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小説❤︎春風に仕事忘るる恋天使 第十八話

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 そして、ついにオークションが始まった。両社が買収価額を書いた羊皮紙を投票箱に入れる。この投票箱はブタの形をしていて、小さなスリットはあるがそれ以外は密閉されている。中身を取り出すには投票箱を割って取り出すしかない。

「よし、提案価額を書きました」
「私も書きました」

 俺は仮面男と目を合わせうなづく。そして、同時に貯金箱のスリットに提案用紙を投入。それを玲子が預かる。

「い、いくらで、提案したんですか?」
「ここでは言えない。最後の最後まで何が起こるかわからないんだ。気を抜くなよ」
「ぶー、ぶー」

 答えを教えないから不貞腐れて投票箱と同じ顔になっている。

「では、プレゼンをお聞きしましょう」

 玲子は価額以外の条件はそれぞれの会社からプレゼンで提案するように要求していた。先行は仮面男、後攻が俺だ。プレゼン自体は個室でそれぞれ実施されるから相手のプレゼン内容は聞くことができない。両社プレゼン完了後に玲子が両社の条件の優劣差を金額に換算してメモし投票箱に入れる。玲子が書いた金額を条件が悪い方の提案額から控除して比較するという仕組みだ。これは競りによって金額を吊り上げることを断念した玲子なりに考えた策で、金額以外の条件を吊り上げようという魂胆が見え隠れするが……

「確かによくできたシステムだ。さすがデジタル水晶女傑と呼ばれるだけはある。見事な経営手腕だな」
「そ、そんなこと言っていて、大丈夫なんですか?」

 美香は心配性だ。だが、俺の中ではすでに勝ち筋が見え始めている。とはいえ、確かにM&Aは買収価額以外にも交渉して決める内容が多岐にわたるから慎重にプレゼンを考えた方が良いかもしれない。買収の方式や手続き、当局対応やコンプラ対応、税務対応、スケジュール、組織再編の有無、取引先対応、知財権、表明保証、買収後の義務などなど。そして最も大事なのは買収後の従業員や役員の処遇だ。

「れ、玲子さんには役員として残ってもらうんですよ、ね?」
「こ、こら。確かに今まさに仮面男がプレゼン中だからもう大丈夫だと考えているかもしれないけど、誰かが超高速念話スキルをもっていて盗聴しつつプレゼン中の仮面男に伝えるかもしれないんだから、滅多なことは口にするな」
「ひ、ひーん、ごめんなさい……で、でも、仮面の男さん、もうプレゼン終わったみたいなんですぅ」

 しょぼんとする美香。その背後の会議室から、確かに仮面男が出てきた。つまり、もう何を聞かれても奴には提案を変える手段はないということだ。であれば美香を叱ったことは間違った行動だったということになる。

「ご、ごめん。言いすぎたよ」
「う、ううう」
「な、泣くなよ。悪かったって」
「ほ、ほんとうに、反省してますか?」
「……してる。してるよ」

 すると、美香が伏せていた顔をガバッと上げる。キリッとした瞳で俺を見る。

「じゃ、じゃあ、お願いがあります」
「はあ? お前、今泣いていたんじゃ?」

 俺は驚いた。美香の瞳には涙が溢れているが、もうすでに笑顔に戻っている。これはインチキスキルの嘘泣きではない。まさか……天使ですら騙されるというあの究極スキル、女の涙を操れるというのか? ありえない。こんなどんくさい美香がそんな超高等スキルを持っているなんて考えられない。

「な、泣いてましたもん。だ、だから、一つだけ、お願いを聞いてください」
「……わかったよ」

 食いしん坊のこいつのことだ。どうせ飲み物か酒だろう。だとすれば、あの超高級ワイン、マルゴーを独り占めしたいとか? まあ、俺も一口くらいは飲みたいんだけどな。

「……ま、いいよ」
「本当ですね?」
「あ、ああ……本当だ……」
「では……」

 すると、美香は赤縁メガネのフレームの上から、普段の眠そうな瞳とは思えない鋭い視線を上目遣いを送ってきた。


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