哲学対話の方法について ー西研(2019)『哲学は対話する』紹介ー

ご無沙汰しております。

にーぜろです。

前回のnoteより1ヶ月以上空いてしまいましたが、哲学対話の方法について紹介したいと思います。

といっても以下の文章は西研(2019)『哲学は対話する』筑摩選書(以下西研(2019))に掲載されている内容ですので、興味のある方はそちらを読んでみてください。

このnoteでは哲学対話の進め方などについてのみ紹介しますが、西研(2019)では哲学の歴史や哲学対話の可能性、共通了解をつくりだすためにフッサール現象学が有用であることなどが述べられています。

(※今頃ですが、このnoteは一応前回の「内発的ー外発的の二項対立を越える動機付けに関する視点」から続くシリーズの一つとなっておりますので、もしよければそちらも読んでいただいたらと思います。

一方で、この記事単独で読んでいただいても特に問題はありませんので、哲学対話について知りたいんだという方は、この記事だけ読んでいただいて、西研(2019)を読んでいただくのが良いのではと思います。)

では、以下内容紹介です。

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哲学について

西研(2019)において、哲学とは「〈さまざまな種類の「よさ」(価値)について、その意味とその成立根拠とを根底から問いなおすことによって、合理的な共通了解をつくりあげようとする営み〉」(p.375)とされている。

またこの哲学の対象として、認識の価値としての真や、個々人の行為や社会的営みの価値としての善や正義、行為や物事の有用性などの、「様々な種類の「よさ」(価値)」(p.375)が、対象となるとされる。

価値についての意味と根拠を問い直すことで、哲学は「人は何を求めて生きているのか」という魂のあり方への問い及び「社会的営み(社会正義や教育)の価値の根拠は何か」といった社会のあり方への問いを持つ。

 

哲学対話について

何らかの価値について議論をする際、相対主義もしくは独断論に陥る可能性がある。これらに陥らずに共通了解をつくりあげるためには「土台」が必要である。そしてこの土台は「「確かにこれはこうなっている」ことを各人が見て取れることを可能にするもの」(p.378)であるべきとする。

そのためにも土台は体験をベースとするものがよいとする。

「〈正義という事柄は、私たち各自の生(体験世界)のなかでどのような意味をもって現れているかを確かめよ。ここにこそ、探究が向かうべき地盤がある〉」(p.379)とする。

「どこかにあるはずの「唯一の真理」を求める姿勢を放棄する」(p.378)ことが重要であるとする。どこかに真なるもの(=真理)が存在すると考え、それと一致することが望ましいと叶えるからこそ、空転や信念対立が起こるとする。


哲学対話における問いの立て方

「哲学対話」で述べたように、議論を空転させないためには、体験に基づいた土台を用意することが求められる。そのためにも、哲学対話における問いを、各自の体験に即して答えられるものにすることが必要であるとされる。その際の観点として以下の3つが挙げられる。


1. その問いが、各自の体験世界に即して答えられるものかどうか、を確認する
2. 答えられないときには、その問いの体験世界における意味を問う(問いじたいの問い直し)
3. 各自の体験世界に即して答えられるかたちへと、問い方を変える(問いの変更)


例えば死後の世界についてどうなっているのかという問いはしようがないために、答えを出すことはできない。とはいえ、死後の世界が気になること自体は体験としてあり得る。そこで「なぜ死後の世界が気になってしまうのか」や「死や死後の世界はどのようにイメージされているか」といった問の形に変えることで問いとして成立させることができる。


哲学対話の手順(正義についての対話をもとに)

ここからは、西研(2019)に掲載されている哲学対話の進め方を抜粋して紹介していく。

手順は以下の通りである。

1. 各人の問題意識の確認
2. さまざまな体験例を出す
1. 主題(正義など)に関する言葉の用法
1. 言葉が使われる際の文脈
2. 類義語・対義語
2. 主題に関する実感的な諸体験
3. 右の事例に即した、主題の「意味」の明確化とカテゴリー分け
4. 主題の「成立根拠」の考察
5. 最初の問題意識や途中で生まれてきた疑問点に答える


1.問題意識の確認

まず、哲学対話の参加者の問題意識を出してもらう。

本文では「正義の普遍性と相対性」「主観的な正義と客観的正義」「正義という言葉による自己正当化/正義と正義でないものとを判定する基準」「正義という観念の根拠/言語による意味内実のちがい」について挙がることという。

これらを整理すると以下の3つに整理できるという。

1. 正義という観念の普遍性及びその根拠への問い
2. 正義の客観的基準への問い
3. 正義の絶対化への問い

このように問題意識を取り出し、整理することで、なぜ、なんのために正義の本質を捉えようとするのかといった本質を捉えるための観点が明確になるという。


2.体験例の検討

ここでは、正義という言葉をどう用いているのかといった用法や、正義や不正を実感したエピソードを挙げる。

なお、本文ではマス・メディア及び学問においてどういう風に正義という言葉が使用されているかを検討し、「〈人びとが社会において共存するさいの基本的な取り決めとして、守り実現しなければならない価値〉ということができる」としている。またこの正義は「社会についての「理念」である」とし、実感レベルと異なったレベルのものとし、理念のレベルと実感のレベルを区別することを西研(2019)では求めている。

続いて日常レベルについてであるが、まずそれぞれのエピソードを出してもらい、それらをカテゴリー分けすることを目的とするという。

本文では「正義のヒーロー」「災害時の救助活動」「学校でのいじめ」「カンニング、賄賂、株のインサイダー取引など」の実例があげられていた。


3.主題の「意味」の明確化とカテゴリー分け

ここでは、上記までで出た事例をカテゴリー分けすると同時に、その中心にあるものが何かを探る場面である。

上記の正義について、理念のレベルと実感のレベルを合わせて整理すると以下のようにカテゴリー分けできるとする。

1. 社会正義
2. 積極的な行為としての正義
3. まったくの利他的行為
4. 悪
5. 不正
6. 日常的に守られている正義

上記の6つは全く無関係にあるのではなく、相互に関連しており、正義が意識されるのは「私たちがふだん他者を侵害しないようにし、またルールを守って社会生活を営んでいる」ときであると結論付けられた。それゆえ、「日常的に守られている正義」が正義という事柄の確信にあるとされた。


4.主題の「成立根拠」の考察

続いて成立根拠の推察である。

ここでは「一つの減少になんらかの観点から問いかけて、それがどのようにして成り立っているのか(成立根拠)を明らかにしようとする」ものである。

正義の例では日常的に守られている正義について、「あたりまえ」や「破ってはいけない」といった感覚を持っているが、それをなぜもつのかというところを掘り下げるところから始めている。

結果として「「殺さない・傷つけない」といことの根底には、他者を自分と同じく感情や意志をもつ一人の人間だと感じていること(共感性)があるが、それに加えて、殺さない・きずつけないということが社会生活を送っていくうえでの最低限のルールだ、ということ(約束性)がある」(p.401)と整理されている。

また約束性を深掘りした結果「〈共存の意志〉こそが、正義という観念の土台であり根拠であるといえる」(p.401)とする。

上記をもとにすると「〈人びとが互いを、社会を構成する対等な仲間として認めあい、自分たちの平和共存と共栄のために努力しようと意志するところから生まれる「あるべき秩序の像」や「正しさの感覚」。これが正義と呼ばれる〉」(p.403)とまとめられるという。

上記のようにしていくことで、とある概念などについて、それはいったい何なのかや、その成立根拠について共通了解を得ることができるという。


5.最初の問題意識や途中で生まれてきた疑問点に答える

最後に、得られた共通了解をもとに、最初に出てきた問題意識に答えることができるかを検討するという。(なおこの記事では省略)。

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以上、西研(2019)『哲学は対話する』における、哲学対話の方法論について、掲載されている実例をもとに紹介してきました。

詳細は部分は省いているため、実例紹介の部分では話が飛んでいる個所もありますが、ご了承ください。

本文にはしっかりと載っておりますので、ご一読されることをお勧めします。

さて、哲学対話の進め方について把握することができたので、次回以降「主体性」について哲学対話を試みていこうと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

次回以降も読んでいただけると幸いです。

それでは失礼します。

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