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小説❤︎春風に仕事忘るる恋天使 第十二話

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 ミカエルCEOの神通力を宿した羽根を使って作り出した空間、交渉と時の部屋を一言で表現するなら合宿所だ。大小会議室がいくつか、そして宿泊部屋が多数。娯楽部屋は一つだけ。卓球台と将棋盤がある。大浴場は日本の銭湯そのもの。食事は二十四時間営業で、食費は会社持ち。うん、悪くない。

「すごいな、この設備。サービス。これなら俺ずっとここで過ごしてもいいくらいだ」
「……そ、そうですね」
「知ってるか? ミカエルCEOの羽は四枚らしい。大天使の中でもミカエルCEOだけらしいぞ。四枚もの羽を持つのは」
「そ、そ、そうなんですか?」

 まったく、そんなことも知らないとは。美香のどんくささも極まれりか。

「しかもそれぞれの羽には違う神通力を有しているらしい。それも、かなりの幹部しかその効力を知らない。今回、そのうちの一枚の効力を知ることができたのは光栄だな」

 言わずもがな、交渉と時の部屋の神通力のことだ。逆に言えば、これ以外にまだ三つもの神通力を隠し持っているということだ。さすがCEO。インチキ大天使(平執行役員のラファエルは羽は二枚、神通力は一種類しか持たない。)とは格が違うな。

「わ、わかりましたから。と、とにかく、なるべく早く交渉を終わらせてこの部屋を出ましょうね」
「は? 何言ってんの。こっちで半年遊んでいても向こうでは六時間くらいしか経ってないんだから。半年くらい羽目外そうぜ」
「な、な、何を言ってるんですか。ここの維持費は会社の経費なんですよ?」

 そうらしい。ミカエルCEOの神通力で作り出した異次元空間ではあるが、交渉部屋を建築、運営、維持管理しているのはすべてキューピッド株式会社の経費で賄われている。

「固いこと言うなよ。会社が経費出してくれるなら尚更のんびりしようぜ」

 俺がおちょくると美香はタコのように頭に血を登らせて俺を睨む。言いたいことが多すぎてうまく口から出ないから赤縁メガネの奥から大抗議のレーザー光線を撃ち出すことにしたらしい。まあ、その仕草が可愛らしいから揶揄っているわけだが。

「……っと、この部屋はなんだ? えっと、立ち入り禁止?」

 俺は迷わずその扉を開けようとする。

「ちょ、ちょっと、開けちゃダメって書いてあります」
「ダメって言われたら開けたくなる。それが心理であり真理だ。それをわかっていて開けちゃダメって書いたのだから開けてくださいと言っているのと同じだ」
「そ、そ、そんなわけないじゃないですか、なにを屁理屈言っているんですか? あ、ダメですって〜」

 変なところで常識的な美香は無視しておいて俺はさっさと扉を開ける。するとそこには……

「これは……ワイン?」

 大量のワインボトルが適度に涼しく少しじめっとした部屋に敷き詰められたラックに寝かされていた。それぞれに熟成完了日のメモが付せられている。つまり……長期熟成が必要なワインを、交渉と時の部屋を使って短期熟成させている奴がいるということか。
 そういえば、先日全社員向けの念話通達が流れてきていたな。確か、今年も例年通り、パスクエッタワインを配るとか。パスクエッタはイースターの最終日のあと、人々が天使に感謝を捧げる『天使の月曜日』と呼ばれる日だ。時期的に三月末から四月初めになるので、恋愛部としても卒業式、春休みの卒業旅行シーズンと入学式、入社式、花見シーズンとの間で唯一休暇が取れるタイミング。まさに、天使たちの中では盆と正月が一緒に来たようなものだ。
 その天使の月曜日は、管理部から天使従業員全員に休暇とワインが振舞われている。そのワインは若いのに熟成している奇跡のパスクエッタワインと呼ばれていた。けっ、俺は派遣社員だし人間だからもらったことはなかったけどな。

「……つまり、天使の月曜日の従業員福利厚生のために、未熟成ワインを交渉と時の部屋で加速熟成させているということか?」
「あ、あ、あうう、それは管理部長が言い出したことで……」

 美香はオロオロとしながらしどろもどろに答える。キューピッド株式会社の社員でもこの事実を知っているものは一握りだろう。美香は管理部念話課所属だからこそ知っていたのだと思う。

 ふと奥の方を見ると鍵かかかったショーケースを見つける。その中にはムートン、ラトゥール、オーブリオン……有名ワインばかり。しかもつい最近のビンテージがゴロゴロ転がっている。こんな高級品を短期間で熟成させる利用は……会社のためじゃないよな。

「……つまり、従業員向けだけでなく、私利私欲を満たすための高級ワインの早期熟成をしている奴もいる……と言うわけか」
「……」

 まったく。この部屋は会社の経費で運営されているということを理解しているのだろうか。私利私欲のために会社の施設を便乗利用するとは不謹慎甚だしい。とはいえ、俺も先ほどまで会社の費用でここでのんびり半年時間を潰そうと言った手前、これ以上批判する資格はなさそうだなと思い直しそっと部屋の扉を閉めた。

 そんな感じで始まった交渉と時の部屋での生活は、いつのまにか半年の時を消費するほどの長期化に至っていた。別に本当に遊んでいたわけではない。真面目に仕事して交渉していてもこれだけの時間がかかったのだ。しかもこの間、両社の関係者はどんどん増殖し、無数にあると思われた宿泊部屋はすでに満室、一人で独占できていた大浴場は時間割をしてもなお人数をさばききれずゆっくり湯船にすら浸かれないほどの混雑具合。それほどまでにM&Aとは時間がかかり関与する人数も多く面倒くさいものだということを改めて理解したのだった。

 とはいえ、人間界ではまだ半日しか経っていない……と余裕をかまそうとしていたのだが、この後、まさかの予想外の急展開を迎えることになるとは……


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