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小説❤︎春風に仕事忘るる恋天使 第七話

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「バレンタインではチョコありがとう。これ、お返しなんだけど……」
「嬉しい。開けてみていい?」
「うん。でも……照れるな」

 夕刻、渋谷駅から少し離れたとある公園で。制服を着た少女は丁寧に包装を解き箱を開ける。

「まあ、素敵なシュガーボンボン。ありがとう」

 そのとき、二人を包むように柔らかな春風が通り過ぎてゆく。少女の長い髪がふわっとたなびき、少年は唾をごくりと飲み込んだ。

「今よ!」
「ちょ、声大きいとバレちゃうぞ?」
「わ、わかってますもん」

 お茶目に舌を出したらいいってもんじゃないんだぞ、まったく。
 次の瞬間。二本の矢が少女と少年の胸にグッサリ突き刺さる。なんとなくピンクのハートが浮かび上がるエフェクトが見えた気がする。二本の矢の矢尻は赤い糸で紡がれている。しかし、それらはすぐに春風に攫われるように粉々に砕けて空に舞い上がっていった。

「……あの、ぼく、君のことが好きだ。付き合ってください」
「……わ、私、やんちゃだけど……いいの?」
「君じゃなきゃダメなんだ」
「……仕方ないなぁ。うん、いいよ。付き合ってあげる」

 こうして手を繋ぎ駅へと歩いていく二人を見送りながら、ハニエルが解説を始めた。

「この二人は義理チョコ関係だったので、これまで通りなら見込み無しと諦めるところだけど、バレンタインが不発だったからね。うちのエース営業恋天使に営業をかけさせたというわけさ」
「あの二人……義理チョコ関係だったんですか! それをゴールインさせるなんて、荒業ですね」
「ああ。絶妙な春風の強度と角度と温度とタイミング、そして刹那の誤差も許さない二本の矢の着弾タイミングの綿密な計算。これを実現できるのはうちの恋天使の中でもトップレベルの彼女だからこその凄技さ」

 ハニエルは自慢顔。確かに、かなりの腕前と天使演算能力なのだろうと想像はつくが……

「……でも、恋天使めっちゃ見えてましたよ? 認識阻害とか光学迷彩とかしないとバレちゃうんじゃないですか?」

 そう。その恋天使は公園のジャングルジムの真ん中から二人を射た。その姿は俺たちから丸見えだったのだ。

「まあ、認識阻害は大天使レベルでも成功確率低いからね。恋天使達には荷が重いね。でもまあ、春風に当てられた時点で恋愛候補の相手しか視界に入らない状況になっているはずだし。それにもし仮にバレても天使の身体力があれば走って逃げれば何とかなるからね」

 天使は神通力があるのは知っているけど、身体力なんてあったっけ? すごいのかすごくないのか訳分からないが、これ以上追求しても仕方がない。

「ま、高校卒業式には間に合わなかったが、何とかホワイトデーシーズンに調達網を復帰してくれたことは感謝するよ。おかげさまでなんとか最低限の営業活動は維持できている」
「とんでもないです。でも……これで全ての課題が壊滅したわけではないのですよね?」
「察しの通りだね。すでに次の問題が出始めているんだ」

 嫌な予感しかしないが、聞くしかない。

「次の問題って、いったい何ですか?」
「実はね、天使データセンターを運営している子会社の天使たちの中でも恋愛部担当の天使が春風にあてられているんだ」
「天使データセンターまでもですか? しかも恋愛部担当?」

 もはや偶然ではないだろう。二つの子会社でなぜか恋愛部の担当天使だけが春風に当てられた。偶然と思いたかったが、狙い撃ちされていると認めざるを得ない。

「データセンターの天使の役割は?」
「実は重要な役割を担っているんだ」

 天使が営業をかける上で重要なのはターゲットの選定だ。恋愛が成就する見込みがない片想いのターゲットに貴重な矢や赤い糸を使うわけにはいかない。そこで、恋愛成就の可能性が高いターゲットをその関係会社の情報処理専門天使の天使演算能力を使って割り出して現場に営業天使に指示出しをしているらしい。

「ホワイトデーは、バレンタインのときの営業リストから候補を割り出したからなんとかなった。でも、次のイベントではそう簡単にはいかない」
「次のイベント?」
「ああ、今年度最後で最大のイベント、中学卒業式だ。こちらは全卒業生の学生生活を網羅した学生記録から最適なマッチングを算出する必要がある。天使データセンターの演算が絶対に必要なんだ」

 それを聞いたみんなが状況の深刻さに言葉を失う。在学中に恋愛に発展している学生が多い高校生とは違い、中学生は卒業式まで想いを留めていることが多い。逆に言えば卒業式で一押しすれば告白という行動に繋がりやすいのだ。しかも、その恋はいずれもピュアな初恋、つまりキューピッド株式会社としての完全新規顧客である。当然に利益率抜群の優良顧客だ。だからこそ、中学卒業式といえば高校卒業式を上回る最大級のイベントなのだ。
 みんなが唾を飲み込んで絶句している中、美香が申し訳なさそうに手を挙げた。

「中学の、そ、そ、卒業式といえば……色々と懸念もあります……よね?」
「……まさか……いや、確かに。美香のいう通り、これはまずい状況かもしれない」

 俺もこめかみに冷たい汗の感触を感じる。確かに中学卒業式は非常に難しいイベントだとも聞いたことがある。その理由は天使が武器として使う矢と糸だけでは恋愛が成就しないからだ。それは……

「だ、だ、第二ボタン事件が再発するかもしれません」

 かなり前の話だが、営業天使たちが我先に第二ボタンの取り合いを始め、現場が大混乱に陥り、三割の天使が第二ボタン詐欺(第三ボタンを第二ボタンと偽る許されざる行為)に手を染め堕天使になってしまった、あの『第二ボタン事件』は恋愛部最大のタブーになっている。
 その事件以降、第二ボタン専有権も含め天使データセンターが管理をしていた。しかし、今年はその管理が無効化している。であれば、ただでさえ数も減りノルマ達成が厳しい状況下、第二次第二ボタン騒動が起こるかもしれないと危惧する方が当たり前かもしれない。

 美香のつぶやきはその場を凍らせるには十分なインパクトだった。

 


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