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小説❤︎春風に仕事忘るる恋天使 第二十四話

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「一肌脱ぐというのは『力を貸してほしい』という意味だ。まったく」
「あ、た、確かに、そうですね。勘違いしちゃいました。ごめんなさい」

 てへっと笑う美香。全く……まあいい。こうして俺が美香に頼んだことは一つだけ。管理部のワイン配達係の名簿に俺たちとDCC三十人の名前を追記すること。管理部念令課所属なんだから簡単なことなのに美香は長いことブーブー文句を言っていたけど無視した。

 その後は意外と簡単だった。そもそもパスクエッタで会社の中に天使はほぼいないのでバイトの警備員とパスクエッタワインを運び出す配達係(これもみんなバイト)がいるくらいだ。名簿に名前が載っている以上警備員は俺たちを怪しもうともしない。こんなセキュリティでいいのか? とも思うが、天使は基本的に性善説で成り立っているからこれで十分と考えているのだろう。俺たちはいとも簡単に交渉と時の部屋に侵入することに成功した。
 こうなればしめたものだ。中の時間の流れからするとごくたまにワイン配達係がワインを搬出しにくるだけで、会議室も各部屋も使いたい放題だ。もちろんシェフも清掃員もいないので滞在中の家事は自分たちでしなければいけないのだが。それでも食料はたっぷり置いてあるので生活に困ることもなく、順調に交渉を重ねることができた。

「それにしても、DDCはさすが日本を代表する大企業の子会社だな。みんな交渉に慣れている」
「そ、そうですね。JV設立に向けての検討の役割分担もしっかりしていて、レベル高そうです」

 日を重ねるごとに課題リストが増えていくが、それを片っ端から全方位で取り崩しにかかる組織力。まるでウイルスを撃退する白血球のようだ。おかげでJVの組織やガバナンス、資本政策などの論点は次々と整理されていき、一か月後にはいよいよ事業計画も固まる段階に来ていた。
 そのとき……会議室に入ってくる若者が現れた……ってか、なんでお前が来るんだよ。完全にデジャブーじゃんか。なぁ……高野。

「どうもです。また、お邪魔しに来ました」

 満面の笑みで挨拶するグリゴリ証券投資銀行部門責任者の高野。俺たちの行動がなぜもまた筒抜けになっているのか。それよりも……俺は自分の度重なる浅はかさにげんなりした。そうだよ。また忘れてたんだよ。独占交渉権を設定するのを……

「なんで俺たちが交渉していることを知っているのか教える気は?」
「ありません」
「新仮面男に雇われているんだろ? 奴を連れて来いよ」
「もうその手には乗りませんよ」
「そうですか。まあ、そうですよね」

 高野はニコニコ笑顔だが、やっぱ嫌な奴。おれもニコニコ笑顔をくずさないよう努力しながら頭の中で状況の整理に務めた。

「では、高野さんもDDCさんと交渉がしたいと?」
「はい。私たちもJV構想を提案しに来ました。中村社長、少しお話を聞いていただけますか?」
「ええ、もちろんです」

 そして別会議室に入っていく二人の背中を追った後、おれはまた無言で美香を連れて部屋に戻った。そして、最初にくぎを刺す。

「あのな、そういう意味じゃないからな?」
「そ、そういう意味って、な、なんですか? もちろん交渉戦略を相談するためだと思っていたんですけど……ま、まさか変なことを考えているんですか?」

 顔を赤く染めて身構える美香……ああ、もう。どっちにしてもそういう捉え方をするのか? まったく……

「いや、いい。何でもない。交渉の話をしよう。高野は交渉においても百戦錬磨なはず。当然前回と同じ手は全く使えないだろうし、同じような小細工も警戒されるだろうから、まったく隙を見せることはないだろう」
「た、たしかに。で、で、でも、それでどうやって勝つんですか?」
「やつは新仮面男を俺の前には連れてこないと明言した。たしかに前回はそこから切り崩されたんだから賢明な判断だ。でも、今回はそれを逆手に取る」
「さ、逆手に?」

 俺は最大限声を潜めた。

「だから、あれを使うぞ」
「あ、あれ! つ、使うんですか? 最後の一本を……」

 美香は驚きつつもうんうんと頷いている。前回使ったと言ったときに怒られた手前、使う前に一言言っておかないとなと思っていたので、事前に言えてよかった。これで体制は整った。

「よし、行くぞ」
「お、お、おーですぅ」

 こうして、俺たちは前回同様のオークションを行うことを提案した。DCCからの要求としては、価額も含めてすべての条件をプレゼンにまとめてそれぞれが提案すること。所謂一般的なM&Aオークションだ。

「先攻と後攻、どちらをお望みで?」
「前回は先攻を取らせていただきましたので、今回は後攻を選択します」
「わかりました。それでは……」

 俺は美香と目を合わせてこくんと頷く。美香もこくんと頷くと俺の腕に手を回してくる。合図をしっかり理解して受け取ったようだ。
 俺はポケットの中の羽根をぐっと握る。ぽきっと音がした瞬間、俺の視野が極端に狭まった。まるで異空間に飛ばされたような感覚。その狭くなった視線を高野が持っているカバンに向ける。すると、カバンの中身が透けて見え始めた。たくさんの書類、その中に今日のプレゼン資料が入っている。急いで提案の条件に目を通す。ひとつのポイントはJVを作るときの出資額だ。えっと……五十五億円? そんなに準備しているのか。たしか前回も同じ金額を提示していた。これがこいつらの予算上限ということか。

 次の瞬間、パッと視野が戻る。透視の神通力効果は終了したらしい。高野が思いっきり身震いをする。

「どうかしましたか?」
「いえ。いま一瞬物凄い寒気が襲って来まして。大丈夫です、すぐに収まりました」

 高野は笑顔で取り繕う。もしかして透視されたら悪寒を感じるということか? まあ、今はそんなことより、早く対策を練らなければいけない。

「では、一時間後。お互いにプレゼン頑張りましょう」
「お手柔らかに」

 俺と美香は互いの目を合わせて頷くと無言で俺の部屋に戻った。


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