小説❤︎春風に仕事忘るる恋天使 第二十八話【春風完結】
「こんなもんかな。じゃあ、ぼくはそろそろ帰るとするよ」
「ガ、ガブリエル部長」
俺は思わず声をかける。
「なんだい?」
「すごい腕前でした。ぜひその腕前を記録させてください。他の恋天使の教師データにしたいんです」
「ふーん……面白い話だけど、それならもっと適任がいるさ」
ニコッと笑う笑顔。いつも通り美しいがどこか突き放した感じの笑顔で、俺の胸にズキッと痛みが走る。
「ミカエルに相談した方がいいね。ぼくとミカエルは前の恋愛部長の時代にツートップ恋天使と言われてたけど、結局彼女には勝てなかったんだ。本当に彼女の腕前はすごいんだよ」
「お二人とも恋愛部だったんですか」
「うん。でも、本当にすごかったのはルシファーさ」
「ルシファー? さっき言っていた堕天使のことですか?」
「うん。ラファエルの前の恋愛部長さ。六枚も羽を持っていて天使の中でも最上級の熾天使だった。第二ボタン事件の責任を取って堕天しちゃったけどね。彼が敵に回ったとなると真相究明を担うミカエルも大変だろうなぁ」
意地悪そうにニヤニヤ笑う。ミカエルとかルシファーとかなんだかとんでもない天使たちの名前が溢れて、もう一度撮影をお願いする雰囲気じゃなくなったな。体良く断られたってことか……
がっくりする俺をみてガブリエルは面白がった。
「じゃあさ、なんでミカエルの方が弓矢がうまかったかわかるかい?」
「いえ……」
「弓矢っていうのはね、おっぱいが大きいと引っかかりやすくて邪魔なんだ。ミカエルはおっぱいが小さいからぼくより上手なんだよ。ほら、そこのお姫さんのようにね」
ガブリエルはイジワルそうに笑う。美香の方を振り返ると、案の定美香は顔を真っ赤にしてほっぺたを膨らませていた。
「な、な、何を言ってるんですか? そんな理由おかしいです。それに、わ、わ、私だって、ぬ、脱いだら……」
「脱いだらすごいのかな? あはは。翔君、今度見せてもらったら? すごいらしいから」
ガブリエルはそう言い残すと、ウインクをひとつして母性と冷酷の共存する笑顔を浮かべながら颯爽と天へと飛び立っていく。あまりにも美しく神々しい。横では美香がむきーとかばかーとか言っているが、本当にこいつの怖いもの知らずは筋金入りだな。彼女は五大天使の一人、ガブリエル部長だというのに。
この後、サリエルの邪魔が入らなくなった恋愛部は無事に新歓コンパでも成績を上げ、なんとか春の繁忙期を乗り切ることができた。
そして今、俺たちはラファエルに呼ばれてその後の状況を聞かされている。
サリエルが残した医療室の調査で春風に含まれた成分が判明したとのこと。なんと魔女の血を混ぜた惚れ薬を薄めて風に乗せていたということだ。魔女の血の調達もおそらくルシファーが絡んでいるとの見立てだ。元恋愛部長のルシファーのことだからまだまだ社内に協力者がいるかもしれない。ここから先はミカエルCEOの原因究明部隊が調査を引き受ける……だってさ。いやいや、ここから前もあなたたちのミッションだったと思うんですけど? と言っちゃいそうだからこれ以上詮索するのはやめておく。
「ということで春風事件はひと段落付いた。ありがとう」
「じゃあ、休暇をもらっていいですか? パスクエッタも休まずに、交渉と時の部屋も使ったので一年以上働き続けている気分ですから」
「おいおい、ちょっとまて。君たちにはすでに異動辞令が出ているんだ」
……俺は美香と目を合わせた。俺たちに? 俺たち派遣社員なんだけど……日本だったら派遣法違反だぞ? まったく、これだから天使はコンプラ意識に欠けると言われるんだ……
「明日、四月二十日付で婚姻部に異動を命じる」
「ちょっと待ってくださいよ。休みは?」
「それはガブリエル部長に相談してくれ。じゃあな」
こうしてラファエル部長の部屋を追い出されたおれたち。廊下で呆然と立ち尽くす。まさかガブリエルとの取引の対価が俺たちだったとは……
「あ、あ、あの、ま、また婚姻部でもよろしくです」
「ああ、まあ、仕方がないか」
俺はガブリエルの下で働く自分を想像する。ま……悪くないかもな。
「……な、なんだか、鼻の下、伸びてませんか?」
俺は慌てて顔を引き締める。断じてガブリエル部長と働けるから浮かれている訳ではない。でも、あの巨……は少し頭の片隅にちらつく。仕方がないことだ。
「も、もしかして……今、お、おっぱいのこと、考えてますね?」
「ちが、違うわ。考えてない」
「ほ、本当に、男の子はそんなことばっかり。あーあ、がっかりです」
「聞けって。そんなんじゃないから」
「わ、わ、私だって脱いだらすごいんですから。見たいですか? 見せませんけどね。見たかったらもう一本ラファエル部長の羽根をもらってきたらどうですか?」
呆れながらもクスクス笑って立ち去ろうとする美香。なんだかおれがおっぱい見たい星人だと決めつけられていてさすがにむかつくなぁ。くそっ……ぱりっ……え?
……まさか?
ポケットの中でついつい握りしめた拳をポケットから抜く。その手を開くと、一本だけ残っていた羽根が折れて粉々に散るところだった。
美香がぞくっと身震いし、ドキッとした素振りで背中を隠すようにこちらを向いた。その瞬間、おれの視野がぐっと狭まる。俺の顔面を滴り落ちる冷や汗とは裏腹に俺の視線は美香の体に釘付けに。美香の服がサラサラと砂が舞い散るように薄まっていく。その中から見えたのはピンク。ピンクの桜が散りばめられた淡い色調の……
「ダメだー」
俺は頭を左右に振り目を閉じる。そして目を開けると視界は元に戻っていた。その代わり、美香が俺の目の前に顔を近づけて、メガネの縁の上から上目遣いに凄んでくる。
「今、見ましたか?」
「え? 何を?」
「……見ましたよね? 私の背中……」
「見てない。俺は何も見ていない」
「本当ですか?」
背中? よくわからないがただでさえ変態扱いされているんだ。何かを見たなんていえばずっと白い目で見られる。ここはしらばっくれるに限る。大丈夫、俺は今までどんな交渉の場でもポーカーフェイスで切り抜けてきたはずだ。
「何を気にしているがわからんが俺は何も見ていない。それより、なんだか寒そうだ。風邪でも引いたか? 顔が赤いぞ」
「そ、そういえば、少し寒気が……」
「それは良くないな。今日は早く帰ってゆっくり寝るといい」
「そ、そうですよね。は、はい、帰ります」
「送っていこう」
俺は心配そうな表情を崩さないまま心の中でガッツポーズを決める。さすが俺だ、この超大ピンチをなんとか切り抜けた。
「あ、あ、ありがとうございます」
「いいさ。俺たち、パートナーだろ」
「……はい。で、でも、ほ、本当に私の背中、見てないんですよね?」
「見てないさ」
なんで背中にこだわるんだ? 俺の視線はピンクの……あれ? そういえば……
(あら、洗濯物もピンクですね。可愛らしいピンクのブラ……)
玲子の予言、あれは……
「……あれは、ピンクのブランケットじゃなかったのか!」
あ……思わず口から出てしまった。
恐る恐る美香を見ると……美香はゆっくり、ゆっくりと振り返る。今まで見たことがないほどに笑顔で。でも、眼鏡を外したその瞳は全然笑っていない。これって……やばいやつ?
「……やっぱり、見たんじゃないですか! こ、このエロバカやろー」
……グーでゲンコツされた……
春風 完
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?