#1問いを立てる ~教えるに関する哲学対話~


はじめに

遅くなりましたが明けましておめでとうございます。
にーぜろです。

無事2022年となりまして、いかがお過ごしでしょうか。

さて今回から教えるに関する哲学対話という副題のもと、noteを投稿していきたいと思います。

隔週で更新できたらと思っています。
よろしければお付き合いください。


動機

まずなぜこの教えるについての記事を書こうと思ったかについてお話したいと思います。

昨今、「主体的な学び」や「教えない授業」「押し付けてはいけない」「生徒が自ら考える授業」といった言葉が示す通り、教育界において何かを「教える」ことは忌避される傾向があります。(例:学習指導要領、鈴木(2019)『教えない授業』)

一方で、教えることを推奨する議論も存在しています。(例:ビースタ(2018)『教えることの再発見』)

このように教えると言うことに関して、様々な議論がありますが、往々にして論者により教えるということの捉え方は異なります。

様々な捉え方が存在することは、何を明らかにしようとしているかや何を解決しようとしているのかがそれだけ違うということであり、議論に幅を持たせることになります。

ですが幅があるために、議論がかみ合わないことにも繋がります。
それゆえこの記事では、教えるということについての共通了解を得ることを目指して一つの提案を行いたいと思っています。

哲学対話とは

まず先に述べた「哲学対話」とは何ぞやと言う点についてです。

それぞれの単語「哲学」や「対話」については聞いたことがあると思いますが、「哲学対話」は初めて聞いた方もいるかもしれません。

以前私のnoteを読んでくださった方や、「哲学対話」という検索結果で来られた方はご存じの方もいるかも知れませんが、一応簡単に紹介しておきます。

まあ「哲学対話」といっても色々な人が使っているので、ここでは西研(2019)『哲学は対話する』における「哲学対話」を参照したいと思います。

西研(2019)ではまず哲学を「<さまざまな種類の「よさ」(価値)について、その意味とその成立根拠とを根底から問いなおすことによって、合理的な共通了解をつくりあげようとする営み>」(p.275)と定義しています。

そしてこの合理的な共通了解を作り上げる手法を哲学対話というものです。

例えば、「正義」という言葉を使えば、「正義」の価値について、正義とはどういうものなのか、及び正義が成り立つ根拠について問い直していくことで、皆が納得して受け入れることのできる「正義」を作り上げようといったものです。

例:正義(詳しくは西研(2019)を参照)「Aさんの言動こそが正義である」としても、納得できる人は納得できるだろうけど、そうでない人も多いと思います。

一方で、「人びとが互いを、社会を構成する対等な仲間として認めあい、自分たちの平和共存と共栄のために努力しようと意志するところから生まれる「あるべき秩序の像」や「正しさの感覚」。これが正義と呼ばれる」(p.403)とすれば、少しふわっとする言葉にはなりますが、多くの人に納得してもらいやすいでしょう。

そして合理的な共通了解を作り上げるためには「「確かにこれはこうなっている」ことを各人が見て取れることを可能にする」(p.378)土台を必要とし、これは体験がベースとするのがよいとされます。

つまり皆が納得できる共通了解を体験をベースとして創り上げましょうというものが哲学対話になります。
(少なくとも私はそう認識しています)。

一応西研(2019)『哲学は対話する』について紹介した記事が以下になります。

また以下、アマゾンと楽天のリンクです。
アマゾン
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問いを立てる

哲学対話とはどういったものかについて、掴んでいただいたところで、紹介されている手順に沿って哲学対話を行っていこうと思います。

とはいえ、お気づきの方もいらっしゃると思いますが、以前同様(知らねーよという方が多いとは思いますが)、一人で哲学対話をすることになりますので、ご了承ください。

哲学対話の手順としては以下の通りです。

1. 問いを立てる
2. 各人の問題意識の確認
3. さまざまな体験例を出す
   1. 主題(正義など)に関する言葉の用法
      1. 言葉が使われる際の文脈
      2. 類義語・対義語
   2. 主題に関する実感的な諸体験
4. 右の事例に即した、主題の「意味」の明確化とカテゴリー分け
5. 主題の「成立根拠」の考察
6. 最初の問題意識や途中で生まれてきた疑問点に答える 

 このnoteでは恐らく1つのステップにつき1つの記事と言う形で書いていこうと思います。


まず問いを立てるところですが、注意点として、各自の体験に即して答えることのできる問いにする必要があるということが西研(2019)では述べられています。

そこでまず、「教えるとは何か」という問いを仮に置きます。

ではこの問いは体験をベースとして答えることができるでしょうか。
恐らくですが可能でしょう。

特に教員などの人からすれば日々行っていることですので。

そこで、今後教えるとは何かについて哲学対話を行っていきたいと思います。


終わりに

と思っておりましたが、長くなるので今回はここまでにします。
続きは次回とします。

ではでは最後までお読みいただきありがとうございました。
失礼します。


参考文献

ガート・ビースタ著、上野正道訳(2018)『教えることの再発見』東京大学出版会。
文部科学省(2017)『中学校 学習指導要領(平成29年告示)』(https://www.mext.go.jp/content/1413522_002.pdf 2021年12月31日閲覧)西研(2019)『哲学は対話する プラトン、フッサールの〈共通了解をつくる方法〉』筑摩書房。
鈴木有紀(2019)『教えない授業――美術館発、「正解のない問い」に挑む力の育て方』英治出版。



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