばらくのんびり過ごす。

整列時間が近づいてきたので荷物を預け、アップへ。ほどほどに心拍数を上げておく。寒さに備えてゴミ袋かぶってきたが、どうやら不要そうだ。整列前に捨ててしまおう。

スタートは1,800人〜2,000人ずつ、6分間隔のウェーブスタートが導入された。これはありがたい。自分はBブロックの9時6分スタートとなる。ブロック内の前から10列目くらいに陣取った。3:15のペーサーは3人。ブロックの先頭からスタートするようだ。

スタート

定刻通り9時6分、第二ウェーブスタート。とりあえず3:15のペーサーにしばらくついてみて、余裕がありそうなら前に出ることにした。割と前方にいたおかげでスタートロスはほんの5秒程度だったと思うが、今回は基本グロス計測なので号砲と同時にガーミンをスタートしている。

1〜5km

5キロまでは周囲が混雑していたこともあり、落ち着いてペーサーにへばりついて進行。その時は「よし、余裕」と思っていたが、いまこの心拍を見返してみると、5キロの時点で既に平均150をオーバーしてるのはあまり良い傾向ではなかったとみるべきだな。

5キロ地点前後だったか、岩渕水門のところのアップダウンを密集の中で通り過ぎた時、急激な坂に足を取られてコケそうになる危ない瞬間があった。よくコケずに立ち直ったなと自分で感心した。

5キロ過ぎから周囲がばらけ始め、道も広がったので一か八か前に出ることにした。結果的にはこれが失敗だったのだが、まぁこれはこれで「今の実力でこのペースを出すとどうなるか」を体験することができた、という意味では収穫だったとも言える。

6〜10km

6キロからペーサーの前に出て、出たからには4'30"を刻みたくなるのが人情というもの。あわよくば5キロまでの借金も返済したい、などと調子の良いことを考えてしまった。焦らず、少しずつ削っていく。ただ、公式の距離表示とガーミンの距離は少しずつズレ始め、10キロのあたりでガーミンが10.1kmくらいを表示していたから実際にはあとわずかにペースは遅かったことになる。

11〜15km

まだまだ大丈夫、と思ってはいたが心臓は正直。すでに160(LT限界)を伺い始めている。呼吸はまったく荒くなく、ゆっくり深くできていたのだが・・・いずれにせよハーフまでは良いとして、問題はそのあとだ。コース的にも折り返し以降荒川を遡上するわけだから、往路より辛くなることはあっても楽になることはない。

16〜20km

この辺りから、これまでの経験と勘からしてハーフ以降にダメになりそうな感覚がプンプンしてくる。ああ〜飛び出すんじゃなかった、、、でも出てしまったものは仕方がない。こうなったらハーフ95分だけはやっておきたい。

  • 中間点 1時間35分04秒

このコースはバイクで何度か往復したことがあって、その時は何とも思ってなかった起伏が地道に脚を削ってくる。それでも地道に4分半を切るラップを刻み続け、5キロまでの借金はほぼ完済したかのように見えた。しかし実際には95分をわずかに超えてしまった。ガーミン上ではズレが200mに達していた。これは精神的にはあまりよくない。

21〜25km

ここまではよかったが、ここへきて太ももに痛みが走り始める。ペースの維持に必死になる感じで、心拍はほぼ160超え。非常にマズイ状態だ。何とか30kmまではもたせたい、という思いも虚しく、25kmのラップを刻んだところで心が折れた。

26〜30km

そこからペースはガタ落ち。呼応するように心拍も落ちていく。大腿四頭筋に激痛が走り、後続にドシドシと抜かれ始める。そして29キロ過ぎに3:15の集団にもあっという間に飲み込まれ、小さくなっていく集団をなすすべなく見送ることしかできなかった。

31〜35km

しかし前回大撃沈の湘南と違ったのはここからだった。27キロで投入したエスタロンモカが効き始めたのか、粘りに粘って5分台の前半を刻み続けている。もちろん大腿四頭筋の激痛に耐えながらだからとんでもない苦行である。こういう時に耐えられるのは、これまでに何度も似たような苦行に耐えてきた経験があるからこそ。

一方、なけなしのモルテンジェルも投入してみたが、もはや効いてるんだか何だか全くわからない。

36〜40km

いつものことだが、35kmをすぎると苦しみの絶頂。さすがにラップは5分台の後半をキープするのが目一杯だが、湘南の時は7分台に落ちてたことを思うとよく頑張ったと思う(そういった意味ではモルテンが効いてるのか?いや、わからん)。

41km〜ラスト

ゴール

最後の10キロは、ひたすら計算していた。あと何キロ、キロ6で行ったらナンボ・・・サブ3.5まで貯金は何秒・・・という感じだった。のこり5キロで、あとはキロ7を刻んでも大丈夫なことはわかったが、ここまで頑張ったのだから最後少しでも削ろうと、そのまま粘り倒した。最後の500mで鬼のようにスパートをかける。脚はもう千切れそうな感じ、脚というか下半身すべてが激痛。ゴール前は多分キロ4を切っていたと思う。

スゲェ!増田明美さんの署名入りだ!

3時間25分02秒という微妙な成績に終わってしまったが、最後キリキリと出し切れたし、25kmまでは4'30"で回せたのは曲がりなりにもよかった。

レース後

撃沈レースのあとはさらなる地獄が待っている。湘南の時と同様、まず座ることができない。そんな状況で、いつもは係の人がシューズタグを外してくれるのに、今回は自分で取れと。悶絶しながら地面に転がり、断末魔のような唸りをあげながら何とかタグを外した。

シャーベットのサービスがあったのだが、気温もまだそんなに高くなってなかったこともあって、食ってるうちに腹が冷えてしまい、これは失敗だったと思う。ほか、リンゴジュースだと思って受け取ったものが実はリンゴ酢で、チューッと吸って咽せまくるという失態も。

荷物を回収して着替えようにも、地面に座ったら最後、2度と立ち上がれない気がした。幸い、何かの係用?の机と椅子が空いてたのでそこでしばらく休み、なんとか荷物を片付けることができた。

そこから荒川の堤防を越えるのがまた一苦労。痛む脚を引きずり、ほうほうの体で駐車場のクルマへ帰還。途中でなんか食うつもりだったがどの店も外まで行列ができてたのであきらめてコンビニのおにぎりにした。美味かった・・・

そんなこんなで帰途につく。道中少々混雑はあったがスムーズに帰宅。それから荷物を全部片付けるまでが遠足だ。何をするにも奇声をあげないと動けない。しばらくこういう生活が続く。

次戦

そして冷静になってフト気づく。次回チャレンジ富士五湖(エントリーは四湖だが)はわずか4週間後である。どうすんだ俺?

おわり


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