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小説❤︎春風に仕事忘るる恋天使 第四話

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 天使電車はステンレス色のボディ。前面の運転窓は黒く四隅に丸目を帯びた長方形で右下部に70とそれにつづく三桁の車番。その下部の二つのヘッドライトの間にはエメラルドグリーンと水色の帯。その帯は側面にも採用されている。
 天界を出発し長いトンネルを走っていく天使電車の車内はガラガラだったが、俺たちはロングシートに並んで座っていた。

「ず、ずいぶん空いているんですね」
「そうだな……」

 空いているという表現は適切ではない。おれたち以外に誰一人乗客はいない。もはや貸切状態だ。おそらく春風の悪影響が発生している最中に人間界に向かう天使は皆無ということなのだろう。なぜ俺たちがこの業務を指示されたのかよくわかる。

「……あ、そ、そろそろ、トンネルを抜けますね」

 長いトンネルがようやく終わる。天使電車が走る線路は地上へとスロープを登っていくと、並行して設置されている多数の線路たちの間にスポッと混ざりこんでいく。窓の外には高いビルがいくつか。そしてすぐに駅に到着する。ホーム番号は7番と書いてある。

「こ、ここで降りるのでしょうか?」

 あのね、それ、本当は俺が聞きたいんだけど……まったく。電車に乗ってすぐに行き先の住所を聞いておいてよかった。

「ここはまだ大崎だぞ」
「で、ですよね。はい、わかってます」

 絶対わかっていないだろと突っ込む気にもなれない。電車は駅を出発すると、一番左の線路をひたすら北上する。五反田、目黒を通過し、いつの間にか黄緑の電車が左に並走。恵比寿駅に停車。ここですか? と聞きたくてうずうずしながらも間違えるのが怖くてもじもじしている美香……そう、正解。ここは目的地ではない。恵比寿を出ると次が目的地の渋谷だ。車内アナウンスでたくさんの乗換案内が流れ、3番ホームに到着する。

 電車から降りると、ホームで待っていたたくさんの人たちが待ってましたとばかりに乗り込んでいく。それでもまだホームは沢山のサラリーマンや学生で溢れかえっている。ひっきりなしに鳴り響く発着音楽に駅員の声。数分も待たずに入ってくる電車達。
 三月初め。午前八時。ああ、帰ってきたんだな。日本に。

 三階に上がり中央改札を出て、商業施設を右目にまっすぐ進む。エスカレーターが混んでいるなんて天界では見ない光景だ。右側は歩いて進める。やがて円形のホールを越えて左のエレベーターで十一階へ。そこからさらにエレベーターを乗り継ぐ。エレベーターは高層に向かってどんどん登っていく。昔はこんなのなかったからな。渋谷の街もかなり進化したんだな。

「よ、よく目的地がわかりますね。翔さん。すごいです」

 普段は眠そうな瞳が少しだけ大きく見える。
 ……おかげさまで美香の方向感覚をひとかけらも信じずにスマホのナビに頼ることができたからな。なんとか間違えずに支社につきそうだ。
 三十五階でエレベーターをおりると、すぐにエンジェルセレクト株式会社の文字が浮かんだガラスの扉が目に入った。ここが目的地、キューピッド株式会社の日本支社だ。扉を開けると、すぐに受付嬢に案内され、支社長室に案内された。

「ようこそ。私が日本支社を任されているハニエルだ」

 天井まで届く大きな窓から自然光が差し込み、東京の街並みが一望できる。内装はシンプルながら洗練されており、白と金を基調としたデザインが彼の神聖さを暗示していた。デスクの上には最新のコンピュータと共に、古い羊皮紙のような巻物も置かれている。
 そのデスクの奥から端正な笑顔を見せる男性。彫刻のように高くまっすぐな鼻筋。滑らかなプラチナブロンドで縮れ波打つ力強い髪。スリムながら筋肉質な体格。いわゆるイケメン細マッチョかよ。

「ラファエル部長から現地対策の対応をするように指示されて参りました」
「ああ、聞いているよ。よろしく頼む。いや、正直大変な状況なんだ」

 ハニエルは俺たちに椅子に座るよう促すと、洗練された身振り手振りで上京の説明を始めた。

「発端はバレンタインだ。義理チョコだけでなく世話チョコや自分チョコ、友人チョコなどが流行り、我々の収入源である本命チョコからの恋愛成就が激減している」
「ここ最近その傾向が強く苦戦していると聞きます」
「ああ。苦戦で済めばよかったのだがな。そこに輪をかけて、今回の春風騒動だ」

 本来であればバレンタインの不振を挽回すべく、ホワイトデー、卒業式、入学式、花見、新歓コンパと走り回るべき営業部隊が軒並み春風にあてられてしまった。このままでは会社を揺るがす大きな不振につながりかねない。

「誰かが意図的に邪魔しているようにしか思えない」
「なんのために……誰が?」
「それはわからないが……社内のだれか……かもしれない」

 恋愛部は当社のビジネスの基礎を支える部門だ。若年層の恋愛を成就させることで当社会員を増やす。これが第一段階だ。利益よりも会員を増やすことを重視するために、とにかく数多くの営業活動が必要となる。
 やがてその会員が結婚することで大きな収入を得る。これが第二段階。ガブリエル部長が率いる婚姻部が担当する。当社の中では最も大きな収益を稼ぐコア事業だ。
 そして夫婦や未婚の熟年層の熟年愛による実りを受けるのが第三段階。ウリエル部長の熟年愛部だ。財布が分厚い熟年を対象にしている分、利益率は大きい。

「社内って……婚姻部や熟年愛部の工作ということですか?ちょっと待ってください。恋愛部の会員活動があってこその婚姻事業、熟年愛事業じゃないですか?」

 俺は口をとがらせてから、しまったと口をつぐむ。相手がだれであっても気に入らないと噛みついてしまう。それが上司であり大天使のラファエルであっても……ハニエルはラファエルと肩を並べる七大天使。派遣社員の俺なんか一瞬でクビにできるほどの実力者だ。もうちょっと慎重にならなきゃ。悪い癖だ。直さなきゃ。
 そんなことを考えていることもお見通しだろう。ハニエルはふっと笑うと一言付け加えた。

「日本支店の営業部隊の中で春風にあてられたのは恋愛部の天使だけだ。それも営業天使だけじゃない。資材調達天使や経理天使も含めて春風にあてられている。いずれも恋愛部だけだ」
「え?」
「つまり……恋愛部が狙い撃ちされている可能性がある」
「まさか……」

 恋天使とはよくいったものだ。たしかに、婚姻も熟年愛も愛情が対象。恋を対象にしているのは恋愛部だけだ。

「春風に仕事忘るる恋天使……」

 俺は言葉をなくした。



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