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小説❤︎春風に仕事忘るる恋天使 第十九話

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「では、プレゼンは私に行かせてください」
「は? 何を言っているんだ? ここは勝負所だ。どんくさい美香に務まる仕事では……」

 そう言いながら違和感を感じる。眼鏡の縁を下にずらした美香の表情は、なんだかいつものどんくささとは違う理知的な雰囲気を感じる。

「大丈夫です。玲子さんは女性、私も女性。女同士で話した方が上手くいくこともあるんです。では、いってきます」

 そう言うと美香は有無を言わさず一人で会議室に入ってしまった。俺はなぜだか彼女を止められなかった。まあ、俺がプレゼンしようとした内容は美香にも伝えてあるから問題ないと信じたい。だが……いつもみたいに変な早とちりとかしてなければいいのだが。

 そんな俺の心配をよそに、十分も経たずに美香は玲子と共に笑顔で会議室から出てきた。どうやら致命的な失敗はしなかったようだ。俺は内心ほっとしつつ美香に声をかけた。

「上手くやってくれたようだな」
「は、は、はい。やはり女性同士、話も早かったです」
「そうか、ありがとう」

 そして玲子の方を向き頭を下げる。すると、玲子は俺の耳に口を近づけて小声で囁いた。

「知ってます? 美香さんって、脱いだらすごいんですよ」
「え?」

 何をいきなり言い出すんだ? あの洗濯板娘が実は……なんてことがあるわけない。

「ふふふ、何を想像しているんですか? 違いますよ。メガネですよ。メガネを脱いだらすごいんです。ふふふ」

 そう言うとクスクス笑いながら去っていく玲子。メガネの話? てか、メガネは脱ぐとは言わない。外すと言うのだ。つまり揶揄われたということか。

「まったく、これだから女子ってやつは……」

 こうしてオークションは順調に進行していき、ついに最後のイベント、買収価額発表の時間となった。

「それでは投票箱を割りますね」

 玲子は手渡されたハンマーを振り下ろす。バリンと粉々に砕けた投票箱の中から、三枚の羊皮紙が取り出された。

「では、一枚目はプレゼン内容の評価です。両社とも素晴らしい提案をして頂きましたので同点とします」

 提案条件に差はない。つまり、この先の買収価額のみで勝負が決まる。

「では提案価額を見てみましょう」

 玲子は両手でそれぞれの羊皮紙を持って見比べた。

「発表しますね」

 俺はごくりと唾を飲み込む。隣で美香も両手を握りしめて固唾を飲む。

「先行が五十五億円、後攻が……七十億円。買収相手は後攻のキューピッド株式会社恋愛部に決定です」

 それを聞いて真っ先に反応したのは仮面男だった。ガッと立ち上がるとテーブルをバンと叩く。

「ばかな。そんなはずは……だって……」

 俺は冷静に立ち上がると仮面男に視線を向ける。

「何かご不満でも?」
「だって……いや……その……」
「『だって、そんな予算があるはずない』とでもおっしゃりたいのでしょうか?」

 ニヤリと笑う俺。相当意地悪そうに見えただろう。仮面男はチッと舌打ちをして、くるりと翻す。そして……

「もうここに用はない。青羽翔、次は容赦をしない。覚えておくんだな」
「……もうお会いしたくはないですけどね」

 会議室の扉を開け左へ去っていく仮面男たちを見送る。
 俺は美香と向き合った。彼女もまだ信じられないという表情をしている。

「翔さん、や、や、やりました……よね?」
「あ、ああ。やった。やったな」

 言葉にすると実感が湧いてくる。美香も同じだろう。みるみる笑顔が開いていく。

「お、おめでとうございます」

 両手を俺の目の前に高く上げてくる。俺も両手を美香の両手に合わせてハイタッチ。多分、美香と同じくらいの笑顔になっているのだろう。

「おかげさまだ。ありがとう」
「こ、こちらこそ、ありがとうございます」

 俺が美香の瞳を見つめると美香は俺の手をキュッと握る。すると……コホンと小さな音が聞こえた。俺はハッと表情を引き締め手を引っ込めた。マダム笑顔を浮べた玲子の咳払いだった。

「し、失礼しました。それでは調印をしましょうか。そして記念のディナーを。そろそろタンニンが開いた最高のワインが待っているはずです」
「最高の……ですか? 確か、かなり若いワインだと仰ってましたよね?」

 苦笑いする玲子。俺は自信たっぷりに答える。

「あのワインは若いビンテージに見えますが、実はこの交渉と時の部屋で加速熟成しているものです。すでに二十年ほどの熟成を終えています。世界の誰よりも早く美味しく飲める最高のマルゴーです。さあ、楽しみましょう」

 こうして俺たちは調印を終えると、シェフが作った最高のフレンチコースとソムリエがサーブするマルゴーのマリアージュを楽しんだのだった。



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